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◆成人式の神話的元型、大国主の試練(一)

2007年01月06日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆成人式の神話的元型、大国主の試練(一)

※神話の成年式(一)

 成人の日の一月十五日(今は、第二月曜に変更)は、小正月に昔の成年式(成人式)がこの時に行われていたことからそうなったそうだ。その成年式の元型(アーキタイプ)が『記・紀』神話のオオクニヌシ命(大国主神)の神話にある。

 オオクニヌシ命(大国主神)の「大国主」とは、青年神であったオホナムヂ(大穴牟遅)が「成年」して得た名である。「成年」とは試練としての通過儀礼をくぐり抜けることであり、それは子どもの自分(青年神のオホナムヂ)が死んで大人の自分(成年神の大国主)として再生することである(一度死んで、新たに生まれ変わるということである)。

 オホナムヂ(大穴牟遅)が見事「成年」を果たし、試練の場を立ち去るとき、地下界(根之堅州国)の王・スサノオ命(須佐之男命)がオホナムヂ(大穴牟遅)に投げ与えた名こそ、「大国主」であった。はれて、オオクニヌシ命(大国主神)となったオホナムヂ(大穴牟遅)は地上界(豊葦原中国)の国造りに励むわけである。

 『古事記』に記述されているオホナムヂ(大穴牟遅)が受ける「成年」の試練は二段に分かれる。一段目は、八十神の迫害説話のなかの、兄弟神(八十神)から受ける二度の試練である。

 まずは、兄弟神から「我々が山から赤猪を追い出すから、麓でそれを受けとめろ」といい、兄弟神は赤く焼けた巨石を転がし、それをしっかり受けとめたオホナムヂ(大穴牟遅)は焼け死にする。さらに兄弟神は木に仕掛け(大木に割れ目を作り、クサビで止め)をされ、これに挟まれて死ぬ。

 その度に母神・サスクニノワカ姫(刺国若比売)が再生させる(生き返らせる)。この大地母神(グレート・マザー)のような母の力はどこから来るのであろうか。

 母神・サスクニノワカ姫(刺国若比売)は、我が子・オホナムヂ(大穴牟遅)が兄弟神(八十神)に殺されたことを知り、天に上っていって神々のいる高天原のカミムスビノ神(神産巣日命=.神魂命)に助けを請うのである。

 すると看護婦として赤貝の精の女神キサガイ姫(支佐加比比賣)とハマグリの精の女神ウムギヒメという、貝の二女神を派遣して、オオクニヌシの手当てをさせる。

 その治療法はキサガイ(赤貝)の貝殻を削って粉にしてウムガイ(蛤)の汁で練って体に塗りつけたのである。そうすると、大やけどはきれいに治り、オホナムヂ(大穴牟遅)は再生する。


スサノヲ(スサノオ)


◆神話の世界観、本能的に世界の本質を感じ取る

2007年01月06日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆神話の世界観、本能的に世界の本質を感じ取る

 神話とは何か。この問いに対して多くの学者がさまざまに定義を試みてきた。

 それらの学説は多岐にわたるが、例えばルーマニア生まれの宗教学・宗教史学者ミルチャ・エリアーデは「神話と現実」の中で次のように論ずる。

 「神話は神聖な歴史を物語る、それは原初の時、『始め』の神話的時に起こった出来事を物語るものである。いいかえれば、神話は超自然者の行為を通じて、宇宙という全実在であれ、一つの島、植物、特定な人間行動、制度のような部分的実在であれ、その実在がいかにもたらされたかを語る。そこで、神話は、常に『創造』の説明であって、あるものがいかに作られたか、存在し始めたかを語る。」

 今と違って、古代の人たちは素朴だが、純粋に、本能的に世界の本質を感じ取っていた。それを、物語として未来に伝えているのかもしれない。

 もしかして、現在の緊張した国際社会、複雑な人間関係の中で生きる現代人にとって、神話が与えてくれる新しい視点は、新たな問題解決のヒントを与えてくれるかもしれない。


スサノヲ(スサノオ)