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◆カミと自然への限りなき畏敬、日本人の信仰の原点
太古より自然は、人智の及ばない大いなる存在であった。雨風や日照をコントロールすることなど、所詮人間にはできないものであった。
人間は、それでも自然を征服すべく戦い続けるか、それともうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結ぶしかできなかった。
豊かな森と水に恵まれた日本列島の日本人は、うまく折り合いをつけ自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだのである。
自然は、無限の恵みを与えてくれると同時に、自然は一瞬のうちにすべてのものを奪い去ってしまう。
そこで人々は、自然の織り成す森羅万象を「カミ」と呼び、豊作や大漁の豊穣をもたらしてくれた「カミ」をもてなし讃え、荒ぶる「カミ」を畏れ鎮めた。
人は、太古より自然共に生き、「カミ」と共にあったのだ。
スサノヲ (スサノオ)

◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(八)
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、スサノヲ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)の和御魂と荒御魂の合体
八坂神社に普段鎮座している、スサノオ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)は和御魂(にぎみたま)で、神のやさしい穏やかな面を持つ神とされている。久世駒形稚児(※注1)が送り出す上久世の綾戸国中神社(あやとくなかじんじゃ)(※注2)の祭神も、スサノヲ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)であるが、その荒御魂(あらみたま)と言って同じ神でも荒々しい烈しい面を持つ神といわれている。
一年に一度その両方の神様がお会いになり、一つにならないと(合体しないと)祇園祭は成立しないといわれている。祭りの要となる重要な役割として、長い間上久世の地で受け継がれてきた。稚児には綾戸国中神社の氏子のなかの、八歳から十一歳の男子を対象として選ばれる。
(※注1) 駒形と言うのは、稚児が首から掛けている馬の首の形をした木製の物である。この駒形を首に掛けて騎乗した時から綾戸国中神社の祭神の化身とみなされている。
八坂神社の神と同格の神の化身ですから、なんびとたりとも許されない騎乗のまま境内に入り、本殿にもそのまま乗りつける事が出来る(この参代の仕方は長刀鉾の「お稚児さん」にも許されていない)。平安時代末の「年中行事絵巻」にも駒形稚児が描かれているように、初期からその存在が確認されている。
(※注2) 上久世という八坂からは遠く離れた地から、祇園祭の重要な稚児が出るのはなぜであろうか。またその氏神である綾戸・国中神社と祇園社の関係はどのようなものであったのであろうか。
史料によれば、綾戸社は近世初期には「祇園駒之社」とも呼ばれ、現在の駒頭はもともと綾戸社と深い関係のあるものであり、また同時にこの駒頭をめぐる信仰が広く流布していたことが窺える。
また、近世の史料に「上久世駒形神人」の名が出てくることから、近世初頭には今日と同様に上久世の人々が祇園祭の神幸祭と還幸祭に奉仕していたことは確かであったようだ。
また平安時代末期に書かれたという『年中行事絵巻』の中に、駒頭を胸に抱き、馬に乗った稚児が祇園御霊会の御輿に供奉する姿が描かれていることから、少なくとも平安時代末期には、祇園会に駒形稚児らしき存在が関係していたがわかる。
スサノヲ(スサノオ)