Posted by 滋賀咲くブログ at
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◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノオの謎(五)

2006年06月27日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(五)

◆◇◆民間信仰・伝承におけるスサノヲ命、なぜ宮廷神話・祭式に取り込まれたのか?

 『出雲国風土記』には、スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)の説話は、意宇郡安来郷(おうぐんやすきのさと)の国巡りをした話、大原郡佐世郷(させのさと)の佐世の木の葉を髪に挿して踊った話、大原郡御室山(みむろやま)で御室を造った話、飯石郡須佐郷(すさのさと)でこの国は小さい国であるがよき国であると詔りたまいた話などが見える。

 さらに、スサノヲ命は七柱の出雲の神々の親神として、出雲の全域の伝承として語られている(延喜以前には、崇拝圏は出雲一円はおろか、隠岐、備後、播磨、紀伊におよび、広範囲にわたる)。

 出雲系巫覡の徒の活動により、スサノヲ命のみならず、オホナムチ、スクナヒコナ、アジスキタカヒコネなど出雲系の神々や、そうした出雲系の神々に纏わる伝承(大蛇の人身御供譚、山ノ神の木種播き譚、蓑笠をつけ宿を請う説話(武塔神の説話との共通性)、国作り説話、医療禁厭の法の伝え)が地元の伝承・古俗とも習合し、歌謡や語り部の語りの題材に取り上げられ、地域を越え、氏族を越え、広大な崇拝圏を持ち、民衆に絶大な人気を持って崇拝されていた。

 スサノヲ命の『記・紀』神話における巨大さは、スサノヲ命の信仰圏の広さと民間信仰・伝承における人気によるものであり、こうした民間での広い人気ゆえに、朝廷では、スサノヲ命を高天原と出雲の神話世界の両界にまたがる神格と見なし、皇祖神・アマテラスの弟に仕立て上げ、さらにはスサノヲ命を邪霊・魔神とすることにより、朝廷の権威を強調する宮廷神話・祭式に取り込んだとも考えられそうだ


スサノヲ(スサノオ)


◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)

2006年06月26日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:46 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)

◆◇◆『出雲国風土記』におけるスサノヲ命、民間的色彩の濃い神

 『出雲国風土記』(天平五年・七三三年、監修者:出雲国造臣廣嶋、ほぼ完本の姿で残されている唯一の風土記)におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、「神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)」「神須佐乃烏命(かみすさのをのみこと)」などと表記され、四箇所に登場する。

 『出雲国風土記』に登場するスサノヲ命は、すべて素朴で平和的な地方神として現れ、『記・紀』のスサノヲ命とは、まったく異なったイメージを与える。

 意宇郡安来郷(おうぐんやすきのさと)では、「壁(かき)を立て廻らし、『吾が御心安平(やす)けくなりぬ』」(国巡りをした話で、ここに来たとき、心が落ち着くと言ったので「安来」という地名が付いたとしている)と、大原郡佐世郷(させのさと)では、佐世の木の葉を挿頭(かざ)して踊ったとあり、大原郡御室山(みむろやま)では、御室を造って宿ったとあり、また飯石郡須佐郷(すさのさと)の条には、「神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)の詔りたまひしく、この国は小さき国なれども、国処(くにどころ)なり。故(かれ)我が御名は木石に著けじ、と詔りたまひて、即(やが)て己命(おのがみこと)の御魂を鎮め置き給うひき。然して即(やが)て大須佐田・小須佐田を定め給ひき。故(かれ)須佐といふ。即ち正倉(みやけ)あり」とある。

 『出雲国風土記』にあるような出雲固有の伝承では、『記・紀』神話とは違い、スサノヲ命は、のどかで穏やかな情緒を持つ存在だ。

 出雲での平和な姿を、原初的で本来的内性(真の形相)とし、その神名は地名(出雲及び紀伊)の須佐から「須佐の地の男神」を意味するとする説がある。

 しかし、この飯石郡の山奥の僻地の神が、スサノヲ命の原像であるとすると、いったい何故に、『記・紀』神話の「高天原」説話のなかで、あれほどの巨大な神として扱われたかは不可解なことになる。

 その理由については、さまざまな説があるが、スサノヲ命と武神のイメージの強い御子神(都留支日子命、衝桙等乎与留比古命など)の性格が合わさったためとか、飯石郡須佐郷の須佐氏族(神須佐能袁命=かみすさのをのみことの祭祀家、この地には式内社の須佐神社が鎮座する)が出雲国造家(出雲で法王的存在)と、政治的に密接な地位にあったとされ、大和朝廷からも軽視できない存在とされたとか、スサノヲ命の崇拝が、飯石郡の山奥の僻地の神に止まらず、出雲国の内外に広く拡布され、民間に広く親しまれた神とされたためであるとか、いずれにしても、朝廷は『記・紀』編纂に際し、スサノヲ命の存在を素朴で平和的な地方神ではなく、巨大な神として大きく扱わざるを得なかったようなのだ。


スサノヲ(スサノオ)


◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノオの謎(三)

2006年06月25日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノオの謎(三)

◆◇◆高天原におけるスサノヲ命と、出雲におけるスサノヲ命

 出雲におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)と、高天原におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、その成立・内性・機能の上でも大変な相違がある。

 出雲におけるスサノヲ命は民衆の間に成長してきた民俗的な神(出雲系巫覡の徒の活動により、民衆に絶大な人気を持って崇拝されます)であり、高天原におけるスサノヲ命は、宮廷で作り出した政治的理念の神(政治的潤色による神)で、古くからあった宮廷の農耕儀礼の邪霊役が拡大されてスサノヲ命に結び付られたり、またイザナギ・イザナミ神話のヒルコ(水蛭子・蛭児、ヒルコの内性については、滝沢馬琴が唱えた太陽神・日子など、さまざまな説がある)などの内性が、スサノヲ命の性格の上に加上されていったりして、出来上がった姿(神格)とも考えられる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)が、宮廷の農耕儀礼の邪霊神・魔神と結び付られる要因(出雲のスサノヲ命と高天原のスサノヲ命を結びつける共通点・共通の観想の存在・同一視される内性)として、ともに「根の国」の神としての存在にある。

 「根の国」は、後世では、根の国、底の国と呼ばれ、地下の死者の国であり、陰惨な汚穢の国とイメージされた。これは、政治的理念による作為(屈従・圧服した政治・文化・宗教を持つ大きな勢力として、善と悪・光明と暗黒・生と死の二元的世界観や他界の方位として)なのか、『記・紀』神話により、出雲は冥府・他界・死者の国・根の国と結びつけて語られる。これは出雲神話の大きな謎である。

 「根の国」は、古くは海の果ての他界(沖縄のニライカナイと同系)・常世国であり、死霊・祖霊の往き留まる国であり、またあらゆる望ましきもの、生命、豊饒に満ちた光明世界であったようなのだ。

 出雲と共通の神社や地名、伝承や説話が多くある紀伊では、紀伊海人にとってスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、元来紀州沿岸の漁民の奉じた海洋的な神であり、海の果ての根の国から舟に乗り、豊饒をもたらすマレビトであったようなのだ(もしかすると、スサノヲ命の本貫は紀伊であったのか?)。

 スサノヲ命は、本来の海洋性が薄れてからも、樹木の生成、穀物の豊饒といった豊饒の霊格(神徳・神威)を持ち、民衆の崇拝・信仰を集めたと考えられている(紀伊の熊野大神の名はケツミコ、出雲の熊野大神の名はクシミケヌであり、ともに穀神をあらわす神名。スサノヲ命とは別神であるとする説もあるが)。

 その後、紀伊海人が大和朝廷の対韓交渉を担い、しばしば行われた韓土への渡航(交易や外征)を通じ、大陸系のシャーマニズム風の英雄神、鍛冶神、刀剣神などの要素がスサノヲ命に加わったと考える学者もいる。


スサノヲ(スサノオ)


◆日本と日本人の神観念、自然と共に生きる

2006年06月24日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:53 Comments( 0 ) スサノヲ(スサノオ)の日本学



◆日本と日本人の神観念、自然と共に生きる

 太古より、日本は四季に恵まれた風土であった。そこに住む我々の祖先の日本人は、自然の恩恵をいただき、自然の恵みに感謝をして生きてきた。

 恩恵をもたらしてくれる自然に、祖先の日本人は、大きな力の働きを感じ取っていた。自然界の森羅万象に大きな力の働きが存在し、我々に恵みを与えてくれると・・、しかしときには、災いを与えると・・・。

 こうした日本人の自然観が即ち、素朴な日本人の神観念を生み出していくのである。

 特に水への信仰は、生きていくには無くてはならないもの、生きとし生きるものを育むものとの観念があった。そして、その水を育むのは、降った雨を大地に蓄える森林の役割であることを、太古より人々は知っていた。

 京都の貴船(きぶね)の地名の起りは、水源の神の鎮まるところ、そこは樹の生い茂った山、「樹生嶺(きふね)」だというわけである。

 だから我々の祖先は、感謝こそしても、決して樹木を粗末には扱わなかった。自然がもたらす恵みに感謝しつつ、自然と共に生きて来たのである。


スサノヲ(スサノオ)


◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(二)

2006年06月23日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) 年中行事に見る日本文化考



◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(二)

◆◇◆天皇家の祭祀、大祓(おおはらえ)の儀、高天原神話とスサノヲ命

 『大祓祝詞』のなかで、「天つ罪(天津罪)」として挙げられる数々の重大な罪穢れ(畔放ち、溝埋め、重播種子、生剥、逆剥、屎戸など)は、一切スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)が天上界(高天原)で犯したものとされる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は『記・紀』神話の「高天原」説話において、農耕妨害や神聖冒涜の罪(「天つ罪(天津罪)」)を犯し、まさに悪や禍事(まがごと)の元祖として、天上界(高天原)の秩序を破壊する巨魔的な存在として描かれる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は、その罪ゆえに千座置戸(ちくらのおきど)を科せられ、髯を切られ、手足の爪まで抜かれて、天上界(高天原)から追われる(神やらひ)。しかし、地上界では、一変してすこぶる平和な英雄神であり、文化神となり、八俣大蛇(やまたのおろち)を退治する。

 「高天原神話」のスサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)の姿は、大祓(おおはらえ)の儀で「天つ罪(天津罪)」の罪穢れや災厄の担い手として、川に流される人形・形代そのものの神格化である。

 『大祓祝詞』では、こうした一切の罪穢れは川を経て大海原に運ばれ、最後には根の国・底の国にいる速佐良比咩(はやすさらひめ)に始末してもらうと語る。

 しかし、宮廷での大祓(おおはらえ)の儀の縁起譚を、出雲の祖神・スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)に結びつけたのは、それほど古い時代のことではなく、出雲神話があのような形で、『記・紀』神話の神代史の中に入り込んだ『記・紀』編纂の時代になされた仕事であると思われる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は、高天原神話と出雲神話を繋ぎ、最終的に高天原の統治の正統性と正当性を確証するための神格として、スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は大きく拡大されていったのかもしれない。

☆天つ罪:古代から言い伝える罪 「高天原」神話での罪

(1)畔放ち(あはなち):田のあぜを破壊すること 田がこわされる 暴風の災害
 
(2)溝埋み(みぞうみ):溝を埋めること 水が通わなくなる 暴風の災害

(3)樋放ち(ひはなち):木で作った水の通路を破壊すること 暴風の災害

(4)頻撒き(しきまき):かさねて種子をまくこと 人の犯す罪

(5)串刺し(くしさし):他の田に棒をさし立てて横領すること 人の犯す罪

(6)生け剥ぎ(いけはぎ):生きたままの馬をはぐこと 暴風の災害

(7)逆剥ぎ(さかはぎ):馬の皮を逆にはぐこと 暴風の災害

(8)屎戸(くそへ):きたないものをまき散らすこと 暴風の災害


スサノヲ(スサノオ)