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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(三)
◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、十五夜「芋名月」と十三夜「豆名月」
仲秋の名月の日、全国各地の神社では、秋の風情を楽しむ観月祭(かんげつさい)が行われる。また、十五夜に次いで月が美しいといわれた十三夜 (旧暦九月十三日) にも、月見の宴が催された。里芋とつながりのある十五夜を「芋名月」と呼ぶのに対し、豆、栗の収穫時期と重なる十三夜を「豆名月」、「栗名月」ともいい、これらはお菓子の銘にもなっています。なお、「片見月 (かたみづき) 」といって、十五夜だけを鑑賞して、十三夜を見ないことを忌む考え方も江戸時代後期には見られた。
秋は無事に育った稲を収穫する喜びの季節である。各地の神社では、秋の収穫を感謝する秋祭りが行わる。秋祭りでは、その年初めての新穀=初穂(はつほ)を神さまに感謝の気持ちを込めてお供えする。神さまへのお供物を初穂と総称するのはこのことに由来する。これから全国で、秋祭りが行われていく。
◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、満月と祭り、満月信仰と観月民俗
月見については、いまでは中秋のものだけが特別扱いされるだけだが、もともとは毎月の満月が特別な節目(祭り、ハレ)であったようだ。旧暦一月十五日に小正月というものがあるが、実は元旦の正月は官製のもので、民衆レベルでは小正月こそが正月である。民衆レベルでは毎月の中心は満月の夜であったのだ(古来より、月見は毎月の「小さな」正月であった)。
古代、月が全く出ない夜というのは、恐ろしい物の怪(鬼や魔物)の住む闇の世界であった。闇夜は、古代人にとって何よりも怖いものであったのである。そうしたとき、人々は一所に集まり、一晩中騒ぎまわって闇の恐ろしさを紛らわしたという。
それだけに明るい月が上って、煌々と住居の中まで照らしてくれる夜は、どんなにか人々を安らげたことであろう。月の満ち欠けを暦代わりにして農耕を営んでいた古代人にとって、月は農耕の神として信仰の対象であり、月に寄せる想いは今日の私たちが考える以上に深いものがあったようだ。
スサノヲ(スサノオ)