◆秋分の日と秋の彼岸の中日(三)

2006年09月23日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 18:23 │Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考
◆秋分の日と秋の彼岸の中日(三)


◆秋分の日と秋の彼岸の中日(三)

◆◇◆春季皇霊祭・秋季皇霊祭(こうれいさい)と宮中行事、皇室の祭祀

 宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)のひとつ、皇霊殿には、歴代天皇・皇族方の御霊がお祀りされている。明治以前は、仏式により寺院や宮中のお黒戸に霊碑を奉祀しされちたが、明治天皇は、これを神式に改められ、皇霊殿において春秋ニ季の皇霊祭を行うことを制定された。

 春分・秋分の日は彼岸の中日として、古くから先祖の御霊を祀る日とされていたが、明治十一年に明治天皇がこの日を皇霊祭の祭日に定められたことにより休日となり太平洋戦争の終わりまで続いた。

 現在では、戦後の春分の日・秋分の日は戦前のそういう趣旨は排除した上で、もともとの民間の先祖供養の日としての趣旨のお彼岸を復活させたものである。皇室では、春秋ニ季の皇霊祭は宮中行事・皇室の祭祀として現在に至っている。

◆◇◆春秋ニ季の皇霊祭(宮中行事)は、祖先供養の風習を仏教色をのぞいて宮中行事化したもの

 春分の日(三月二十一日頃)と秋分の日(九月二十三日頃)、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「先祖をうやまい、亡き人をしのぶ」ということで、日本の仏教では、平安時代のころから春秋に彼岸会(ひがんえ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれていた。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(ちゅうにち)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の極楽浄土に往生出来ると信じられていた。

 しかし本来祖霊崇拝の思想は仏教にはなく、日本古来の風習が仏教と習合したと考えられている。明治以来宮中で行われる春秋ニ季の皇霊祭は、祖先供養の風習を仏教色を除いて宮中行事化したものにほかならない。春分・秋分の日の趣旨は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「先祖をうやまい、亡き人をしのぶ」という日本本来の自然観に立ち返ったものといえる。

◆◇◆春季皇霊祭・秋季皇霊祭と皇室の祭祀

「春分の日」「秋分の日」は皇祖皇宗を祀る「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」の日である。皇祖とは天照大神から初代の神武天皇までの皇室の祖先で、 皇宗とは第二代天皇以降の歴代の天皇のことだ。

 戦前に春分には「春季皇霊祭」、秋分の日には「秋分の日」が行われ、つまり皇室のお彼岸であってだ。これが宮中行事化していったのである。他にも以下のように、皇室の皇祖皇宗を祀る祭祀は年に七回行われている。

1月7日 昭和天皇祭 (大祭) 昭和天皇崩御日に行われる
1月30日 孝明天皇例祭(小祭) 孝明天皇崩御相当日に行われる
3月21日 春季皇霊祭 (大祭) 皇室の御祖先祭神殿では「春季神殿祭」が行われる
4月3日 神武天皇祭 (大祭) 神武天皇崩御相当日に行われる
7月30日 明治天皇例祭(小祭) 明治天皇崩御日に行われる
9月23日 秋季皇霊祭 (大祭) 皇室の御祖先祭神殿では「秋季神殿祭」が行われる
12月25日 大正天皇祭 (小祭) 大正天皇崩御日に行われる


スサノヲ(スサノオ)


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