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◆神野山周辺の巨石群は、古代の磐座信仰か?

2007年03月08日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:41 Comments( 0 ) 古代史に見る日本文化考



◆神野山周辺の巨石群は、古代の磐座信仰か?

◆◇◆山添村の神野山周辺の巨石群は、星座を地上に投影したイワクラ(磐座)信仰を示すのか?

 奈良県山辺郡山添村の神野山周辺に点在する巨石群は、古代に信仰の対象となったイワクラ(磐座)ではないか?・・・。

 夏の大三角形を構成する星々と天の川を地上に投影したものではないか?・・・。

 山添村では、巨石研究の動きが活発化している。近く、「山添村いわくら研究会」を設立するほか、巨石研究に取り組む全国ネットワーク「イワクラサミット」の開催を計画するなど、太古の文明に対する関心が沸き起こっているのだ。

 山添村では、こうした不思議を研究する研究会を設立し、議論を活発にすることを計画しているようである。全国でイワクラ(磐座)を研究する自治体や民間研究者らが集い、2002年は秋田県で「第4回イワクラサミット、イワクラ・サミットin秋田」(秋田県田沢湖町と西木村の共同開催)開催された。

 山添村の神野山(高さ618.8メートル)周辺には、巨石が多く点在している。周囲の地質とは異なる岩石が幅二十五メートル、長さ約六百五十メートルにわたって密集している「鍋倉渓(なべくらけい)」のほか、神野山の山頂付近にある伝説上の姫の墓とされる王塚、山頂北側の高さ七メートル、幅八メートルもある八畳岩、東側の高さ二メートルを超える天狗岩など、なぜそこにあるのか説明の難しい岩石群が多数存在してる。

 特に「鍋倉渓(なべくらけい)」は、周辺が花崗(こう)岩質であるのに対し、火成岩の一種である角閃班糲岩(かくもんはんれいがん)が川のような形状で密集しており、前地質時代に山の表面が風化して土壌化する際に、堅い岩石だけが残ったとされているが、珍しい現象であるため、奈良県の自然公園の一部に指定されている。

 山添村には、神野山の天狗と上野(現在の三重県上野市)の天狗が喧嘩をし、岩を投げあったなどの伝承が残っている。こうした岩石群について、イワクラ(磐座)を研究する民間研究者の匠里都市研究所(大阪市)の柳原輝明所長が着目しました。

 王塚、八畳岩、天狗岩が、夏の大三角形を構成する白鳥座のデネブ、琴座のベガ、わし座のアルタイルの位置関係と一致する上に、「鍋倉渓(なべくらけい)」も天の川の位置に一致するとして、「天空の星の位置を地上に投影したものでは」とする説を打ち出している。

 巨大な岩を信仰の対象とする「イワクラ(磐座)」は全国各地にあり、ご神体として岩を祭る神社も数多くある。山添村にも、「山の神」信仰があり、巨石を祭る風習が今も残っている。柳原輝明氏(匠里都市研究所)は「古代人からのメッセージ」として、イワクラ(磐座)の可能性を指摘する。

 『日本超古代遺跡』などの著書がある歴史ノンフィクション作家の鈴木旭氏は、「神野山を中心に意味不明の岩がたくさんあり、忘れられたご神体としての重要な意味を持つのではないか。岩を神として祭るイワクラ(磐座)は、古代には山間部を中心に全国各地にあったが、長い年月のなかで破壊されてきた。山添村は、手つかずで残っている数少ない土地といえる」と話す。

※参考HP(ホームページ)

◆山添村のホームページ
http://www.vill.yamazoe.nara.jp/




スサノヲ(スサノオ)


◆奈良・山添村、神野山の巨石群は「天の鏡」

2007年03月04日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:27 Comments( 1 ) 古代史に見る日本文化考



◆奈良・山添村、神野山の巨石群は「天の鏡」

◆◇◆奈良山添村・神野山の巨石群(磐座=いわくら)はヘブンズ・ミラー(天の鏡)? 

 日本民俗学の先駆者・柳田国男は『遠野物語』の序に「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と書いた。

 山人とは「この島国に昔繁栄していた先住民の子孫である。その文明は大いに退歩した。古今3000年の間、彼らのために記された一冊の歴史も無い」と柳田国男は書く。

 遥か昔に、この日本列島に住み生きた人々(縄文人)のことである。この日本列島には、さらに古くから住み着き、文明を築いた人々の痕跡が残されている。

 その一つが2002年の4月に見つかった、奈良県山辺郡山添村の神野山周辺に点在する巨石群(4000年前と1万8000年前とする2つの説があり、これはデネブの位置から推定)である。もしこのことを柳田国男が知ったなら、さぞ驚いたに違いない。

 山添村の神野山(奈良県と三重県の境にある大和高原の山)周辺に点在する巨石群は、GPSの調査などで星座の位置が一致したため、夏の大三角形を構成する星々と天の川を地上に投影したものでないかと考えられている(夏の大三角形に対応する巨石が王塚=デネフ・天狗岩=アルタイル・八畳岩=ベガ、天の川がなべくら渓、蠍座のアンタレスに対応するのが竜王岩、古代七夕信仰の跡なのか? 北極星=神野寺があり古くは巨石か祭祀跡があったのか? 北野の明星岩は金星か? オリオンの三つ星に対応する巨石も見つかったそうだ)。

 グラハム・ハンコック氏の地上の遺跡は天体の星座などを写したものとする「ヘブンズ・ミラー(天の鏡)」説に似て大変興味深いものだ。

 また、名阪国道山添インター近くに「ふるさとセンター」を建築中に、工事現場の土中から巨大な円球(直径7メートル・700トン、コスタリカのような真円球)が姿を現し、大騒ぎとなった(長寿岩と命名されました)。

 不思議なのは円球の縦横十文字に走る線が刻まれており、自然の造形物にしては、あまりにも幾何学的すぎるのである(この地方だけに見られるものだが、弱まった太陽の復活を祈るために祭られたと考えられている)。

 この巨大な円球形の巨石から夏至の太陽が昇ってくる方向に神野山がある(神野山は古代太陽信仰の聖地であったようだ)。

 この近くの神野山の「なべくら渓」は、周辺の地質(花崗岩)と異なる石で、幅約25メートル、長さ約700メートルにわたって渓流のように連なっており(大小の黒い岩石が谷一面に累々と重なり)、まるで溶岩の流れのような奇勝だ(自然現象としてはまったく説明できないとされる。地元の昔話によると、神野山の天狗と伊賀の天狗がけんかして石を投げ合ったためにできたという)。

 また、「なべくら渓」の天の川を表している角閃班勵石(かくせんはんれいがん)は生駒山付近等で採掘される石で、山添村ではここでしか見られないものだ。

 さらに、神野山を夏至の方向に東へ行くと中峰山があり、そこにも巨石群の大亀石・手毬石・船岩などがあり、岩刻文字(ペテログリフ)などが残されている。

 今から数千年前から一万年前の昔、山添村に住み着いた人々が、こうした巨大な岩石を中心に、いくつかの石をそれを取り囲むようにして作った古代の人々の祈りの場であったのだろうか。

 神野山山頂を中心に周辺を調べると、同心円状に神社が配置されており、ほぼ等距離離れている。さらに、神野山の北側約1350メートルのところを東西に神社や古代の祭祀場が直線状に並んでいるのが読み取れる。これらの遺跡は、太陽の動きに対して何らかの祈りを捧げる儀式をしていたことは間違いないと思われる。

 しかし、巨石はいまの土木技術でも動かすのは大変なのに、古代の人はどんな風にして動かしたのであろうか? 山添村には、説明のできない太古の謎が数多く残されている。

 天の川の地上絵(ヘブンズ・ミラー=天の鏡)が出たことは、山添村ではちょっとした騒動となり、研究会が設立されるなど盛り上がりを見せている。

 山添村には、三つの代表的な山がある。神野山、茶臼山、高塚山の三山だ。最高峰は神野山で、まさに「神の山」「神体山」であった。また、山添村には、古くから山の神信仰があり、巨石を祭る風習が今も残っている神々の聖地だったのである。

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スサノヲ(スサノオ)


◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(一)

2006年10月16日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:47 Comments( 2 ) 古代史に見る日本文化考
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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(一)

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:なぜスサノヲ神話が作られたのか?

 『出雲国風土記』に登場するスサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚命・素戔嗚尊)は、おおらかな農耕的神であった。しかし、『記・紀』神話に登場するスサノヲ命は巨魔的な巨大な神として登場する。この落差は一体何を意味するのであろうか? しかも、『記・紀』神話のスサノヲ命は、高天原・葦原中国(出雲)・根の国(根之堅州国)と三界に登場する特殊な神として登場する。

 スサノヲ命は、『記・紀』神話の中で、この三界を繋ぎ、その中でも、出雲の神々を高天原の神々の下に位置付ける(天津神と国津神を分け、日本を天津神の支配とする)という大きな役割が科せられているようにも思える。それは、『記・紀』神話の中の「出雲系神話」と『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』の「出雲神話」の説話の内容の違いからも窺うことが出来る。

 『記・紀』神話の中の「出雲系神話」は、大和朝廷が本格的に中央集権化を推し進めるにあたり、新たに作られた『記・紀』神話の中の「高天原系神話」と政治的に結び付ける意図のもと、『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』の「出雲神話」を作り替えたと考えられる(推測できる)。

 その際、二つの神話を繋げる(結び付ける)大きな役割として、三界にまたがる重要な神の存在が必要とされたに違いない。その二つの神話を結び付ける神こそ、スサノヲ命(天津罪を犯し高天原を追われたとする神)であり、スサノヲ神話(地上に降り国津神の祖神となったとする神話)であったと考えられる。

 この「出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話」というテーマで、以下のことについて少し考えてみたいと思う。

 ①大和の大物主神(大物主命)と大和朝廷(:当初は大和朝廷も最高神として祀る)、②皇祖神・天照大神(天照大御神)と大和朝廷(:中央集権化の進展にあわせ氏神?から国家神へ)、③疎かに出来なかった出雲系の神々(:大和朝廷成立以前から古い政治的・文化的中心があった)、④死と再生の信仰・習俗を色濃く残す出雲(:死と再生の説話の多さと出雲系信仰)、⑤死者の国(冥府・他界)と妣の国(黄泉国・根の国)・出雲(:大和朝廷にとって負のイメージ・大和に対する反対概念と捉えられていた)、⑥死と再生を超越した至高の世界・高天原(:首長霊信仰にもとづき死のない特殊な世界観をもつ特権的世界)、⑦死者の国とは常世国・出雲(:本来は永遠に命が続く世界、海の彼方にある神々の世界であった)、⑧二つのスサノヲと二つの神話(おおらかな農耕的神と巨魔的神を繋げる『記・紀』神話の意味することとは)など、一つ一つ考察してみようと思う。


スサノヲ(スサノオ)