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◆秋分の日と秋の彼岸の中日(四)
◆◇◆皇室の祭祀、大祭と小祭
皇室の祭祀において、神武天皇と先の天皇の祭祀は大祭、それから三代前までの天皇の祭祀は小祭として行われる。また、それ以外の皇祖(皇室の御祖先)については、年に二回、春と秋に「皇霊祭」として行われる。歴代天皇すべての天皇について個別に祭祀を行っていては、却って疎かになってしまうかもしれないということで、このような形がとられるようになったそうだ。
これらの皇室の祭祀はすべて宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の中の皇霊殿で行われる。また、神武天皇祭、孝明天皇例祭、明治天皇例祭、大正天皇祭、昭和天皇祭については墓所でも祭祀が行われる。
◆◇◆春季皇霊祭・秋季皇霊祭
明治維新は政治的にも武家の政治(江戸幕府)を終焉させ近代民主国家への道を切り開くものであったが、宗教界にも大きな変革を強要した。その中心が江戸時代にキリスト教対策で重視されていた寺を排斥・弱体化(神仏判然令・廃仏毀釈運動)させるとともに、明治維新の原動力(尊王攘夷運動と王政復古の波、平田学と後期水戸学)の一つとなった国学(本居宣長・平田篤胤など)の流れを汲む国家神道を樹立して、全国の神社を皇室に縁の深い伊勢神宮を頂点とするヒエラルキーに組み込もうと計った(近代社格制度の整備とは、伊勢神宮をトップとした神社のランク付け)。
この動きはいわば皇室の神道の普遍化(国家神道は、天皇の宗教的権威の中心に皇室神道と神社神道とを直結し、皇室の祭祀を基準に神社の祭祀を画一的に再構成すること)を狙ったものともいえるが、そのため初期の段階では歴代の天皇の命日を全て新暦に換算した上で、その命日すべてをお祀りする(祭祀儀礼をする)、という企画が立てられた。
しかし天皇といっても初代神武から、明治天皇の先代の孝明天皇まで百二十一代に及んでいるので、これを全て命日のお祀りをするのは、実際やってみると非常にたいへんことであった。そこで明治政府は早々にこの方法に根を上げて、結局神武天皇の命日(四月三日)と孝明天皇の命日(一月三十日)のみを残して、あとは民間でも先祖供養の日としている春・秋のお彼岸に春季皇霊祭・秋季皇霊祭としてまとめてお祀りすることになったものだ。
春季皇霊祭・秋季皇霊祭は明治十一年に祝日として定められ太平洋戦争の終わりまで続いた。戦後の春分の日・秋分の日は戦前のそういう趣旨は排除した上で、もともとの民間の先祖供養の日としての趣旨のお彼岸を復活させたものである。春季皇霊祭・秋季皇霊祭は宮中行事・皇室の祭祀として行われる。
宮中行事・皇室の祭祀の春季皇霊祭・秋季皇霊祭は、三月の春分の日と九月の秋分の日(彼岸の中日)に、天皇家の祖先を崇める祭りである。天皇が皇霊殿で玉串を捧げて拝礼し、告文を奏する。続いて、神殿でも親祭が行われる。皇霊殿では「東遊(あずまあそび)」と呼ばれる雅楽が奉納される。
◆◇◆皇室祭祀
明治十四年に制定された「皇室祭祀令」に基づいて行われる。大祭と小祭に分けられ、大祭は天皇自らが行い、小祭は掌典長(しょうてんちょう)(天皇家の私的内廷組織)が指揮する。天皇はそれに拝礼する形をとる。皇室祭祀は、主として吹上御苑(ふきあげぎょえん)にある宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で行われるが、先帝を祀る山稜でも行われる。戦前は、こうした祭祀には総理大臣はじめ多くの参列者があったが、昭和二十年の「政教分離」により、今では天皇家の私的行事の色彩が濃くなっている。
スサノヲ(スサノオ)

◆秋分の日と秋の彼岸の中日(三)
◆◇◆春季皇霊祭・秋季皇霊祭(こうれいさい)と宮中行事、皇室の祭祀
宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)のひとつ、皇霊殿には、歴代天皇・皇族方の御霊がお祀りされている。明治以前は、仏式により寺院や宮中のお黒戸に霊碑を奉祀しされちたが、明治天皇は、これを神式に改められ、皇霊殿において春秋ニ季の皇霊祭を行うことを制定された。
春分・秋分の日は彼岸の中日として、古くから先祖の御霊を祀る日とされていたが、明治十一年に明治天皇がこの日を皇霊祭の祭日に定められたことにより休日となり太平洋戦争の終わりまで続いた。
現在では、戦後の春分の日・秋分の日は戦前のそういう趣旨は排除した上で、もともとの民間の先祖供養の日としての趣旨のお彼岸を復活させたものである。皇室では、春秋ニ季の皇霊祭は宮中行事・皇室の祭祀として現在に至っている。
◆◇◆春秋ニ季の皇霊祭(宮中行事)は、祖先供養の風習を仏教色をのぞいて宮中行事化したもの
春分の日(三月二十一日頃)と秋分の日(九月二十三日頃)、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「先祖をうやまい、亡き人をしのぶ」ということで、日本の仏教では、平安時代のころから春秋に彼岸会(ひがんえ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれていた。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(ちゅうにち)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の極楽浄土に往生出来ると信じられていた。
しかし本来祖霊崇拝の思想は仏教にはなく、日本古来の風習が仏教と習合したと考えられている。明治以来宮中で行われる春秋ニ季の皇霊祭は、祖先供養の風習を仏教色を除いて宮中行事化したものにほかならない。春分・秋分の日の趣旨は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「先祖をうやまい、亡き人をしのぶ」という日本本来の自然観に立ち返ったものといえる。
◆◇◆春季皇霊祭・秋季皇霊祭と皇室の祭祀
「春分の日」「秋分の日」は皇祖皇宗を祀る「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」の日である。皇祖とは天照大神から初代の神武天皇までの皇室の祖先で、 皇宗とは第二代天皇以降の歴代の天皇のことだ。
戦前に春分には「春季皇霊祭」、秋分の日には「秋分の日」が行われ、つまり皇室のお彼岸であってだ。これが宮中行事化していったのである。他にも以下のように、皇室の皇祖皇宗を祀る祭祀は年に七回行われている。
1月7日 昭和天皇祭 (大祭) 昭和天皇崩御日に行われる
1月30日 孝明天皇例祭(小祭) 孝明天皇崩御相当日に行われる
3月21日 春季皇霊祭 (大祭) 皇室の御祖先祭神殿では「春季神殿祭」が行われる
4月3日 神武天皇祭 (大祭) 神武天皇崩御相当日に行われる
7月30日 明治天皇例祭(小祭) 明治天皇崩御日に行われる
9月23日 秋季皇霊祭 (大祭) 皇室の御祖先祭神殿では「秋季神殿祭」が行われる
12月25日 大正天皇祭 (小祭) 大正天皇崩御日に行われる
スサノヲ(スサノオ)