Posted by 滋賀咲くブログ at
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◆「年越し」と「過ぎ越し」の行事(祭り)

2006年12月24日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:59 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆「年越し」と「過ぎ越し」の行事(祭り)

今回は日本の「年越し」の行事とユダヤの「過ぎ越し」の行事(祭り)の共通点について書きたいと思う。

◆「年越し」と「過ぎ越し」の行事(祭り) 

※「年越しの行事(祭り)」については、

 日本の「年越し」は、夜は起きながら新年を迎え、年が替わると大体の多くの日本人は、神社へ初詣に出かける。そして、今でこそ日本の正月は「正月三ケ日」と言われるが、その昔の正月は七日間であったようだ。

 年始には、三段に積んだ鏡餅を(鏡モチ二段の上にみかんを載せる場合あり)飾り、それを後で割ってから食す。これを鏡開きという。

 さらに、古代の人は、年に2回の「大祓い」を行っていたようだ。お正月から6月末までの罪穢れは「夏越の大祓い]で清め、7月から年末までの罪穢れは「年越しの大祓い」で清めるといった具合である。

 お正月から6月までの時期は、ちょうど冬至から夏至に向かう時期。だんだん日が長くなっていき、陽の気がどんどん増していく時期である。そして、夏至でもっとも極まったあと、7月から年末までの時期はどんどん日が短くなって行く。陰の気が巡り始めるだ。

 そして、冬至で陰が極まり、そこからまた新たな「陽」が始まっていくのである。このように、一年のうちで大きく分けて2つの時期があった。これは、大宇宙のリズムでもある。そして、わたしたち人間の体や霊的な活動にも、このリズムが大きく影響しているようなのである。

 古代の日本人はこのようなリズムを体験的に知っていたようだ。それで、リズムが変わる時期にそれまで溜まった罪穢れを祓い、新たなリズムの始まりを迎えるための「大祓い」を行なうのである。このようにして、半年間積み上げてきた無形の罪穢れを祓うことが、古来からある「夏越の大祓い]と「年越しの大祓い」の基本的な意味であったと思われる。

※「過ぎ越しの祭り」については、

 ユダヤ人の「過ぎ越しの祭り」は、ユダヤ歴で新年を祝う祭りで、ユダヤ人は新年を迎える日は眠らずに夜を過ごす。そして新年に入ってからもまとめて七日間、祭りの期間が続く。

 又、ユダヤ人はこの時、何故かパンにイースト菌を入れず、練った小麦粉をそのまま焼いて食す。よって、パンは膨らまずにしぼんだ感じになるが、これは日本でいうところの餅に似ている。

 餅というのは元々、米から作られる物ではなく、ヒエやアワから作り、小麦粉団子の様相を呈していたというから、ユダヤ人のこのパンに非常によく似ている。

 更に、ユダヤ人はこのパン(マツォトと言われ、別名では「ハ・モチ」といいます)を丸く平べったい形にして祭壇に重ねて供える。これは、日本の鏡餅の役割とそっくりである。

 この様に日本人とユダヤ人の習慣は、互いによく似た新年の行事を行っている。さらに、ユダヤ人は日本の「門松」に似た「常磐枝(ときわえだ)」という物を飾る。


スサノヲ(スサノオ)


◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(十)

2006年12月24日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 09:00 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(十)

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(9)

 日本列島は春夏秋冬の四季に恵まれ、花鳥風月の四季の移ろいは、人々の風土と文化をかたちづくってきた基層となっている。春の花、梅雨の長雨、夏の緑、秋の台風・紅葉、そして冬の雪などは、日本の自然の豊かさの象徴でもある。

 私たちは、このような四季の自然の移り変わりを、当然のように享受しているが、実は、このような多彩な、しかもめり張りのある季節の移り変わりは、地球上、どこにでもあるわけではない。チベット高原・ヒマラヤ山脈の大山塊が、大気大循環の季節変化に大きく作用した結果、この山塊の風下側に位置する列島に現れた現象なのだ(※注1)(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)夏に至る時期には、チベット高原は大気を強く暖め、南のインド洋から大陸へと湿った空気の流れ、即ちモンスーンの気流を強めるが、その湿った気流の本流は高原の障壁効果と地球の自転効果で高原の東側、すなわち東アジア方面に向かう。

 一方、高原の北を迂回して乾いた偏西風も東アジアに南下して、南からの湿ったモンスーン気流と出会う。そこにできた不連続線が、梅雨前線だ。冬には、チベット高原が巨大な壁のように寒気を大陸内に塞き止め、時折風下側に、冷たい北西季節風として東アジアに溢れだす。暖かい日本海で熱と水蒸気をたっぷり供給されたこの季節風は、日本海側に大雪をもたらすことになる。

 こうした日本の気候の変化は、日本人に四季折々の風情や文化(習俗、文学、芸術など)を生み出した。哲学者の和辻哲郎はその著書『風土―人間学的考察』の中で、人間の精神はその風土に強く影響されると主張した。風土とは単に気候や地理的条件だけではなく、地質や地味、景観などを広く含んだ概念であるが、和辻は大きく三つの風土(アジアのモンスーン的風土、アラビア半島を中心にした砂漠的風土、そしてヨーロッパの牧場的風土という三つの類型を設定しました)を考え、それぞれの風土がどのような人間の精神を形作ってきたかを明らかにしようとした。

 和辻の風土論は、現在学問的には厳密さを欠くものと考えられているが、しかし人間の精神のあり方が、それらの人々の住む自然のあり方に大きな影響を受けて形成されるということは間違いないことのようだ。

(※注2)日本人の考えた神々は自然現象の神格化(また観念の神格化)であり、こうした神々を総称して「八百万の神」という(後に、各氏族の祖先神=氏神などの人格神が現れる)。

 日本人は自然の織りなす森羅万象(山川草木・生きとし生けるものすべて)に神が宿るという汎神論的な多神教の世界観を持ち、自然現象の中に霊的なものの存在を認めるアニミズム的神観念(精霊崇拝)を持っていた。

 日本の神は無限の恵みをもたらす神であると同時に、一瞬のうちに略奪の限りをつくす荒ぶる神でもあったのである(こうした両義性を持つ神に対し、豊穣をもたらす神をもてなし荒ぶる神の怒りを鎮め、祭りを通して崇拝してきた)。

 また、そのような神に対して、日本人は心情の純粋さを尊び、谷川の流れのように澄み切った濁りなき誠実さを尊んだのである。これが「明き・清き・直き・正しき心」(人間は本来、神の分魂と考えられました)である。

 この神に対して欺き偽るといった心(汚き心)がないこと、神の意志に一致している心である清明心は後代には事物や人に対して偽ることのない心情と考えられ、素直な心、天真な心、私心のない心、正直な心、誠の心というように日本人の倫理・道徳的心情となっていった。

 また聖俗の区別は美醜や清浄不浄と同一視され、罪とは身に付着した外面的な穢れ(日本人は血や死などの穢れを非常に忌み嫌いました)とされ、禊ぎや祓い(精進潔斎や人形祓いなど)によって取り除くことのできるものと考えられた(穢れを排除し、生命の輝きを取り戻そうとした古代の人々の思想であり、大自然に抱かれた魂の循環と再生のシステムである)。

 こうしたニッポン教ともいうべき聖俗観は、今日まで連綿と受け継がれているのだ。




スサノヲ(スサノオ)