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◆精霊の王 (2003 講談社 中沢 新一)
この本は、太古の昔から現代の日本社会へと、歴史を超えて脈々と伝えられている基層信仰の存在を明らかにしようとするものである。
今でも信州の諏訪地方をはじめ日本各地の神社の境内や路傍にひっそり佇む石の神々、民俗学者・柳田國男の初期の著作である『石神問答』でも紹介される「ミシャクジ」、「シャグジ」とか「サゴジ」などと呼ばれる石の神々のことである。
実はこの「ミシャクジ」、「シャグジ」、「サゴジ」はこの日本列島にまだ国家も神社もなく、神々の体系すら存在しなかった時代の「古層の神」「基層の神」を今に伝える痕跡ではないかとしている。
さらに、この「古層の神」は中世あらゆる芸道の守護神とされる「守宮神(しゅぐじん)」(鎌倉時代の説話集『続古事談』)、「宿神(しゅくじん)」となり、太古の昔から人々の意識の地下水脈を流れ続けてきたのだと。
中沢新一氏は、特に金春禅竹の『明宿集』に語られた猿楽の能の世界に注目。猿楽の能の世界の「翁」とは「宿神(しゅくじん)」であり、霊威激しい「大荒神」であり、天体の中心である「北極星」(宇宙の中心)と考える。
そして、中世の芸能者が篤く敬った社堂の真後ろにあり前の神仏の霊力の発動を促しつづける神霊こそが、「守宮神(しゅぐじん)」「宿神(しゅくじん)」の変化した存在だとみる。
日本列島にまだ国家も神社もなく神々の体系すら存在しなかった時代から、王権の発生と国家の形成は、神々の世界を体系化し、多種多様な神々の歴史を消し去ろうとするものであった。
しかし、体系化し消し去ろうとしても、民衆の意識の中に歴史を超えて脈々と伝えられ続けた信仰は、日本各地の神社の境内や路傍にひっそり佇む石の神々「ミシャクジ」「シャグジ」「サゴジ」として、芸能者の「守宮神(しゅぐじん)」「宿神(しゅくじん)」として、「古層の神」「基層の神」として生き続けてきたのだと。
太古の昔から現代の日本社会にも(特に芸能の世界に)、縄文の時代の基層信仰が生き続けていると教えてくれる良書である。基層の信仰に関心のある方にお勧めする。
スサノヲ(スサノオ)

◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(十三)
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、スサノヲ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)と牛頭天王(ごずてんのう)
祇園社(祇園御霊会)の祭神は「牛頭天王」(ごずてんのう)(※注1)とされているが、これも明治後スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)(※注2)に一本化され、八坂神社の祭神はスサノヲ命に改められた。スサノヲ命と牛頭天王は同体だということからである(同体化は、八坂神社創建の時点に遡る。社名も幾度も変わり実体を捉えるのは困難である。しかし、津島神社の同体化の経緯から探ることができそうだ)。
妻神・子神である合祀の女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちも、クシナダ姫と八柱の御子神とに変更された。女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちは、元々は、道教の神々であった。頗梨采女は「歳徳神」であり八王子は「大将軍」などの八方位神であったのである。
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、スサノオ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)と牛頭天王はなぜ、牛の頭?
インド仏教の祇園精舎の守護神・牛頭天王は、中国に渡り、民間信仰の道教と習合する。そして、牛頭天王は、道教の冥界の獄卒となる(もともとは「地獄」の獄卒)。
その他にも、道教と習合した仏教には、馬頭羅刹(めずらせつ)や閻羅王(閻魔)も登場することになる。その牛頭天王・馬頭羅刹が日本に伝来すると、それぞれ牛頭天王・馬頭観音(ばとうかんのん)へと変わっていくのだ。そこには、農耕文化と天神信仰との関わりがある。
天神信仰では、農耕の際、雨乞いの祭りをするのだが、そのときに犠牲を捧げるのだそうだ。それが牛や馬であった。牛・馬は家畜というよりも、もとは犠牲の動物だったのかもしれない。そうしたことから、牛・馬は神社と深い因縁があるようだ(「絵馬」は元来、馬の犠牲の名残である。京都では祈雨止雨の祈祷の際、馬が奉納された)。
古くは、「祇園社」では、牛を祭って天神の怒りを鎮め、疫病を防止しようとした。また、「牛」と菅原道真公(丑年生まれ)の関係も天神信仰に少なからずあるのかもしれない(「菅原道真の謎、怨霊伝説から天神信仰へ」を参照)。
(※注1) 牛頭天王(天竺の牛の頭に似た「牛頭山にいたと伝えられ、そこにあった栴檀が熱病に効くところから、疫病などを防除すると信じられた)は別名「武塔天王」(武装して手に塔を捧げ持つ毘沙門天と同体異名とされる)とされるが、牛頭天王=武塔天王は、スサノオ命(須佐之男命・素盞嗚尊)であると見なす所伝が古くからある。
(※注2) 八坂神社の創立については、『八坂郷鎮座大神之記』に「斉明天皇二年(六五六)、高麗から来た調進使の伊利之(いりの)が新羅国の牛頭山(ごずさん)にいます須佐之雄尊の御魂をもたらして八坂に祀ったという記述が『八坂社旧集録』に引用として記されている。
このことについては、『日本書紀』神代紀の一書に「素戔嗚尊・・・新羅の国に降到りまして曾尸茂梨(そしもり)の処に居します」とあり、このソシ・モリは韓語漢で牛・頭を意味するという。
スサノヲ(スサノオ)