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◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(四)

2012年01月09日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:53 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(四)

◆◇◆神話の中に見る成年式(成人式)、神話的事実の直接体験(2) 

 『古事記』には「其の汝が持てる生大刀・生弓矢を以ちて、汝が庶兄弟をば坂の御尾に追ひ伏せ、亦河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神を為り、亦宇都志国玉神と為りて、其の我が女須勢理毘売を適妻と為て、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて居れ。是の奴よ」(そのお前が持っている生大刀と生弓矢で、お前の兄弟たちを坂のすそに追い伏せ、また川の瀬に追い払って、貴様がオオクニヌシ神=大国主神となり、またウツシクニタマ=神宇都志国玉神となって、その私の娘スセリビメ=須勢理毘売を本妻として、宇迦の山の麓に、底つ石根に、宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて住め。こやつめ」)とある。

 つまり、ここでスサノオ命(須佐之男命・須盞鳴尊)やヤソガミ(八十神)に与えられた試練・困難を乗り越えたオホナムヂ(大穴牟遅命=子供)は、スサノオ命(須佐之男命・素盞鳴尊=社会)によって認められ、オホナムヂ(大穴牟遅神=子供)としては死に、オオクニヌシ命(大国主命=大人、大国主命とは未成年の青年神オホナムヂが「成年」して得た名=スサノオ命がオホナムヂに投げ与えた名です)として再生することになるのである。

 この神話「大国主神の受難と根國行き」には成年式(成人に通過儀礼)の一連の過程が、このように物語らているのである(物語の構造)。

 通過儀礼としての試練の克服によって新たな力を身につけ、少年が大人になるという成年式の構造(大国主命になったことはオホナムヂの死であり、成年式ないしはそのシャーマン的形態である)をこの神話に見ることが出来る。

 古代社会では、成年式儀礼を終えて初めて結婚が許され、また大人の仲間入りが許された。スセリビメを本妻とすることを許されたのは、オホナムヂが成年式儀礼を終えたことを示している。オホナムヂは、根の国のスサノオ命の下で成年式儀礼を終え、さらに呪術師・祭司王としての資格を認められ、葦原中国の首長としてのオオクニヌシ命(大国主神)として新生したのである。

 様々な試練を乗り越えることでオホナムヂは結婚を許され、偉大な王としての資格を得たのである。そういった点で、この神話(及び前後の神話)自体が一種の成年式儀礼的な役割を果たしているといえるのかもしれない。(※注1・2・3)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 古代の人々は、死と再生の円還的循環(生命の永遠、霊魂の再生と循環)を通して、自然を畏敬し(共生し)、自然(生命の再生と循環システム、生きとし生ける者はすべて大地から生まれ大地に還る、多様性の中の共存)の懐に抱かれ調和してきたのである。

 また、神話の多義性(多様性・多面性)が指摘され、複数の立場からの解釈が神話の多様で多面的な側面を浮き彫りにするとされている。神話は時代や地域を超越する普遍的な側面と、そこに規定される特殊な側面とを共に含んでいるのである。

(※注2)神話と儀礼の関係については、古典的ないわゆる神話儀礼派(ロバートソン・スミス『セム人の宗教』、ジェームズ・フレーザー『金枝篇』、セオドー・ガスター『テスピス』など)による、すべての神話は儀礼の説明として生まれた、というような説もよく知られている。

 その後の神話研究の深まりは、C・レヴィ=ストロース(『神話論』『生ものと火にかけられたもの』『蜜から灰へ』『テーブルマナーの起源』『裸の人』など)などに代表されるように、神話の多義性(多様性・多面性)が指摘され、複数の立場からの解釈が神話の多様で多面的な側面を浮き彫りにするとされてる。

 神話は時代や地域を超越する普遍的な側面と、そこに規定される特殊な側面とを共に含んでいるのである。

(※注3)現代文明は神話的、非合理的な思考法から脱却すところから、学問研究の諸分野が形成され、近代的文明が形成されていきた。こうした科学技術の発展と文明の進歩は、人間の自然への畏敬の念を奪い、地球環境の汚染と破壊をもたらしている。

 現代人は、今一度、古代の人々が自然と宇宙の間に神秘で偉大な生命力を直感した壮大な想像力を思い起こさなければならないのかもしれない。神話が伝えてくれる古代人の精神(感性)が、一元的文化によって席捲される中、多様な文化の広がりをもたらし、多様性の中の共存の理念を築いてくれるかもしれない。

スサノヲ


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◆2012年 古事記編纂1300年記念

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」

この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。

しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。

2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。

また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。

古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。

スサノヲ (スサノオ)



◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(三)

2012年01月09日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:51 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(三)

◆◇◆神話の中に見る成年式(成人式)、神話的事実の直接体験(1) 

 成年式(puberty rite,puberty ritual)について『文化人類学事典』(弘文館)には、「子供から成人への移行を社会的に認知する儀礼で、通過儀礼の一種。(中略)成年式は、集団の成員権の変更よりも、一人前の大人へと移行するという個人に地位に変更を強調する儀礼であるということになる。(中略)子供としての個人は死に、一人前の大人としての生まれ変わるという、死と再生のモチーフが象徴的に示されることも多い。」と、

 また『日本民俗事典』(大塚民俗学会編・弘文館)には、「通過儀礼のうち、子供の社会から大人のそれへ仲間入りし、社会の公認を得るべき重要な儀礼。(中略)古くは一定の年齢に達した若者に『穴打ち』などの試練を課し、死と再生になぞらえたことも考えられ、成年式における名替えの習俗はこの観念に由来するとみられる」と記されている。

 成年式(成人への通過儀礼)とは、「死と再生」と「試練と困難」ということがキーワードとなる。子供(肉体的に子供から大人へと移行する青春期に)が試練や困難を与えられ一度死に、それを克服することによって(その試練を通過することによって)、大人となる(社会的に認められ大人へと再生する)一連の通過儀礼をいう(「神話的事実の直接体験」「宗教的な畏敬と恐怖体験」という直接的な体験や強烈な体験)。

 こうした成人儀礼の体験は、神話や民話の中にも見ることができる。

 古代の民俗社会(共同体社会、神話的世界観が社会的に共有されている伝承社会)の人々とって、その世界(神話的世界観)というものは、人々の生活と密接に関わりその社会(民俗社会、共同体社会)に多大な影響をもたらしていたのである。神話や伝承の世界は、生活共同体の中で共同認識に基づいて生じたものであり、共同体の信仰がなければ消滅してしまう集団的表象であったのである(古代の人々が何に感応し、何を価値として生きていたかが見える)。

 成年式もその一つがであった。また、神話の中で成年式のモチーフが、最も顕著に表れているのが『古事記』の出雲系神話・「大国主神の受難と根國行き」である。(※注1・2・3)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
 
(※注1) 神話(神話世界)を架空の想像話(創作話)であり、資料としての価値を低く見る見方もあるが、神話とは果たしてそれだけの存在なのであろうか(神話は客観的諸事実を示す歴史・史実とは異なるので、史料として扱うには慎重な考察が必要であるが)。

 神話は必ずしも架空の想像話(創作話)ではなく、古代の人々の精神生活が残した無形の財産であり、古代の人々の心(心象風景)を通して語り継がれてきた物語で、諸々の心理的事実が脚色されている。そこには民俗社会(民族社会)における宗教・道徳・政治・社会・生活・芸能など、ときには歴史学を超えた人間文化の深層心理が網羅されている(多面的な要素を抱合しています)。神話は、古代の人々の体験した智慧・叡智が凝縮されている集合体なのである(古代の叡智、忘れ去られた智慧)。

(※注2)神話の世界は、アニミズム(精霊崇拝)や普遍的な自然信仰を底流にし、宇宙の成り立ちから歴史上の事実と思われることへの探求、自然の力や人間の死後と再生への探求へと広がりをみせる。

 そのイメージは、経験的、客観的、合理的にみれば意味のない抽象的なもの(非合理的な思考によるもの)に思えるかもしれないが、神話学者のジョゼフ・キャンベルが述べているように、「詩的な、神秘的な、形而上的な」感覚をもってみれば、神話をイメージした古代人の死生観や世界観の精神構造(精神世界、民族の深層意識を語り継いだ物語)が浮かび上がってくる。

(※注3)神話(myth)は特定の社会(民俗社会・共同体社会、神話的世界観が社会的に共有されている伝承社会)において、人々によって真実と受けとめられている話である。神話の中に語られる出来事によって、現実の様々な事柄(事象)の存在の根拠が示され、基礎付けられる。

 多くの社会では、神話は聖性を帯びたものとして、ただの伝説や昔話ではなく特別なものとされる(範疇をなしています)。神話の出来事の起こったときは、単なる過去の一点ではなく、今ある事や物や秩序を基礎付ける「始原」あるいは「原古」の時であり、歴史時間を超えた実在する時間と考えらた。


スサノヲ (スサノオ)



◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(二)

2012年01月09日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:50 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(二)

◆◇◆成人式とは、試練や困難を克服し内的に成長・変化するための成人への通過儀礼であった

 日本人は同年齢の他の国の人と比べると、遥かに精神的に子供っぽいという印象があるとされる。社会に対する問題意識や責任感という点では相当に他の国と遅れているのかもしれない。

 ヨーロッパの多くの国では十八歳で成人と見なされ選挙権を得られるが、それだけで彼らが成熟した雰囲気を持つわけではあるまい。日本の社会は本来豊かで多様な体験をする機会を奪われているのではないだろうか。様々な豊かな体験に接する機会を通し、試練や困難に耐える強さや逞しさが現代日本文化に求められているのかもしれない。

 古代の人々は、人間的成長には不可欠な試練や困難を、成人儀礼の中において実践してきた。バンジー・ジャンプ(いまでこそレジャーであるが)は、かつてはタヒチなど南太平洋での成人儀礼の一つであった。またマサイの戦士が成人するために一人で獣と戦うともいわれている。

 シャーマンの候補者たちは、(この場合成人ではないが)シャーマンになるため、さまざまな方法により、高度な儀式において儀礼的・象徴的・擬似的な死と再生を経ますが、このような場合でも、例えば極寒の中で猟をするなど実際に生命を危険にさらす。つまり人間の成長の段階においては、たとえそれが実際に生命を失う危険であっても、リスクは必要とされていたのである。もし試練がなければ、試練を作り出すことが必要であった。

 成人儀礼(成人への通過儀礼)は、このように直接的な体験や強烈な体験を伴う必要があったのである。古代、成人儀礼において、成人になる際に体験するものは、近代的な意味での知識の伝授ということではなく、「神話的事実の直接体験」「宗教的な畏敬と恐怖」を体験することであった。

 こうした体験は深くかつ衝撃的なものであり、意識・無意識を含めた人格のまとまりを危険にさらすことにもなりかねない。それゆえ、民俗社会(共同体社会、神話的世界観が社会的に共有されている伝承社会)が儀式という守りの中でその場を提供し、かつその体験を認めることに大きな意味があったのである。

 しかし社会構造も価値観も変わってしまった現代の社会(現代文明)では、こうした機能は失われつつある。ですが時代が変わっても、子供から大人へと向かう心的・内的な成長・変化(子供としての心のあり方が、大人としての心のあり方へと質的に大きく成長・変化すること)のテーマは、現代においても一切変わらないのである。

 いや、古代よりこの「大人になること」というテーマは現代において重要さを増しているのかもしれない(今日の成人式のような形骸化した儀式では、質的な変化を伴う体験を望むことは出来ないが)。

(※注) 元々、祝日「成人の日」の起源については、終戦間もない一九四六年十一月二十二日に、埼玉県蕨市の青年団長・高橋庄次郎氏が主唱者となり企画した青年祭(会場の蕨第一学校でテントを張り最初のプログラムとして行われたのが「成年式」である。二十歳を迎えた成人者を招いて「今こそ、成年が英知と力を集結し、祖国再建の先駆者として自覚をもって行動すべき時」と激励し、前途を祝しました)が始まりである。目的は敗戦により、落ち込んでいた日本の次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますことであった。

 これが大好評で、蕨市では伝統行事として自分たちの祖国を、この町を平和で住み良い文化の高い町にしようする「成年式」として定着してゆく。蕨市では現在でも、成人の日には「成人式」ではなく「成年式」という名前を以来そのまま使い続けている。

 一九四八年、この「成年式」を作家山本有三氏を委員長とする国会文化委員会がモデルにして制定したのが、「成人の日」(小正月の一月十五日を「成人の日」として祝日になりました)である(満二十歳になった男女を、この日から成人とし、選挙権や結婚の自由などの権利が与えられ、社会人としての強い自覚と責任を認識することを求められます)。

 「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます日」が「国民の祝日に関する法」第二条「成人の日」に関する記述です。「国民の祝日に関する法」は敗戦後の一九四七年に皇室祭祀令が廃止され、一九四八年に新しくできた法律です。平成十二年(二〇〇〇年)より、日曜日と重なることを避けるために、一月十五日の成人の日をハッピーマンデー法に基づき、一月の第二月曜日に改正されました。

スサノヲ (スサノオ)


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◆2012年 古事記編纂1300年記念

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」

この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。

しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。

2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。

また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。

古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。

スサノヲ (スサノオ)



◆成人式の神話的元型、大国主の試練(ニ)

2012年01月09日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:35 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆成人式の神話的元型、大国主の試練(ニ)

※神話の成年式(二)

 二段目の試練とは何か? 母の力により死から再生したオホナムヂ(大穴牟遅)はその後、スサノオ命(須佐之男命)のいる地下界(根之堅州国)に逃れ、将来の妻となるスサノオ命(須佐之男命)の娘・スセリ姫(須勢理毘売)と出会う。

 しかしそこでも待っていたのは、スサノオ命(須佐之男命)による四つの試練であった。初めての夜は蛇のいる室(ムロ)に寝かされ、次の夜にはムカデと蜂がいる室に寝かされる。この2度の難局は妻となるスセリ姫(須勢理毘売)から渡されたヒレ(比禮)の力で切り抜ける。

 すると今度は、オホナムヂ(大穴牟遅)はスサノオ命(須佐之男命)から、野原に打ち込んだナリカブラ(鳴鏑)という矢を探せと命じられるが、その背後から火が放たれる。そこにネズミ(根棲み)が登場し、教えられるままに穴の中に隠れて、この試練も見事成就する。

 最後の試練では、やまたの大室と呼ばれる所でスサノオ命(須佐之男命)の髪の毛に棲むシラミを取れと命じられるが、よく見るとこれが実はムカデであった。スセリ姫(須勢理毘売)の知恵(椋の実と赤土でムカデを退治する)でこの難局もついに切り抜る。

 オホナムヂ(大穴牟遅)は、スセリ姫(須勢理毘売)とともに逃げることになる。夜、スサノオ命(須佐之男命)が眠りこけている間に髪の毛を一握りずつ柱にくくりつけて、入り口の戸の前に大きな石を置いて逃げる。

 その時、スサノオ命(須佐之男命)のもつ、権力の象徴である宝物のイクタチ(生大刀)、イクユミヤ(生弓矢)、アメノノリゴト(天詔琴)を奪い、地下界(根之堅州国)を脱出する。

 これに気づいたスサノオ命(須佐之男命)はヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)まで追ってくるのだが、ここで諦めてオホナムヂ(大穴牟遅)に「大国主」の名を命名し、二人を祝福するのである。

 スサノオ命(須佐之男命)がオホナムヂ(大穴牟遅)に言い放った言葉である。「その汝が持てる生太刀・生弓矢をもちて、汝が庶兄弟は坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神となり、また宇津都志国主神となりて、その我が女須世理毘売を嫡妻として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて居れ。この奴。」

 このスサノオ命(須佐之男命)が仕掛けた試練である「成年式」を経て、青年神オホナムヂは大人神である大国主となり、そこで出会った妻・スセリ姫(須勢理毘売)と結ばれることで、神聖王の条件である(大人の条件でもある)「豊穣さ」を獲得することになるのである。

 また、そこで得た神宝によって豊葦原中国の国造りを進めるのである。イクタチ(生大刀)、イクユミヤ(生弓矢)は武力権力の象徴を表すが、アメノノリゴト(天詔琴)は宗教的権威のしるしである。

スサノヲ (スサノオ)


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この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。

しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。

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また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。

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スサノヲ (スサノオ)



◆成人式の神話的元型、大国主の試練(一)

2012年01月09日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:31 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆成人式の神話的元型、大国主の試練(一)

※神話の成年式(一)

 成人の日の一月十五日(今は、第二月曜に変更)は、小正月に昔の成年式(成人式)がこの時に行われていたことからそうなったそうだ。その成年式の元型(アーキタイプ)が『記・紀』神話のオオクニヌシ命(大国主神)の神話にある。

 オオクニヌシ命(大国主神)の「大国主」とは、青年神であったオホナムヂ(大穴牟遅)が「成年」して得た名である。「成年」とは試練としての通過儀礼をくぐり抜けることであり、それは子どもの自分(青年神のオホナムヂ)が死んで大人の自分(成年神の大国主)として再生することである(一度死んで、新たに生まれ変わるということである)。

 オホナムヂ(大穴牟遅)が見事「成年」を果たし、試練の場を立ち去るとき、地下界(根之堅州国)の王・スサノオ命(須佐之男命)がオホナムヂ(大穴牟遅)に投げ与えた名こそ、「大国主」であった。はれて、オオクニヌシ命(大国主神)となったオホナムヂ(大穴牟遅)は地上界(豊葦原中国)の国造りに励むわけである。

 『古事記』に記述されているオホナムヂ(大穴牟遅)が受ける「成年」の試練は二段に分かれる。一段目は、八十神の迫害説話のなかの、兄弟神(八十神)から受ける二度の試練である。

 まずは、兄弟神から「我々が山から赤猪を追い出すから、麓でそれを受けとめろ」といい、兄弟神は赤く焼けた巨石を転がし、それをしっかり受けとめたオホナムヂ(大穴牟遅)は焼け死にする。さらに兄弟神は木に仕掛け(大木に割れ目を作り、クサビで止め)をされ、これに挟まれて死ぬ。

 その度に母神・サスクニノワカ姫(刺国若比売)が再生させる(生き返らせる)。この大地母神(グレート・マザー)のような母の力はどこから来るのであろうか。

 母神・サスクニノワカ姫(刺国若比売)は、我が子・オホナムヂ(大穴牟遅)が兄弟神(八十神)に殺されたことを知り、天に上っていって神々のいる高天原のカミムスビノ神(神産巣日命=.神魂命)に助けを請うのである。

 すると看護婦として赤貝の精の女神キサガイ姫(支佐加比比賣)とハマグリの精の女神ウムギヒメという、貝の二女神を派遣して、オオクニヌシの手当てをさせる。

 その治療法はキサガイ(赤貝)の貝殻を削って粉にしてウムガイ(蛤)の汁で練って体に塗りつけたのである。そうすると、大やけどはきれいに治り、オホナムヂ(大穴牟遅)は再生する。

スサノヲ(スサノオ)

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スサノヲ (スサノオ)