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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(七)

2006年12月19日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:59 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(七)

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(6)

 三輪山の大物主神の信仰は、三輪山周辺を支配していた火・水・死と再生を司る山の神の精霊であり(雷神・蛇神でもある)、高天原系部族の来住以前に大和に住む先住族が崇拝していた国魂の神であった。

 また、ヤマトタケル命(倭建命)の説話では、伊吹山の荒ぶる神を退治しようと出かけたところ、その山の神は大蛇となって道を遮り、雲をおこし、雹を降らせたという。山の神は蛇体となるだけでなく、時には白猪や白鹿となって現れる。

 このように日本の山の神は、三輪山の大物主神や伊吹山の荒ぶる神のように、山の神→蛇、坂の神→鹿などと、神の使い(attribute)・神の具現としての山河の荒ぶる姿として登場してくる(世界の神話にも多く見られる)(※注1)。

 『記・紀』神話のなかには、大物主神の出現をどのように描写しているのであろうか。オホナムチ命(大穴牟遅命・大穴持命・大己貴命)の国作り説話のなかで、海を照らして依り来る神(この時に海を光して依り来る神ありき『古事記』。時に神しき光、海を照らして、忽然に浮かび来る者あり『日本書紀』)と述べている。

 海を照らす神は、豊穣をもたらすマレビトであり、原初の太陽神・海神であったのだ。古代の人々にとって自然がそのまま神(太陽・大地・山・火・水・樹木・岩石など自然のすべてに神が宿るとするアニミズム)であり、神がそのまま自然であったのである。人間はこの自然の懐に抱かれ、生きてきたのだ(生かされてきたのである)(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)神話の世界は、アニミズム(精霊崇拝)や普遍的な自然信仰を底流にし、宇宙の成り立ちから歴史上の事実と思われることへの探求、自然の力や人間の死後と再生への探求へと広がりをみせる。

 そのイメージは、経験的、客観的、合理的にみれば意味のない抽象的なもの(神話的、非合理的な思考によるもの)に思えるかもしれないが、神話学者のジョゼフ・キャンベルが述べているように、「詩的な、神秘的な、形而上的な」感覚をもってみれば、神話をイメージした古代人の死生観や世界観の精神構造(精神世界、民族の深層意識を語り継いだ物語)が浮かび上がってくる。

 古代の人々は、死と再生の円還的循環(生命の永遠、霊魂の再生と循環)を通して、自然を畏敬し(共生し)、自然(生命の再生と循環システム、生きとし生ける者はすべて大地から生まれ大地に還る、多様性の中の共存)の懐に抱かれ調和してきたのである。

 しかし、現代文明は神話的、非合理的な思考法から脱却すところから、学問研究の諸分野が形成され、近代的文明が形成されていきた。こうした科学技術の発展と文明の進歩(生命の最内奥の仕組みから宇宙空間の構造の研究と知識)は、人間の自然への畏敬の念を奪い(科学技術の発展は、自然を支配できると考えるようになった)、地球環境の汚染と破壊をもたらしている。

 現代人は、今一度、古代の人々が自然と宇宙の間に神秘で偉大な生命力を直感した壮大な想像力を思い起こさなければならないのかもしれない(古代の人々は、物質的なものよりも霊魂の方がより現実的と感じて、個人それぞれが魂の完成に力を注いでいたのかもしれない)。

 神話が伝えてくれる古代人の精神(感性)が、一元的文化(アメリカ文化を代表する今日的な世界状況)によって席捲される中、多様な文化(マルチ・カルチャリズム)の広がりをもたらし、多様性の中の共存の理念を築いてくれるかもしれない。

(※注2)自然=神は、人間の想像を超えた(人智を超えた)計り知れぬ力を持ち、人間に豊かな恵みを与え、ときには底知れぬ猛威を振るう。それゆえ古代の人々は、自然の恵みに感謝をし、自然の猛威に畏怖し、ただその怒りを鎮める以外になく、その自然の偉大な力が神として崇拝されたのである。

 自然からするとどうしようもなく小さな存在(無力な存在)でしかない人間は、豊かな想像力(プリミティブな心性)を大いに働かせ、太陽・大地・山・火・水・樹木・岩石など自然のすべてに対して、生き生きとした自然観を心象風景としてとられたのだ(原初的な自然観)。

 古代の人々は山川草木に宿る想像を超えた大自然の力に神秘的な神性を感じ、その自然に対して無条件に畏敬の念を抱いたのである(自然崇拝)。




スサノヲ(スサノオ)


◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(六)

2006年12月18日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:59 Comments( 3 ) 神話に見る日本文化考



◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(六)地図はこちら

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノオ神話:大和の大物主神と大和朝廷(5)

 三輪山の山中には至る所に磐座があり、太古よりの多くの祭祀遺跡が出土している(※注1)。縄文時代には死と再生の循環を司る神霊・蛇神(大地の神霊)が広く信仰されていたことであろう。三輪山もそうした蛇神信仰の象徴としての神奈備山(蛇がトグロを巻いた姿形)であったのだ(※注2)。

 また、そうした神が磐座に降る(宿る)とする信仰が起こり(磐座信仰)、その遣いの蛇神、雷神の信仰へと発展していく。弥生時代になると、稲作の普及と共に水神(雷神・蛇神)、日神信仰(太陽・陽光信仰)も入り、最終的に大物主神へと人格化されていったようだ。

 三輪の神は古代よりこの地方の祖神として崇敬が篤かったのである(高天原系部族の来住以前に大和に住む先住民族が崇拝していた国魂の宿りし山=三輪山であり、火や水、死と再生を司る山の精霊であり蛇体の主=大物主であった)(※注3)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)原始信仰では神木が神籬(ひもろぎ)とされ、巨石が磐境・磐座となり、精霊が来臨し鎮座して神奈備山になった(自然崇拝のナショナリズム)。磐座は神の降り立つ巨石の寄り代のことであり、神奈備山は神の住まう山のことである。

 このような信仰は、自然物を通じて感じられる「隠れ身の神性」への畏敬の念であった。具体的なモノの背後に感るインスピレーション、聖なるものの感覚である(モノ=精霊と古代の人々は考えていた)。大神神社には今でも本殿がないが、それは三輪山自体が御神体だからである。

 その後、剣や鏡、勾玉などを用いて豊穣を呪術する呪物崇拝のフェティシズム、巫術で精霊やカミと交流する術を身に付けた巫覡(ふげき)が行うシャーマニズム(原初的体験、脱魂=他界飛翔=エクスタシー、憑霊=神懸り=ポゼッション、忘我=恍惚=トランスを通して、超自然的な世界と人間界の交流を可能にする)などの信仰が混在し、弥生時代における稲作生産の発展のもとで祖霊信仰も生まれていく。

(※注2)太古より、山は人間の生活圏であるとともに神の領域であった。山に入るにはきびしい禁忌が科せられ、限られた時、限られた人以外は立ち入ることのできない神聖な場所でもあったのである(禁足地、神域)。ことに神の坐す神奈備と呼ばれる山は特別に崇められた。

 たとえば、三輪山や富士山のような円錐形をした山や、二上山や筑波山のように二つの峰をもつ山は、神の坐す山として信仰の対象となり、山そのものが神(神体山)であったのである。こうした考えは古くから人々に、常世国(他界・異界)から依り来る神が山を目印として寄りつく場所だと考えられていた。次第にそこに神が常住するのだと認識されるようになっていったようだ。

 このことからも、神の坐す聖なる山(神奈備山・神山)とは、神の世界と人間の世界との境目として神と人とが交わる場所だということがいえそうである。

(※注3)太古より山に超自然的存在を見出す、アニミズム的観念ともいうべき自然物信仰があったことは、日本だけでなく普遍的な精神観・宗教観であった。超自然的存在に畏れ多いとする観念のなかに、畏怖・畏敬の念を抱く原初的山岳信仰を窺うことができる。

 古代には、人は亡くなると肉体から霊魂が離れ、その霊魂は祖先として残された家族を見守るとされている。そのことから生存者は、自分達を守護してくれる祖先の霊を尊く崇敬する。ここに祖霊への信仰が成立するのである。

 この際、祖霊があの世に行く前に集まる場所は山とされたり、時には山自体があの世とされ、祖霊の宿る場所とみなされるケースが、全国各地に残されている。このことからも、山は畏れ多い場所と考えられ、祖霊信仰における信仰対象に位置付けられた。

 古代の信仰には、山は神の宿る場所、もしくは神そのものであるとする精神観がある。こうした神奈備山信仰から、人は畏れ多いということで山には踏み入ることがなかった。そこで山麓や平野部から山を崇めようとする信仰形態が生まれたと考えらる。ここから禁足地という概念と、麓から神祭りを行なう山麓祭祀が発生するのである。




スサノヲ(スサノオ)


◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(五)

2006年12月17日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:59 Comments( 0 ) 神話に見る日本文化考



◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(五)地図はこちら

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(4)

 三輪山を御神体(山そのものが御神体=神奈備山)とする大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県の桜井市にある。三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山(倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し 美し)の中でもひときわ形の整った円錐形の山(高さが四百六十七メートル、周囲十六キロメートル、南は初瀬川、北は巻向川の二つの川によって区切られ、その面積はおよそ三百五十ヘクタール)で、古来より神の鎮まる山として御諸山(みもろやま)、美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と称され崇拝されてきた(山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧を入れることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われている=千古不伐。いまでも禁足地として神社の許可がないと登れないそうだ)。

 そうしたことから、大神神社に本殿はなく、拝殿裏の三ツ鳥居を通して直接に三輪山を拝する形になっている(※注1)。境内は蛇との縁が深く、参拝に行くと拝殿下の手水所で、まず蛇に迎えられる。蛇の口から出る水で清めをして拝殿に向かうと、右手に「巳の神杉」という大杉がある。ここには蛇(巳=みいさん)が祭られていて、いつも蛇の好物であると言われる卵と酒が供えられている。このように古来から、三輪山は根強く蛇信仰が残る山であった(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)三輪山は山全体を神体山として古代信仰をそのまま今日まで伝えており、古代祭祀信仰の形態を知る上で重要な史跡である。神社は拝殿のみがあって本殿はなく、三輪山の山中には三カ所の磐座がある。中でも辺津磐座がその中心で、三ツ鳥居からこの辺津磐座までが古来から禁足地とされ、三輪山祭祀の中心の場所だ。

 この禁足地からは須恵器や子持勾玉のほか、おびただしい量の臼玉が出土している。また大正七年(一九一八年)に発見された山ノ神遺跡は祭祀用の土製模造品のほか、無数の石製品・須恵器・勾玉・臼玉・管玉・小形銅鏡などが出土している。

 これらの遺跡は弥生時代に始まり、奈良時代に至る三輪山麓における古代祭祀の実態を示す貴重な遺跡とされている。また神域内は、三輪山を中心に、天然記念物として価値のあるものや、重要文化財としての拝殿はじめ、名勝・遺跡・建造物を含む神社境内地としての史跡だ。

(※注2)原始信仰においては、蛇は水の神・山の神の顕現として崇拝されていた。また、蛇はその特異な姿形、脱皮という不思議な生態、強靭な生命力、その恐るべき毒などによって、古来、人々を畏怖させてきたばかりか、強烈な信仰の対象ともなってきた(蛇はその形から男性性を、脱皮するその生態からは出産=女性性が連想され、古代日本人は蛇を男女の祖先神として崇拝したようである。神=蛇身・カミか?)。

 さらに、祖霊が住まう山(神奈備)を蛇がトグロを巻いた形として連想され(蛇の最も特徴的な姿がトグロを巻いた姿形である)、三角錐の山(円錐形の山)を拝むようになったと(信仰の対象となったと)考えられる(神奈備山信仰)。大和の三輪山がその代表的な(典型的な)例である。日本人にとってカミとは何か? その問いは、古代日本人の死生観・世界観、ひいては日本人そのものを問うことになりそうだ。




スサノヲ(スサノオ)


◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(四)

2006年12月16日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 23:59 Comments( 1 ) 神話に見る日本文化考
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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(四)

◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(3)

 縄文土器(蛇体装飾の土器)には、縄文人の世界観(死生観・宇宙観)が表れていそうだ(蛇はシャーマニズムとも深く関係し、シャーマンは自分の霊力を示すために、蛇を手なずけていたようである)。それは、蛇に象徴される死と再生の円環的世界観(森の思想・命の共生と循環)である。

 これは森とともに生き、森の永劫の死と再生の循環の中に身を委ねていた縄文人にとって自然な感覚であったと思われる。蛇は死と再生(復活・循環)を繰り返す大地の霊そのものであると考えられていたようなのだ(森が破壊されていくとともに、蛇を神とする世界観は失われ、蛇を邪悪のシンボルとみなされていく)(※注1)。

 縄文後期以降になると、縄文土器は、突如として消滅してしまう(おどろおどろしいまでの情念の造形=荒ぶる藝術から、静謐さと単調さの造形=寡黙な職人の工芸へと変化)。

 しかし、なぜか神話・説話・民話のなかに再び甦るのである。その例として、『常陸国風土記』に出てくる蛇神・ヤト(夜刀神)、諏訪地方に伝承されていた蛇神・ミシャグジ、出雲系神話のヤマタノオロチ(八俣大蛇)、それと大和・三輪山のオオモノヌシ(大物主神)である。

 夜刀神や八俣大蛇は蛇神であり、自然の猛威を神格化した自然神とされ、ともに英雄によって退治される悪神とされている。これは、猛威をふるう縄文の神を弥生人が退治したという説話とも考えることができそうだが…。果たしてどうであろうか?(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)古代人にとって蛇は、旺盛な生命力・繁殖・豊穰のシンボルとして考えられていたようだ。蛇は古い皮を脱ぎ捨てて脱皮を行う生き物であることから、新しい身体を得て生まれ変わる様子に、古代人は再生・治療・永遠の命を見ていたと考えられる。

 蛇信仰にまつわる伝承は多く、夜刀神伝承、ミシャグジ伝承、八俣大蛇伝承、箸墓伝承などがあり、蛇の古語「カカ」から類推すると、鏡(蛇の丸い目)、案山子(蛇をデフォルメ)などは蛇を見立てたものと考えられ、正月の「鏡餅」は蛇がトグロを巻いた形とされ、関西に多い丸餅は蛇の卵の造形であるとも云われている。

 ふと身の回りを見渡すと、現在の日本の習俗や行事に蛇の象徴(カミの具象としての蛇)に溢れていることに気付く。時代が下り文明化されていく中で、蛇信仰は表面から姿を消していくが(やがて稲作文化の拡大とともに、蛇信仰は水の神や農耕神の信仰へと変質していく)、蛇信仰そのものは隠された形で脈々と今日まで受け継がれきたのだ(今日に至るまで、隠れた地下水のように脈々と流れ続けて、日本の文化や日本人の精神構造に深く根を下ろしてきたのである)。

(※注2)日本には太古から蛇信仰があったことは知られている(縄文人が蛇に寄せた強烈な思いの源は、生命の根源・強さに対する憧れや希求、生命力と再生力への崇拝、死と再生の循環のシンボル、水と母なる大地への信仰など、それらすべてが凝集して神与のものと考えられ、その象徴が蛇として捉えられたようだ)。

 縄文土器の縁や把手に無数の蛇が描かれているし、そもそも縄文の「縄(なわ)」そのものが蛇の表現ではないかとされている(注連縄なども)。全国には山そのものを御神体とした神社も多く、それらを「神奈備山(かんなびやま、神山)」とか「御諸(みもろ)・御室(みむろ)」と呼ぶ。

 その代表例が大和の三輪山で、この三輪という名前そのものが蛇がトグロを巻いている姿(円錐形の姿)を表しているとされている。また三輪山の神・オオモノヌシ(大物主神)は古来より蛇神で、水神・雷神であるとされていた。




スサノヲ(スサノオ)