◆正月祭りのフォークロア、日本の基層(一)
日本の年中行事の中で古来よりの祭りの色彩を最もよく残しているのが正月と盆である(日本人にとっては一年の大きな節目として冬至と夏至の二度あった)(※注1)。
かつては数え年で、正月(※注2)になると日本人はみな一つ歳を取った。また、正月には万物万霊(森羅万象)の魂が新しく生まれ変わるとされた。
それだけに正月の行事は種類も多く、心構えの上からも一年のうちで最も重視されてきたのである。(※注3)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 「盆と正月が一緒にきたような」といわれるように、正月と盆はハレの行事の二つの代表になっていて、いつも対比してみられてきた。
正月と盆とは不思議な対応と類似がみられる(年棚と精霊棚、門松と盆花とり、トンド焼きと迎え火・送り火、七日正月と七日盆など)。一年をきっちりと折半した形で、正月と盆とは半年を間において向かい合っているのである。
盆が七月の十四日・十五日を中心にしているのに対して、正月も十四日・十五日は小正月とか望正月といっていろいろの重要な行事がここに集中してみられる。ちょうど半年を間にした満月の夜に盆も正月も盛んな行事があるのである。
また正月朔日から大正月が始まるのに対して、盆のほうも七月一日を釜蓋朔日といって、地獄の釜の蓋が開いて、精霊たちがこの世に旅立ちをする日だといわれるし、この日に盆の路作りを始める地方もあり、盆も一日から始まるのである。
ただこの二つを同質同性格のものとするにはなお問題が残る。正月は季節の転換の祭り、農耕予祝の祭り、さらに祖霊の祭りといった総合的な性格を持っているのに対して、盆は祖霊・精霊の祭りが中心で性格は正月に比べ単純である。
(※注2) 正月は元々、年の初めにあって歳神の来臨を仰ぎ、その年の五穀豊穣を祈る、地域ぐるみの祭りであった。このために歳神の依り代として門松を立て、また不浄なものの侵入を防ぐために注連縄を張る。
さらに古風には、歳神を祀る年棚に御神酒や重ね餅を供えて灯明を点る。他方で、正月は祖先の霊が帰ってくる日でもあるので、この祖先の霊を迎えて祀る日とも考えられている。すなわち祖霊は年に二回、正月と盆に帰ってくるものとされていたのである。
しかし盆の方が仏教と強く結び付いたのに対して、正月の方は神道と結び付いたが、その神道も中世以降死の穢れのない清らかな祭りを強調するようになっていったため、正月が持つ祖先祭り(祖霊祭り、御魂祭り)の性格は極めて希薄なものとなっていった(西日本で今も残っている墓参り的風習は、その名残のようである。
(※注3) 日本人の「祖先崇拝」の中で、古代から最も重視されているのが「御魂祭り(祖霊祭り)」、すなわち「ご先祖様の祭り」である。
正月と七月の年二回、古くから収穫後の収納を完了した段階で祖霊を迎え、正月は米の、七月は麦の大規模な祭りを行っていた。
仏教伝来後、日本に伝統的にあった七月の御魂祭りは、仏教の「ウラバンナ(盂蘭盆)」と一緒になって、今日の盆になる。 正月行事も本来は、鏡餅に象徴されるように穀霊の祭りであるとともに、祖霊に供物を供える祭りであったのである。
また、春秋の彼岸も、本来は日本固有の祖霊祭りであった。日本人は、春秋二回の昼夜の長さが同じこの日、古くから御魂祭りを行っていた。
この春秋の御魂祭りには、祖霊のいる「常世の国」から、子孫がいる「この世」へ、祖霊が訪れると考えられていたのである。 仏教が伝来後の日本人の他界観は、海上の彼方の「常世の国」から、やがて阿弥陀如来のおわす「西方浄土」へと変わって行く。
このように日本人の古代聖俗観(宗教観、日本人の基層の世界観)とは、大自然とともに生き、その大自然に抱かれた魂の循環と再生のシステムへの素朴な信仰であることがわかる。
スサノヲ(スサノオ)
◆地域を幸せにするWebプロデューサー/神社魅力プロデューサー
http://www.ustream.tv/recorded/19336205
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