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◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(一)

2007年01月07日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(一)

◆◇◆成人式の今日的意義とその起源

 5~10年前の成人式では一部の若者が騒ぎ、成人式が混乱するという眉をひそめる報道を多く目にした。特に成人式の在り方が真剣に問われるきっかけになったのが、二〇〇一年の成人式で高松市のクラッカー事件をはじめ、高知県の橋本知事がヤジを叱り飛ばすなど、新成人のマナーの低下が叫ばれている。この機会に、現代社会での成人式の意味や意義をもう一度考えてみるべきなのかもしれない。

 本来一月十五日(現在の成人式は一月の第二月曜日を祝日として行われる)は、全国で小正月の民俗行事(繭魂・餅花、粥占、歩射神事、田遊び・田楽祭などの予祝神事、ナマハゲ・ヘトマト)が多く行われる。

 しかし、この日を中心として行なわれる小正月の行事が、成人の日という祝日があるために(人口が減少している農村・山村地帯でも)、小正月の行事が目立たなくなってしまった事は残念である(民俗行事の社会的機能が薄らいでしまう)。

 昔は、歳は元日に家族揃って一緒に年齢を加える(数え歳)。男子は十五歳頃、女子は十三歳頃になると、祖霊とともに成人となるのを祝った。

 ただ、旧暦の元日は新月で闇なので、望月(満月)の十五日に成人式(元服式)を行ったのである。これが「成人の日」の起源とされている。

 この成人式(元服式)は、奈良時代、皇族や貴族の子弟が十五歳前後になると髪型を改め冠をかぶり、成人の仲間入りをするという儀式となる(烏帽子をつける「初冠」という儀式)。

 さらに武家社会が始まると元服した成人は、一人前の印として常に自らの行動・発言に責任が求められた(冠をかぶり、幼名から成人の名前に変える「元服式」)。

 江戸時代になると月代を剃る儀式となり、女子の場合は、髪を結い上げる「髪上げの儀」が成人を意味する儀式となる。

 昭和の戦前の時代には、男の子は徴兵検査、女子は初潮祝いが大人への仲間入りとされていた。

 現在でも全国各地で成人式が行われるのは、こうした歴史的経過を辿った成人式(元服式)・成女式の継承である。(※注1・2)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 戦後は戦地から戻り虚脱状態になった若者に希望を持たせようと埼玉県蕨市が「成年式」を行い、これが高く評価されて一九四八年七月)から一月十五日が「成人の日」として祝日になった。

 「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます日」が「国民の祝日に関する法」第二条「成人の日」に関する記述である。

 「国民の祝日に関する法」は敗戦後の一九四七年に皇室祭祀令が廃止され、一九四八年に新しく出来た法律である。

 平成十二年(二〇〇〇年)より、一月十五日の成人の日をハッピーマンデー法に基づき、一月の第二月曜日に改正される。

(※注2) 成人式(成女式)は民族社会(共同体社会)における通過儀礼として最も重要なものの一つである。この儀式を終えると男女とも子供から一人前の大人になった事が認められ、婚姻が許されようになる。

 また祭祀への参加を許されたり様々な義務を課せられる事で、民俗社会(共同体社会)に正式に受け入れられるのである。つまり、子供から大人になったことを認める民俗社会(共同体社会)の儀式なのだ。

 日本各地の成人式は、大きく別けて「頭部装飾型(剃髪や結髪、烏帽子などの被り物をします)」「腰部装飾型(男子は袴、女子は腰巻などを贈ります)」「身体装飾型(鉄漿付け=お歯黒や文身=入れ墨を施す、お歯黒は一般には既婚の印と考えられますが元々は成女式に用いられたもの)」の三つのパターンに分類できる。

 また成年式(成女式)の儀式の風習について、死と再生の信仰を象徴する儀式を背景(成年式・成女式の儀礼は生から死へ、さらに生への転換の儀式。男子には過酷な試練が、女子には家政能力を試みる儀式が認められます)に窺い知ることが出来そうである。


スサノヲ(スサノオ)


◆成人式の神話的元型、大国主の試練(ニ)

2007年01月07日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆成人式の神話的元型、大国主の試練(ニ)

※神話の成年式(二)

 二段目の試練とは何か? 母の力により死から再生したオホナムヂ(大穴牟遅)はその後、スサノオ命(須佐之男命)のいる地下界(根之堅州国)に逃れ、将来の妻となるスサノオ命(須佐之男命)の娘・スセリ姫(須勢理毘売)と出会う。

 しかしそこでも待っていたのは、スサノオ命(須佐之男命)による四つの試練であった。初めての夜は蛇のいる室(ムロ)に寝かされ、次の夜にはムカデと蜂がいる室に寝かされる。この2度の難局は妻となるスセリ姫(須勢理毘売)から渡されたヒレ(比禮)の力で切り抜ける。

 すると今度は、オホナムヂ(大穴牟遅)はスサノオ命(須佐之男命)から、野原に打ち込んだナリカブラ(鳴鏑)という矢を探せと命じられるが、その背後から火が放たれる。そこにネズミ(根棲み)が登場し、教えられるままに穴の中に隠れて、この試練も見事成就する。

 最後の試練では、やまたの大室と呼ばれる所でスサノオ命(須佐之男命)の髪の毛に棲むシラミを取れと命じられるが、よく見るとこれが実はムカデであった。スセリ姫(須勢理毘売)の知恵(椋の実と赤土でムカデを退治する)でこの難局もついに切り抜る。

 オホナムヂ(大穴牟遅)は、スセリ姫(須勢理毘売)とともに逃げることになる。夜、スサノオ命(須佐之男命)が眠りこけている間に髪の毛を一握りずつ柱にくくりつけて、入り口の戸の前に大きな石を置いて逃げる。

 その時、スサノオ命(須佐之男命)のもつ、権力の象徴である宝物のイクタチ(生大刀)、イクユミヤ(生弓矢)、アメノノリゴト(天詔琴)を奪い、地下界(根之堅州国)を脱出する。

 これに気づいたスサノオ命(須佐之男命)はヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)まで追ってくるのだが、ここで諦めてオホナムヂ(大穴牟遅)に「大国主」の名を命名し、二人を祝福するのである。

 スサノオ命(須佐之男命)がオホナムヂ(大穴牟遅)に言い放った言葉である。「その汝が持てる生太刀・生弓矢をもちて、汝が庶兄弟は坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神となり、また宇津都志国主神となりて、その我が女須世理毘売を嫡妻として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて居れ。この奴。」

 このスサノオ命(須佐之男命)が仕掛けた試練である「成年式」を経て、青年神オホナムヂは大人神である大国主となり、そこで出会った妻・スセリ姫(須勢理毘売)と結ばれることで、神聖王の条件である(大人の条件でもある)「豊穣さ」を獲得することになるのである。

 また、そこで得た神宝によって豊葦原中国の国造りを進めるのである。イクタチ(生大刀)、イクユミヤ(生弓矢)は武力権力の象徴を表すが、アメノノリゴト(天詔琴)は宗教的権威のしるしである。


スサノヲ (スサノオ)