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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(八)
◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、日本人の固有の宗教観や霊魂観
お盆行事(祭り)には、三つの要素があるといわれている。それは、祖霊の祭り(死者祭祀)、豊穣の祭り(穀霊祭祀)、魂の祭り(生命の更新)である。この三つの要素が繋がりあるものとして受け取られてきたのが、日本人の古くからお盆行事(祭り)に対する考え方だったとされている(※注1)。
そして、「盆と正月が、一緒に来る」と言う言葉がある様に、年の始まりには、二つあり、一つは稲作を中心としたもので、正月を年の初めとするものだ。歳神を迎えて米などの穀物を捧げ、新年の豊穣を祈る。
もう一つは、蕎麦や芋などの畑作を中心としたもので、旧暦七月のお盆の時期が、二つ目の年の初めとも考えられてきたといわれている。このことから、昔は、一年を二つに分けて考えていたようなのである(※注2)。
今でも、お盆には、喬麦や芋を供物として捧げる民俗が伝承されており、「お盆」を芋正月いう地方もある。この二つの豊穣を祈る祭りと、祖霊を迎え祀る祭りが、複合されたと考えられている。豊穣をもたらす神は、すなわち祖霊でもあったのだ。これらは、なぜ一体のものとして考えられたのであろうか。
先祖の霊は神となって、子孫のために作物が豊かに稔ることを見守ってくれる。そのことから、作物が取れたら、それを供物として祖霊神に捧げ、共に喜びを分かち合って、これを共食し、新しい年の豊穣を祈るのである。豊穣を祈る祭りは、そのまま祖霊を祀ることになるというのが、一番分かりやすい解釈だ。
食物が新たに稔るのを祈ることと、神や祖霊を迎え、共に過ごすことを、一つのことのように過ごしてきた昔の人々の姿が、年中の祭礼の中に生きてきたのである。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)農耕民族である我が国において、正月と盆の行事は、年中行事の中で最も重要なものである。正月は歳神(トシガミ)の来臨を願いこれを祀り、一年の農耕生活の安泰を祈ろうとすることと、一年の行事を儀礼化して演出し、類感呪術・模倣呪術によって豫期の収穫を得ようとする行事や、年穀や天候の吉凶を占う行事を中心にして、種々の呪術宗教的な要素を以て構成されている。歳神のトシは時間の区切りとしての「年」であるとともに年穀の稔(トシ)でもあり、したがってこの神は穀物霊、ことに稲霊から発達した農耕神と考えられている。
すなわち、秋の収穫が終わって次の蒔種期に至る中間、そして太陽が南行の極みに達して北行に変わろうとする境目において、穀霊の活力の復活を祈り、豊かな稔りを期待する呪術的・祈祷的な儀礼行事として始まったものと考えられる。しかし他面、この神をミタマサマといい、供飯をミタマノメシと呼び、さらには「佛の年越」「先祖正月」として家の先祖の霊を迎え祀るところの多いのを見ると、この神は先祖霊としての性格も持っており、七月の盆行事に対する祖霊祭祀としての色彩も濃いようだ。
(※注2)お盆は、七月十五日(旧暦)を中心に営まれるが、太陽暦採用後は、八月十五日を中心にする地域が多く、元来は七月の行事であったのである。お正月の行事は、大晦日から元旦を中心に営まれるものと、十四日夜から十五日にかけてを中心にするものと、二つに分けることができる。前者は、一般に大正月、後者は小正月と呼ばれていた。お盆は、期日の上では小正月と対応している。即ち、ともに十五日を中心にし、元旦と釜蓋朔日、七日正月と七夕、御斎日(一月十六日と七月十六日)、二十日正月と裏盆というよう対応している。
このことから、日本の年中行事は、かつては一年を単位とするのではなく、一年の前半の行事を後半の七月から十二月までもう一度繰り返す構成を取っていたのではないかと考えられている。また、六月と十二月の晦日(みそか)には、天下万民の罪や穢れを祓う大祓が恒例となっている。旧暦の六月の晦日には、夏越の祓というのもあるのだが、半年をはさんで類似の行事が多いのは、古くは、夏至と冬至で一年を二分する考え方(陰陽でいえば隠遁と陽遁)が強かったからだと思われる。
スサノヲ(スサノオ)

◆メッセージ2
日本は明治維新後の近代化、戦後の国際化、現代の高度情報化へと西洋的価値観(一神教的価値観)を吸収することに邁進する中(これも日本の文化的特性である寛容性の現れだが)、経済的には大国になりました。
しかし、気付くと自らの拠りどころ、依って立つ場所、日本人としてのアイデンティティ、日本人の精神的故郷を見失ってしまいました。さも根無し草のようにただ彷徨うような、うわついた軽い存在になってしまったのです。
海外の文化や伝統を学び受け入れることも必要で重要なことですが、まずは、自らの文化や伝統を理解し、自信を持つ必要があるのではないでしょうか(戦前のような屈折した・閉ざされた民族意識には大きな問題があるが)。
日本の伝統的文化には、海外に誇れる魅力(人々を魅了し心を惹きつけてやまない生き生きとした文化の魅力=文化力)が多く存在します。まずそのことに日本人自身が気付くことではないかと思います。
元々日本人は古くから、自然の山川草木すべてに様々な神々を見る自然的宗教観を持っていました(神々しい何かの存在を感じとる「神道的感覚」ともいうべきもの)。
日本人は、自然を人間と対立するものと考えるのではなく、素直に自然の恵みは神々の恵みであると考えたのです。この自然に生かされ神々に生かされ、自然と共に生き、神と共に生きてきたという感覚が、八百万の神々の世界(多神教の世界観)を生み出しました。
つまり、日本人とっては、人間が住む世界と神々が棲む世界が共有・共存されている国であったのです。しかし、日本の近代化は、この感覚にズレを生じさせ、日本人の精神的故郷を見失わせてしまいました。
自然は人間の支配のもとに征服・管理する対象(つまり人間と自然を対立するものとして捉える考え)とした西洋的一神教の価値観(アメリカに象徴されるようなキリスト教的文明観、後に近代科学へ)に限界が見えてきました。
こうした考えは、人間の傲慢さを助長し、歪んだ人間至上主義に陥らせ、修復不可能と思われるほど深刻な環境破壊をもたらします。
二十一世紀、国際社会や地球環境が危機的状況にある世界にとって、このような自然のすべてに神を認め(山川草木すべてに自律的な神を見るような自然に対する繊細な感性、自然も生命もすべて循環し共生的に存在するというエコロジカルな考え方)、八百万の神を崇め調和していく(八百万の多様なものを包含しうる寛容な精神性)ような日本の伝統的精神文化(神道的精神、日本人のアイデンティティ)が、世界が諸問題を解決し対立から融合の時代に進む上で、大変重要な意味を持つことになるでしょう。
つまり、私たちのこのような考え方が、民族・文化・宗教などの対立する人々の仲立ちをする役割を果たし得る可能性を持つのです(お互いがお互いを認め合い、一つの文化として尊重し合うような「共存」の意識・思想として)。
日本仏教ではこれを、「山川草木国土悉皆成仏」(大乗起信論の本覚思想)とか「一切衆生悉有仏性」(涅槃経)といった言葉で表します。自然界のすべてのものには仏性(神性、霊性)が宿り仏になるという意味です。
これはアニミズムというより、ドイツの文豪・ゲーテや、オランダのユダヤ系哲学者・スピノザや、古代インド宗教哲学書「ウパニシャッド」に見られるような汎神論に近いのかも知れません(ゲーテは思想家でもあり、スピノザは純粋に哲学であり、ウパニシャッドも宗教というより哲学の部類に属すると考えられ、仏教もまた宗教というより哲学・思想として捉える向きもある)。
また、明治時代に日本に来て、西洋人として初めて出雲大社を昇殿参拝したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、いろいろな事象の中に神を見出す神道の神感覚を次のように表現しています。
「この大気そのものの中に何かが在る・・・うっすらと霞む山並みや怪しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいもの感じられる・・・これが神道の感覚というものだろうか」と。
ハーンは、空気の中にも、太陽の光の中にも、水や海や山や森や風の中にも「神々しい何か」の存在を感じとるのが「神道の感覚」だといいます。この神道の感覚は、「豊葦原の瑞穂 (水穂)の国」(豊かな葦の生い茂る水と稲穂に恵まれた国)という風土の中で時間をかけて育まれたものなのです。
いま国際紛争や環境問題を解決するためには、新たな人間と人間、自然と人間、宇宙と人間との関係を再構築しなければならないのかもしれません。
そのとき、根底(根本・源泉)になるもの(精神原理)は、かつて日本人が保持していた自然に対する謙虚さです(日本人が内在的に備えていた感性・神道的精神とは、多種多様な価値を認めるところにある。自然は多種多様な生命が存在するから美しく豊かなのだ)。
日本人の自然観(宗教観)は、世界の問題に対して大きなサジェスションや示唆を与えてくれるかもしれません。
スサノヲ(スサノオ)

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(七)
◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「盆と正月」日本の二大年中行事
「お盆」は、仏教固有の行事のように考えられがちだが、そうではない。ここに、日本人の不思議さと日本文化の独自性があるような気がする。「お盆」は、正月行事などと同じように、日本人の固有の宗教観や霊魂観と、仏教でいう供養の概念が融合して、「お盆」といわれる行事になったとされている。
また供え物を載せる容器を、かつては盆といったことから、この行事を「盆」というようになったとの説もある(盂蘭盆会から来ているとの説もあるが…)。いずれにしても、「お盆」は、日本人にとっては、「お正月」と同様に、祖霊の御霊を祀る大切な行事として、受容してきたのだ(※注1)。
日本人は昔から、お正月やお盆に、先祖の祖霊を迎えて供養するために、色々な慣習や儀礼を伝承してきた。そうした習慣や儀礼は、意識しなくとも今の私たちの生活に深く溶け込んでいる。なにげなく、習慣として受け入れられている「お盆」には、どのような意味があるのかを考えることは(考察することは)、日本と日本人の基層(日本学)を知る上で大変重要なことである。
お盆の行事も、正月行事同様、地域ごとに違いがあるが、本来の意味においては大きな違いはない。「お盆」は、祖霊がお盆の期間だけ家に帰って家族共々過ごし、再びあの世に旅立つまでの間の行事(祭り)という意味においては…(※注2)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)「盆と正月が一緒に来たよう」という言葉があるが、まさにお盆とお正月は日本の年中行事の双璧をなす重要行事である。お正月は、室内外に注連飾りをしたり神社に参拝するというように神道的色彩の濃い行事である。しかし、お盆は、仏壇に供え物したり墓や寺に参る仏教色の強い行事とみなされている。
しかし、この二つの行事には以外に類似する点の多いことに気付かされる。そして、実は双子の様な行事なのだ。古い正月は一月十五日である。そしてお盆は半年後の七月十五日(旧暦)だ。ちょうど半年を隔てた日付で、行事の内容も大変類似したものが多く存在する。
例えば、門松と盆花、正月の灯明と盆の迎え火、七日正月と七夕、どんど焼きと送り火、追儺・節分と茅(ち)の輪くぐり、盆のお供えとお節料理などなど…。このようにお盆とお正月の類似から、古代には、年の初めの行事が二回あったことが窺える。すなわち春の初めの満月の夜と秋の初めの満月の夜に、祖霊が来臨し、人々は、その年の豊穣を祈っていたと考えられるのだ。
二度ある祖霊祭り・魂祭りの区別をするため、夏の場合、先祖に供える供物を載せる器の盆をそのまま行事の名として用いられたともいう。現在では盆は仏教色が強く、正月は神道色の強い行事となっているが、これは仏教が広がって以後のことで、昔はどちらも先祖の霊を祀る大切な行事であった。今でも正月に墓参りをする地方は多くある。
(※注2)大晦日(おおみそか・おおつごもり)には、近くの神社で年越しの大祓があり、毎年、茅の輪(ちのわ)くぐりをして半年間のお祓いをする。同じように、旧暦の六月の晦日には、「夏越の祓(なごしのはらえ)」というのもあるのだが、半年をはさんで類似の行事が多いのは、古くは、夏至と冬至で一年を二分する考え方(陰陽でいえば隠遁と陽遁)が強かったからだと思う。
同じことが、正月についてもいえる。よく「盆と正月が一緒に来た」などといわれるように、お盆もお正月も「魂祭り(みたままつり)」がもともとの起源のようだ。お正月は、歳神を迎える行事だが、歳神とは、祖霊のことである。お年玉なども、もとは年魂(としだま)といって、歳神が新しい生命力(魂)を授けてくれることであった。
冬至から次第に昼が長くなってくること、また再び春を迎えられることに生命力の復活を感じ、感謝する節目がお正月の時季なのである。お盆の迎え火・送り火に対して、お正月はどんど焼き(左義長)などの火祭りがある。
スサノヲ(スサノオ

◆メッセージ1
「日本」とは何か?「日本人」とは何か?が知りたくて、日本と日本人の原点と基層を調べています。
私は専門的に学んだわけではありませんが、こうしたことに興味を持っています。まだまだ知らないこともたくさんあり、皆さんから多くのことを教えていただきたいと思っています。
今の多くの人が、あまりにも日本の文化や歴史のことを知らな過ぎ、外からの情報に翻弄され刹那的に行動しています。このような拠り所を失い根無し草のように漂う様を見ていると、しっかりと自分たちのアイデンティティを見つめ直し、日本列島の自然と風土の中で作り出してきた日本人と日本文化を自覚することが必要だと感じるようになりました。
国際化が叫ばれていますが、本当の意味で国際人になるためにも、自分を自国をしっかり伝えることが出来ての国際化・国際人だと思います。
特に日本の伝統文化・神話・古代史や地域に残る風習・祭り・行事など、古代人から現代人まで地下水脈のようにつながる精神世界に興味を持っています。日本の地域に残る風習や祭りは、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した世界観(素朴な神々の世界観)の記憶です。
私たちは普段、こういう事(古代からの世界観)を意識することなく生活しています。しかし、気付かなくとも、私たち日本人のものの見方や行動を規定している「何か」があります。その何かとは・・・。
この日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、この豊かな森と水の日本列島という風土のなかで育成されてきた「日本人の精神的遺産」です。日本の神々の世界(八百万の神々)や風習・祭り・行事は、私たちの意識の底に眠った神々の記憶(古代の世界観)でもあり、大自然に宿る日本人の原風景でもあります。
このような、古代から豊かな森と水に恵まれた日本列島とうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだ日本人の知恵を学びたいと思っています。
コメントをお願いします。
スサノヲ(スサノオ)

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(六)
◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、さまざまな「お盆」行事
民間における「お盆」の行事として例えば、「盆竈(ぼんがま)」(※注1)「迎え火」「送り火」(※注2)「精霊棚」「盆棚」(※注3)「精霊流し」(※注4)「送り火」「盆踊り」(※注5)「盆堤灯」「盆花」なども、先祖の霊魂を迎え、供養する意味が含まれている。
お盆の墓参りの花には、多くの場合、「ほおずき」の花が入っている。一説では、「ほおずき」は、その形が、堤灯に似ているところから、十三日に、先祖さまを迎える、「御魂(みたま)」の目印の「迎え火」や、その簡素化された形としての盆堤灯の意味があるとされている。お盆のお墓参りの花一輪にも、我々日本人が、受け継いできた伝統や習俗に無関係ではないようだ。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)盆竈:お盆に、野外に臨時の竈を築いて煮炊きをし、飲食をする行事である。辻飯、門飯、川原飯、餓鬼飯、お夏飯ともいう。期日はお盆の十四日が普通で、十五日にする所もある。外竈を設けて飲食することは、正月小屋や三月小屋と同じく別火生活の名残りとされ、神祭りの資格を得るために、家族から隔離し、清浄を保つための手段であったようだ。多くは女児中心の行事である。「盆のままごと」ともいい、今日の「ままごと」遊びは、外竈の印象を留めたものと考えられている。
(※注2)迎え火と送り火:盆の入り(十三日)の夕方、家の前で火を焚き祖先の霊を迎える。盆の十三日夕方が多いが、お盆の期間中毎日焚く所もある。これが迎え火だ。
盆明け(十六日)の夕方に火を焚いて祖先の霊を帰す。お盆の終わりの感傷からか、迎え火よりも火にまつわる行事は豊富である。これが送り火だ。盆送り、送り盆などとも呼ばれる。
迎え火、送り火の習俗は江戸時代に盛んになったもので、川や海に灯籠を流す行為や京都の大文字の送り火もまた、盆の送り火の一つである。
(※注3)精霊棚・盆棚 :お盆の精霊祭りのために家ごとに設けられる臨時の祭壇のことである。お盆の期間中に精霊棚(しょうりょうだな)、先祖棚、盆棚などという棚を作って、位牌、線香、花、野菜や果物、団子などを供える習俗があったそうだ。
精霊棚は先祖を祀ったものだが、同時に餓鬼棚(がきだな)と呼ばれる無縁仏を供養する棚もあったそうだ。この棚は別に作るところもあり、また精霊棚の下に食べ物を供えるだけのところもあったそうである。
今と違って昔は行き倒れて亡くなる人も多く、そういった祀られることのない身元のわからない霊魂は人々に様々な災難をもたらす物と畏れられていたことが、餓鬼棚で無縁仏を弔うという習俗を生んだのであろう。
現在は精霊棚や餓鬼棚などを作るところは少なくなっているが、季節の野菜や果物、団子などを供える(ナスやキュウリで馬を作って供えるのもその変形)などの行為は、まだ多くの地方で行われているようだ。
(※注4)精霊流し:家々に迎えた先祖の霊を、祀り終って送り流すお盆の行事のことである。送り火の一種で、船にしつらえた灯籠を川や海へ流しこの灯籠と一緒に盆に迎えた先祖の霊を送り出す行為が原型だ。九州北部での精霊流しは有名である。場所によっては葦で大型の船を造って流すようなところもある。
精霊流しの際には、盆の間に供えた野菜や果物などのお供え物も流す。これは祖先の元へ供物を贈るという面と、死の世界と関わった穢れ(けがれ)を水によって清めるという面をもったものであろう。水面に揺れる灯火には、先祖の霊を送り流そうとする気持ちが込められている。
(※注5)盆踊り:今は娯楽行事(あるいは観光用の行事?、阿波踊りなど)となっている盆踊りも元々は、盆に返ってきた祖先の霊を迎え慰め、そして返すための行事であった。
元来は縦に列をなして踊る形であったようだが、現在では輪になって踊る輪踊りも盛んである。輪踊りの場合は中心は精霊棚であったのであろうが、現在は太鼓の載った櫓だったりする。
(※注)盆と藪入り:現在もお盆の時期は故郷への帰省ラッシュの時期である。現在よりも休みの少なかった時代、盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることが出来る時期で、これを「藪入り」と称した。
この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもあり、自分と自分の家(先祖、ルーツ・・・)の繋がりを確認する時期だったようだ。
スサノヲ(スサノオ)