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◆陰陽五行説と陰陽道、日本の年中行事(一)

2007年01月23日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:14 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆陰陽五行説と陰陽道、日本の年中行事(一)

◆◇◆日本のあらゆる文化に深く浸透した陰陽五行思想と陰陽道

 日本には年中行事(宮中で一年のうち特定の時期に、慣例として行われた儀式がもとになり、それが武士や民間の間に流布して今日の形態になる)として、お正月の祝に始まって大晦日の行事まで本当に数多くの行事をする。

 だが、私たちはその歳時の起源とか意味を考える事なく、昔から伝承されているからとしてあまり意識をしない。

 しかし、現代に伝わる様々な年中行事には、陰陽五行思想がこうした年中行事や伝統文化(田楽・狂言・能・猿楽・幸若舞・歌舞伎・相撲・華道・茶道など)に対して大きな影響を与えている(日本文化のあらゆるレベルに浸透し、祭り・行事・習俗などに多大な影響を与えている)。(※注1)

 陰陽五行思想とは、宇宙を形成する原理(陰陽の二元的原理)と万物を貫く普遍的記号(木・火・土・金・水の五行=五気)によって世界を説明しようとする思想である(宇宙の森羅万象を陰陽の二元的原理と五つの要素に分類して解釈する思想)。

 言い換えると、世界を原理的・構造的に把握し、その原理に基づいて包括的に世界を読み解く体系ともいえる。この思想は六世紀の中頃、中国より伝来した仏教に前後して移入された。

 つまり、様々な日本の年中行事の由来が、陰陽五行思想から読み解くことができるのである(私たちが純粋に仏教行事・神道行事として行っている行事の中に、この陰陽五行思想が奥深く浸透して、日本の祭事となって伝承されている)。(※注2)

 また、陰陽五行思想、特に陰陽道(陰陽五行説に基づいて森羅万象の背後に秘められた世界の意味と働きを解読し、人事百般の指針を得ることを目的とした思想と技術の全体をいう)が日本の歴史に与えた影響は非常に大きなものがあった(古代・中世・近世・近代の大きな事件には常に陰陽道の影が見え隠れする。また神道や教派神道に与えた影響は相当に大きなものがあった。日本列島に住む人々が陰陽五行説をすんなり受け入れた背景には、それがある種のアニミズム的世界観だったからである)。(※注3)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 陰陽道(古代中国の陰陽五行説の思想に基づいて、天文・暦法・占術などの学問的なものから天人相関思想による祥瑞災異など読み解く思想であり、日本において体系化された呪術・祭祀に至るまでを包括したもの)の影響を受けた年中行事は非常に多く、次のような行事がある。

 元旦の四方拝・恵方詣・書き初め・凧上げ・羽根突き・屠蘇・七草・どんど焼き・節分の追難式・雛祭り・虫送り・端午の節句・夏越しの祓・御中元・重陽の節句・七五三・大祓など。これらは、いずれも陰陽道の予祝・禁厭・祓除・厄除け・延命招福の呪法と関係する。

(※注2) 陰陽五行思想とは、陰陽説と五行説という二つの哲学的な思想が合体したものである。陰陽説は、「易」に由来する宇宙生成論の一種で、万物を能動的・昂進的状態である「陽」と受動的・沈静的状態である「陰」の二つに大別し、それらが和合・循環することで万物の生成・消滅といった変化が発生するとする考えである(宇宙の原初は天地・陰陽が分かれていない混沌とした状態=太極と考えた)。

 『易経』には「易に太極あり、これ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず」とあるように、この太極(原初・始原の混沌とした状態)から相反する陰陽二つの状態(両儀)に別れ、その二気の消長と循環によって万物の事象が生じ、しいては未来の予想を行うと考えた。

 さらに五行説は、自然界や人間社会の諸現象など森羅万象の生成・変化を説明する原理で、木・火・土・金・水という五つの要素を考えた。これらの気(五つの要素)が循環することで森羅万象の生成・変化が行われると考えたのである(五行の「行」という字には「巡る・運行」という意味がある)。

 このように陰陽五行思想は、古代中国で別々に成立した陰陽説と五行説は結びつき、宇宙生成原理はもちろん人間の生き方(道徳)をも含むものに発展していく。

 つまり、 宇宙に存在する森羅万象を「陰・陽」二元(二気)の働きによって説明し、次に「木・火・土・金・水」の五行(五気)による運行により判断を下すという思考スタイルといえる。

(※注3) 陰陽(易の思想、陰陽の二元→四象→八卦)と五行(木・火・土・金・水に気の働きを還元する思想)は、中国神話によると、フツキ(半蛇人)とウ王(人面魚体)に、万物の秘密を凝縮した神秘図(河図)とこの世界を治めるための根本を示す天与の書(洛書)という形で与えられたという。フツキ(半蛇人)は「河図」を基に八卦を編み出し、ウ王(人面魚体)は「洛書」を基に五行を編み出したという。

 その後、フツキ(半蛇人)とウ王(人面魚体)の後を受けて現れた聖人の文王(周の王、紀元前十二世紀)や孔子(紀元前五五一~四七九年頃)だとされている(この易の由来譚は陰陽五行説と儒教を結び付けるための説話と考えられます。こうした結び付きから、天人相関思想・天子思想・天命思想・天譴災異思想が生まれた)。


スサノヲ(スサノオ)


◆小正月、トンド祭りとトンド焼き

2007年01月23日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆小正月、トンド祭りとトンド焼き

「トンド祭り」と「トンド焼き」、興味がわいたので、調べてみた。

(一)トンド祭りとトンド焼き(正月の火祭り)、鬼火、道祖神祭とサイノカミ焼き

 正月の飾りや書初めなどを持ち寄って、一年の家内安全を祈りながら焼くことを「トンド」という。正月の松飾りや書き初めなどを焼く左義長(さぎちょう)行事を出雲や隠岐ではドンドさん(歳神祭り)、あるいはトンド焼きという。

 毎年一月十四日夕(七日、十四日、十五日など、地域により違いがある。四日間開かれところもある)、集落の正月行事として行ってきた「トンドさん」は、太い青竹を立て、それを取り囲むようにして稲わらを立て並べる。

 その根元には各家々から持ち寄ったしめ縄などの正月飾りを積み上げてトンドという聖なる火で燃やし、歳神を送るのがトンド行事である。

 トンドの火は聖なる火で、この火に当たると風をひかないとか病気をしないと言われた。トンドの火で正月もちを焼き、家族全員で分け合って食べ家内安全を祈る。

 トンドで燃やす書き初めが、空に高く舞い上がるほど書が上手になると言われ、子どもたちはぼうぼうと燃える炎に向かって小さな手を合わせたり、また、火が燃え盛り、青竹の節が大きな音をたてて弾けると、みんなで「トンドやーい」と大声ではやしたりする。

 地域により違いがありますが、トンド祭り・トンドさん(歳神祭り)が二日から三日間開かれ、四日はフィナーレの御輿(みこし)巡行やトンド焼きが地区を挙げて繰り広げられる。

(二)「トンド」の名について、

 この「トンド」の名については、火の燃え盛る音からでたという説や、「尊い」という意味の「トウト」からきているという説もあります。七草を前夜はやすときも、「トウト トウト 唐土の鳥が、日本の国に、渡らぬさきに、民、民、富めよ・・・」の「トウト」と同じだという。

(三)左義長(さぎちょう)行事

 左義長(さぎちょう)の起源とされる説については、中国の爆竹から来たというのがある。燃やす時に竹を入れて、その破裂する音をわざとたてる。竹の音が大きくはぜると縁起がよいとされている。

(四)トンドさん=歳神=正月の年神様=穀物神=大歳=ニギハヤヒ命(饒速日命)=スサノヲ命(須佐之男命)ほ第五子?

 秋田男鹿半島の小正月の行事の「なまはげ」、この鬼たちも「年神様」のようである。「なまはげ」のような「訪れ神」「来訪神」は全国にさまざまな形で存在する。こういった神を、民俗学者の折口信夫は「まれびと」と表現している。

 中部地方以北では「サイトバライ」「サイノカミ」「サイト焼き」「サイトウバライ」などというところが多くある。「サイノカミ」を「道祖神」と呼んだりもしている。


スサノヲ (スサノオ)