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◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(一)
◆◇◆成人式の今日的意義とその起源
5~10年前の成人式では一部の若者が騒ぎ、成人式が混乱するという眉をひそめる報道を多く目にした。特に成人式の在り方が真剣に問われるきっかけになったのが、二〇〇一年の成人式で高松市のクラッカー事件をはじめ、高知県の橋本知事がヤジを叱り飛ばすなど、新成人のマナーの低下が叫ばれている。この機会に、現代社会での成人式の意味や意義をもう一度考えてみるべきなのかもしれない。
本来一月十五日(現在の成人式は一月の第二月曜日を祝日として行われる)は、全国で小正月の民俗行事(繭魂・餅花、粥占、歩射神事、田遊び・田楽祭などの予祝神事、ナマハゲ・ヘトマト)が多く行われる。
しかし、この日を中心として行なわれる小正月の行事が、成人の日という祝日があるために(人口が減少している農村・山村地帯でも)、小正月の行事が目立たなくなってしまった事は残念である(民俗行事の社会的機能が薄らいでしまう)。
昔は、歳は元日に家族揃って一緒に年齢を加える(数え歳)。男子は十五歳頃、女子は十三歳頃になると、祖霊とともに成人となるのを祝った。
ただ、旧暦の元日は新月で闇なので、望月(満月)の十五日に成人式(元服式)を行ったのである。これが「成人の日」の起源とされている。
この成人式(元服式)は、奈良時代、皇族や貴族の子弟が十五歳前後になると髪型を改め冠をかぶり、成人の仲間入りをするという儀式となる(烏帽子をつける「初冠」という儀式)。
さらに武家社会が始まると元服した成人は、一人前の印として常に自らの行動・発言に責任が求められた(冠をかぶり、幼名から成人の名前に変える「元服式」)。
江戸時代になると月代を剃る儀式となり、女子の場合は、髪を結い上げる「髪上げの儀」が成人を意味する儀式となる。
昭和の戦前の時代には、男の子は徴兵検査、女子は初潮祝いが大人への仲間入りとされていた。
現在でも全国各地で成人式が行われるのは、こうした歴史的経過を辿った成人式(元服式)・成女式の継承である。(※注1・2)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 戦後は戦地から戻り虚脱状態になった若者に希望を持たせようと埼玉県蕨市が「成年式」を行い、これが高く評価されて一九四八年七月)から一月十五日が「成人の日」として祝日になった。
「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます日」が「国民の祝日に関する法」第二条「成人の日」に関する記述である。
「国民の祝日に関する法」は敗戦後の一九四七年に皇室祭祀令が廃止され、一九四八年に新しく出来た法律である。
平成十二年(二〇〇〇年)より、一月十五日の成人の日をハッピーマンデー法に基づき、一月の第二月曜日に改正される。
(※注2) 成人式(成女式)は民族社会(共同体社会)における通過儀礼として最も重要なものの一つである。この儀式を終えると男女とも子供から一人前の大人になった事が認められ、婚姻が許されようになる。
また祭祀への参加を許されたり様々な義務を課せられる事で、民俗社会(共同体社会)に正式に受け入れられるのである。つまり、子供から大人になったことを認める民俗社会(共同体社会)の儀式なのだ。
日本各地の成人式は、大きく別けて「頭部装飾型(剃髪や結髪、烏帽子などの被り物をします)」「腰部装飾型(男子は袴、女子は腰巻などを贈ります)」「身体装飾型(鉄漿付け=お歯黒や文身=入れ墨を施す、お歯黒は一般には既婚の印と考えられますが元々は成女式に用いられたもの)」の三つのパターンに分類できる。
また成年式(成女式)の儀式の風習について、死と再生の信仰を象徴する儀式を背景(成年式・成女式の儀礼は生から死へ、さらに生への転換の儀式。男子には過酷な試練が、女子には家政能力を試みる儀式が認められます)に窺い知ることが出来そうである。
スサノヲ(スサノオ)
◆成人式の神話的元型、大国主の試練(ニ)
※神話の成年式(二)
二段目の試練とは何か? 母の力により死から再生したオホナムヂ(大穴牟遅)はその後、スサノオ命(須佐之男命)のいる地下界(根之堅州国)に逃れ、将来の妻となるスサノオ命(須佐之男命)の娘・スセリ姫(須勢理毘売)と出会う。
しかしそこでも待っていたのは、スサノオ命(須佐之男命)による四つの試練であった。初めての夜は蛇のいる室(ムロ)に寝かされ、次の夜にはムカデと蜂がいる室に寝かされる。この2度の難局は妻となるスセリ姫(須勢理毘売)から渡されたヒレ(比禮)の力で切り抜ける。
すると今度は、オホナムヂ(大穴牟遅)はスサノオ命(須佐之男命)から、野原に打ち込んだナリカブラ(鳴鏑)という矢を探せと命じられるが、その背後から火が放たれる。そこにネズミ(根棲み)が登場し、教えられるままに穴の中に隠れて、この試練も見事成就する。
最後の試練では、やまたの大室と呼ばれる所でスサノオ命(須佐之男命)の髪の毛に棲むシラミを取れと命じられるが、よく見るとこれが実はムカデであった。スセリ姫(須勢理毘売)の知恵(椋の実と赤土でムカデを退治する)でこの難局もついに切り抜る。
オホナムヂ(大穴牟遅)は、スセリ姫(須勢理毘売)とともに逃げることになる。夜、スサノオ命(須佐之男命)が眠りこけている間に髪の毛を一握りずつ柱にくくりつけて、入り口の戸の前に大きな石を置いて逃げる。
その時、スサノオ命(須佐之男命)のもつ、権力の象徴である宝物のイクタチ(生大刀)、イクユミヤ(生弓矢)、アメノノリゴト(天詔琴)を奪い、地下界(根之堅州国)を脱出する。
これに気づいたスサノオ命(須佐之男命)はヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)まで追ってくるのだが、ここで諦めてオホナムヂ(大穴牟遅)に「大国主」の名を命名し、二人を祝福するのである。
スサノオ命(須佐之男命)がオホナムヂ(大穴牟遅)に言い放った言葉である。「その汝が持てる生太刀・生弓矢をもちて、汝が庶兄弟は坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神となり、また宇津都志国主神となりて、その我が女須世理毘売を嫡妻として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて居れ。この奴。」
このスサノオ命(須佐之男命)が仕掛けた試練である「成年式」を経て、青年神オホナムヂは大人神である大国主となり、そこで出会った妻・スセリ姫(須勢理毘売)と結ばれることで、神聖王の条件である(大人の条件でもある)「豊穣さ」を獲得することになるのである。
また、そこで得た神宝によって豊葦原中国の国造りを進めるのである。イクタチ(生大刀)、イクユミヤ(生弓矢)は武力権力の象徴を表すが、アメノノリゴト(天詔琴)は宗教的権威のしるしである。
スサノヲ (スサノオ)
◆成人式の神話的元型、大国主の試練(一)
※神話の成年式(一)
成人の日の一月十五日(今は、第二月曜に変更)は、小正月に昔の成年式(成人式)がこの時に行われていたことからそうなったそうだ。その成年式の元型(アーキタイプ)が『記・紀』神話のオオクニヌシ命(大国主神)の神話にある。
オオクニヌシ命(大国主神)の「大国主」とは、青年神であったオホナムヂ(大穴牟遅)が「成年」して得た名である。「成年」とは試練としての通過儀礼をくぐり抜けることであり、それは子どもの自分(青年神のオホナムヂ)が死んで大人の自分(成年神の大国主)として再生することである(一度死んで、新たに生まれ変わるということである)。
オホナムヂ(大穴牟遅)が見事「成年」を果たし、試練の場を立ち去るとき、地下界(根之堅州国)の王・スサノオ命(須佐之男命)がオホナムヂ(大穴牟遅)に投げ与えた名こそ、「大国主」であった。はれて、オオクニヌシ命(大国主神)となったオホナムヂ(大穴牟遅)は地上界(豊葦原中国)の国造りに励むわけである。
『古事記』に記述されているオホナムヂ(大穴牟遅)が受ける「成年」の試練は二段に分かれる。一段目は、八十神の迫害説話のなかの、兄弟神(八十神)から受ける二度の試練である。
まずは、兄弟神から「我々が山から赤猪を追い出すから、麓でそれを受けとめろ」といい、兄弟神は赤く焼けた巨石を転がし、それをしっかり受けとめたオホナムヂ(大穴牟遅)は焼け死にする。さらに兄弟神は木に仕掛け(大木に割れ目を作り、クサビで止め)をされ、これに挟まれて死ぬ。
その度に母神・サスクニノワカ姫(刺国若比売)が再生させる(生き返らせる)。この大地母神(グレート・マザー)のような母の力はどこから来るのであろうか。
母神・サスクニノワカ姫(刺国若比売)は、我が子・オホナムヂ(大穴牟遅)が兄弟神(八十神)に殺されたことを知り、天に上っていって神々のいる高天原のカミムスビノ神(神産巣日命=.神魂命)に助けを請うのである。
すると看護婦として赤貝の精の女神キサガイ姫(支佐加比比賣)とハマグリの精の女神ウムギヒメという、貝の二女神を派遣して、オオクニヌシの手当てをさせる。
その治療法はキサガイ(赤貝)の貝殻を削って粉にしてウムガイ(蛤)の汁で練って体に塗りつけたのである。そうすると、大やけどはきれいに治り、オホナムヂ(大穴牟遅)は再生する。
スサノヲ(スサノオ)
◆神話の世界観、本能的に世界の本質を感じ取る
神話とは何か。この問いに対して多くの学者がさまざまに定義を試みてきた。
それらの学説は多岐にわたるが、例えばルーマニア生まれの宗教学・宗教史学者ミルチャ・エリアーデは「神話と現実」の中で次のように論ずる。
「神話は神聖な歴史を物語る、それは原初の時、『始め』の神話的時に起こった出来事を物語るものである。いいかえれば、神話は超自然者の行為を通じて、宇宙という全実在であれ、一つの島、植物、特定な人間行動、制度のような部分的実在であれ、その実在がいかにもたらされたかを語る。そこで、神話は、常に『創造』の説明であって、あるものがいかに作られたか、存在し始めたかを語る。」
今と違って、古代の人たちは素朴だが、純粋に、本能的に世界の本質を感じ取っていた。それを、物語として未来に伝えているのかもしれない。
もしかして、現在の緊張した国際社会、複雑な人間関係の中で生きる現代人にとって、神話が与えてくれる新しい視点は、新たな問題解決のヒントを与えてくれるかもしれない。
スサノヲ(スサノオ)
◆神話の死生観、死を発見し理解し概念として他者と共有した
死の概念は、人類の進化とともに現れてきた。
ネアンデルタール人は、死を理解し、死者に花を供えたという。日本でも、縄文時代草創期に長野県野尻湖の遺跡で、死者に花が供えられていたことが花粉分析によって確認されている。
人類以外の動物は死んだ仲間に花などを手向けない。人類が花を手向けたり、墓を作るのは、死を発見し、理解し、概念として他者と共有したからである。
死の発見は同時に、生の発見でもあったのではないだろうか。生の発見は、生命や霊魂についての観念、死後の世界や他界についての観念の生成を意味する。
つまり、宗教の誕生である。
人類の進化の歴史の上で、死の発見ほど偉大な発見はなかったと言っていい。それは精神世界のビックバンをもたらしたに違いない。
世界各地に伝わる死の神話や叙事詩は、人類の祖先による死の発見と他界観念の生成をめぐる物語である。
シュメールの女神イシュタルなどの神話は、日本神話のイザナミの国生みと黄泉の国神話と共通する部分がある。
日本の神話の中に、死生観を見てみますと、
1、イザナギ・イザナミ神話
2、アマテラス・スサノオ神話
3、スサノオ・オオクニヌシ神話
の中に見られるが、その中でも、1のイザナギ・イザナミの黄泉の国の神話に、生と死を分かつ物語が集約されている。
物語は、高天の原から天下り、二神の結婚により大八島および神々が生まれる。イザナミは、火の神カグ土に焼かれ黄泉の国へいく。
イザナギは悲しみ黄泉の国へ探しに行くが「見るな」の禁忌を破りイザナギの姿を見てしまう。イザナギは逃げて、黄泉比良坂で事戸渡しする。この後、イザナギは、死穢の禊祓により三貴神の誕生となる物語である。
黄泉比良坂では、神々を生み出したイザナミが、死後一転して一日に千人ずつ人間をくびり殺す恐怖の死の神、黄泉津大神となり、イザナギは、されば一日に千五百人の人間を生もうと宣言する。
このようにイザナミは、生と死の両界の創造者であり、死には、生者を死へと引きずり込もうとする力が内在すると考えられていたのだ。
その死の力の影響を払拭する方法が、「『吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。故、御身の禊ぎせむ』とのりたまひて筑紫の日向の小門の阿波岐原に到り坐して禊祓ひたまいき」と記されているように、死の力を祓い清める行為である。
禊ぎ祓われたわけであるが、そこに三貴神(アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ)の誕生となるのである。ここに生と死のダイナミックな循環のメカニズムを持つ死生観が見えてくる。
神話とは、神と人と世界の始原を説く物語である。ここから学び取る事は、多々ありそうだ。
スサノヲ(スサノオ)