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◆夷【恵比須、蛭子】信仰と結びついた神

※今宮戎神社の行事 例大祭「十日戎」
「商売繁盛でササ持って来い」の掛け声も威勢よく始まった大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)の例大祭「十日戎」は、九日(宵宮)・十日(本ゑびす)・十一日(残り福)の三日間斎行される。この戎(えびす)信仰とは何か。
※夷【恵比須、蛭子】(えびす)様の正体とは、
タイを抱え釣り竿を肩にしてニコニコ笑っている「エビス様」この笑顔を「エビス顔」といい、室町時代には七福神の一人となる。この一般によく知られている「エビス様」の正体がよく分からない、といわれている。
イザナギ命(伊邪那岐命)とイザナミ命(伊邪那美命)の二人の間に産まれた最初の子であり、不具の子・水蛭子(蛭児・ひるこ)は「子の例(かず)に入らず」と葦船に乗せられて流し捨てられた神様である。その後、この水蛭子は摂津国(兵庫県と大阪府の一部にまたがる地域)・西宮に流れ着いたとされている。
また、女性神の日神・ヒルメ(日女)に対する男性神の日神・ヒルコ(日子)であったのではないかという考えもある。この出自のよく分からない神様は、「エビス」の総本山である西宮神社に鎮座している。
もう一つの神様はコトシロヌシ命(事代主命)である。コトシロヌシ命(事代主命)はオオクニヌシ命(大国主命)の第三子で、出雲の国譲りの話に登場する。天津神の使者が出雲にやってきた時、、国を譲るようにオオクニヌシ命(大国主命)に迫る。
その時、御大の前で釣りをしていたコトシロヌシ命(事代主命)は、アメノトリフネ(天鳥船)を使って呼び戻され、父であるオオクニヌシ命(大国主命)の前で、天津神である彼らに従う旨を伝える。コトシロヌシ命(事代主命)は、天の逆手を打って船を覆し、青紫垣に変えてその中に隠れてしまった。
さらに、広田神社の神官で、神社の再建に力を出し、神功皇后が朝鮮から帰還の時、タイを釣って、祝宴を設け、この功により西宮神社の祭神となったという「夷(えびす)三郎」である、という説もある。
漁民の民間信仰によると「エビス」は水死人のこと、それを拾うと豊漁になるといわれている。また地方によって鯨、鮫、いるか、流木などを指す場合もある。
これらにはブリやカツオが着いていることもあり、大漁をもたらすものでもあったそうだ。いうなれば海上を漂いながら辿り着く「漂着神」であり、異郷からやってくるもの「エビス」とはそのような意味があった。それがいつの間にか時代が変わると七福神の一人となり、大漁の神と変化していくのである。
西宮夷社に接して魚の市場が設けられ商人はその魚を販売していく足場として各地に「夷社」が勧請され、そこが交易の場となってゆく。さらに、西宮の神社の雑役をつとめながら「人形あやつり」や神社の領布を行う「夷かき」とか「夷舞い」と呼ばれた「くぐつ」などの芸能の徒の活動が加わってゆく。
スサノヲ(スサノオ)
◆成人式、象徴的な死と再生の通過儀式(四)
◆◇◆神話の中に見る成年式(成人式)、神話的事実の直接体験(2)
『古事記』には「其の汝が持てる生大刀・生弓矢を以ちて、汝が庶兄弟をば坂の御尾に追ひ伏せ、亦河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神を為り、亦宇都志国玉神と為りて、其の我が女須勢理毘売を適妻と為て、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて居れ。是の奴よ」(そのお前が持っている生大刀と生弓矢で、お前の兄弟たちを坂のすそに追い伏せ、また川の瀬に追い払って、貴様がオオクニヌシ神=大国主神となり、またウツシクニタマ=神宇都志国玉神となって、その私の娘スセリビメ=須勢理毘売を本妻として、宇迦の山の麓に、底つ石根に、宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて住め。こやつめ」)とある。
つまり、ここでスサノオ命(須佐之男命・須盞鳴尊)やヤソガミ(八十神)に与えられた試練・困難を乗り越えたオホナムヂ(大穴牟遅命=子供)は、スサノオ命(須佐之男命・素盞鳴尊=社会)によって認められ、オホナムヂ(大穴牟遅神=子供)としては死に、オオクニヌシ命(大国主命=大人、大国主命とは未成年の青年神オホナムヂが「成年」して得た名=スサノオ命がオホナムヂに投げ与えた名です)として再生することになるのである。
この神話「大国主神の受難と根國行き」には成年式(成人に通過儀礼)の一連の過程が、このように物語らているのである(物語の構造)。
通過儀礼としての試練の克服によって新たな力を身につけ、少年が大人になるという成年式の構造(大国主命になったことはオホナムヂの死であり、成年式ないしはそのシャーマン的形態である)をこの神話に見ることが出来る。
古代社会では、成年式儀礼を終えて初めて結婚が許され、また大人の仲間入りが許された。スセリビメを本妻とすることを許されたのは、オホナムヂが成年式儀礼を終えたことを示している。オホナムヂは、根の国のスサノオ命の下で成年式儀礼を終え、さらに呪術師・祭司王としての資格を認められ、葦原中国の首長としてのオオクニヌシ命(大国主神)として新生したのである。
様々な試練を乗り越えることでオホナムヂは結婚を許され、偉大な王としての資格を得たのである。そういった点で、この神話(及び前後の神話)自体が一種の成年式儀礼的な役割を果たしているといえるのかもしれない。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 古代の人々は、死と再生の円還的循環(生命の永遠、霊魂の再生と循環)を通して、自然を畏敬し(共生し)、自然(生命の再生と循環システム、生きとし生ける者はすべて大地から生まれ大地に還る、多様性の中の共存)の懐に抱かれ調和してきたのである。
また、神話の多義性(多様性・多面性)が指摘され、複数の立場からの解釈が神話の多様で多面的な側面を浮き彫りにするとされている。神話は時代や地域を超越する普遍的な側面と、そこに規定される特殊な側面とを共に含んでいるのである。
(※注2)神話と儀礼の関係については、古典的ないわゆる神話儀礼派(ロバートソン・スミス『セム人の宗教』、ジェームズ・フレーザー『金枝篇』、セオドー・ガスター『テスピス』など)による、すべての神話は儀礼の説明として生まれた、というような説もよく知られている。
その後の神話研究の深まりは、C・レヴィ=ストロース(『神話論』『生ものと火にかけられたもの』『蜜から灰へ』『テーブルマナーの起源』『裸の人』など)などに代表されるように、神話の多義性(多様性・多面性)が指摘され、複数の立場からの解釈が神話の多様で多面的な側面を浮き彫りにするとされてる。
神話は時代や地域を超越する普遍的な側面と、そこに規定される特殊な側面とを共に含んでいるのである。
(※注3)現代文明は神話的、非合理的な思考法から脱却すところから、学問研究の諸分野が形成され、近代的文明が形成されていきた。こうした科学技術の発展と文明の進歩は、人間の自然への畏敬の念を奪い、地球環境の汚染と破壊をもたらしている。
現代人は、今一度、古代の人々が自然と宇宙の間に神秘で偉大な生命力を直感した壮大な想像力を思い起こさなければならないのかもしれない。神話が伝えてくれる古代人の精神(感性)が、一元的文化によって席捲される中、多様な文化の広がりをもたらし、多様性の中の共存の理念を築いてくれるかもしれない。
スサノヲ