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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(四)

2006年12月16日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:59 Comments( 1 ) 神話に見る日本文化考
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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(四)

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(3)

 縄文土器(蛇体装飾の土器)には、縄文人の世界観(死生観・宇宙観)が表れていそうだ(蛇はシャーマニズムとも深く関係し、シャーマンは自分の霊力を示すために、蛇を手なずけていたようである)。それは、蛇に象徴される死と再生の円環的世界観(森の思想・命の共生と循環)である。

 これは森とともに生き、森の永劫の死と再生の循環の中に身を委ねていた縄文人にとって自然な感覚であったと思われる。蛇は死と再生(復活・循環)を繰り返す大地の霊そのものであると考えられていたようなのだ(森が破壊されていくとともに、蛇を神とする世界観は失われ、蛇を邪悪のシンボルとみなされていく)(※注1)。

 縄文後期以降になると、縄文土器は、突如として消滅してしまう(おどろおどろしいまでの情念の造形=荒ぶる藝術から、静謐さと単調さの造形=寡黙な職人の工芸へと変化)。

 しかし、なぜか神話・説話・民話のなかに再び甦るのである。その例として、『常陸国風土記』に出てくる蛇神・ヤト(夜刀神)、諏訪地方に伝承されていた蛇神・ミシャグジ、出雲系神話のヤマタノオロチ(八俣大蛇)、それと大和・三輪山のオオモノヌシ(大物主神)である。

 夜刀神や八俣大蛇は蛇神であり、自然の猛威を神格化した自然神とされ、ともに英雄によって退治される悪神とされている。これは、猛威をふるう縄文の神を弥生人が退治したという説話とも考えることができそうだが…。果たしてどうであろうか?(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)古代人にとって蛇は、旺盛な生命力・繁殖・豊穰のシンボルとして考えられていたようだ。蛇は古い皮を脱ぎ捨てて脱皮を行う生き物であることから、新しい身体を得て生まれ変わる様子に、古代人は再生・治療・永遠の命を見ていたと考えられる。

 蛇信仰にまつわる伝承は多く、夜刀神伝承、ミシャグジ伝承、八俣大蛇伝承、箸墓伝承などがあり、蛇の古語「カカ」から類推すると、鏡(蛇の丸い目)、案山子(蛇をデフォルメ)などは蛇を見立てたものと考えられ、正月の「鏡餅」は蛇がトグロを巻いた形とされ、関西に多い丸餅は蛇の卵の造形であるとも云われている。

 ふと身の回りを見渡すと、現在の日本の習俗や行事に蛇の象徴(カミの具象としての蛇)に溢れていることに気付く。時代が下り文明化されていく中で、蛇信仰は表面から姿を消していくが(やがて稲作文化の拡大とともに、蛇信仰は水の神や農耕神の信仰へと変質していく)、蛇信仰そのものは隠された形で脈々と今日まで受け継がれきたのだ(今日に至るまで、隠れた地下水のように脈々と流れ続けて、日本の文化や日本人の精神構造に深く根を下ろしてきたのである)。

(※注2)日本には太古から蛇信仰があったことは知られている(縄文人が蛇に寄せた強烈な思いの源は、生命の根源・強さに対する憧れや希求、生命力と再生力への崇拝、死と再生の循環のシンボル、水と母なる大地への信仰など、それらすべてが凝集して神与のものと考えられ、その象徴が蛇として捉えられたようだ)。

 縄文土器の縁や把手に無数の蛇が描かれているし、そもそも縄文の「縄(なわ)」そのものが蛇の表現ではないかとされている(注連縄なども)。全国には山そのものを御神体とした神社も多く、それらを「神奈備山(かんなびやま、神山)」とか「御諸(みもろ)・御室(みむろ)」と呼ぶ。

 その代表例が大和の三輪山で、この三輪という名前そのものが蛇がトグロを巻いている姿(円錐形の姿)を表しているとされている。また三輪山の神・オオモノヌシ(大物主神)は古来より蛇神で、水神・雷神であるとされていた。




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