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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(二)
◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、盂蘭盆経と仏教説話
「盂蘭盆会(うらぼんえ)」(※注1)とは、陰暦七月十五日(今の暦では、八月十五日と定められている)を中心に行われる先祖供養の法要である。「盂蘭」とは梵語(ぼんご=中期インド語の総称)で、意訳すると「倒懸」(とうけん)といい「さかさづりの苦しみ」という意味があり、大きな苦痛をあらわしている。
『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』(※注2)には、釈尊(しゃくそん=お釈迦様)の十大弟子の一人である目連(もくれん)が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は餓鬼道(がきどう=むさぼりの強い者の死後の世界)に落ちて苦しんでいたそうだ。
目連は、母の苦しみを「何とかして救いたい」と、釈尊に尋ねると、「七月十五日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、ご馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えられる。
釈尊の教えに従って祭壇(さいだん)を設けて三宝(さんぽう=仏〈悟りを開いた人〉。法〈仏の説いた教え〉。僧〈仏の教えに従い成仏を目指す出家者〉)に供養すると、目連の母親は餓鬼道の苦を逃れ、無事成仏することができたそうだ。このようにして母を救ったということが説かれている。これが「盂蘭盆会」の起源・始まりであるとされているのだ。
この仏典『盂蘭盆経』は、後代に中国で創作されたものとされている。これが、日本に伝えられたもので、日本では西暦六百年頃から公に行われるようになったようである。のちに朝廷の恒例仏事となり、また諸大寺でも行われるようになり、しだいに民間の各寺院へと普及していき、今日もなお各地の寺院などで盛んに営まれている。
「盂蘭盆会」は、もともとは中元(ちゅうげん=陰暦七月十五日)の節目に先祖を供養するということと習合されて現在の様式になったようだが、旧暦で行うところや新暦の七月および八月に行うところがあり、またその期間も必ずしも一定していないが、現在では新暦の八月十三日から十五、十六日までとするのが一般的となっている。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)うらぼん 【盂蘭盆】 大辞林第二版より 〔仏〕〔梵 ullambana〕もと中国で、『盂蘭盆経』に基づき、苦しんでいる亡者を救うための仏事で七月十五日に行われた。日本に伝わって初秋の魂(たま)祭りと習合し、祖先霊を供養する仏事となった。迎え火・送り火をたき、精霊棚(しようりようだな)に食物を供え、僧に棚経(たなぎよう)を読んでもらうなど、地域によって 各種の風習がある。現在、一般には八月一三日から一五日に行われるが、七月に行う地域も多い。お盆。盂蘭盆会(え)。盂蘭盆供(く)。精霊会。精霊祭。歓喜会。魂 (たま)祭り。
(※注2)『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典には、釈迦の十大弟子の一人に、目連(もくれん)という人が居た。目連は神通力第一と言われ、摩訶不思議な力をもった人のようである。この目連が、ある日、霊能力を使って、亡くなった母親を死後の世界に探しに行き。母親が、餓鬼道に落ちて地獄の苦しみを味わっている事に驚いた目連が、お釈迦様にどうすればよいかと相談をした。
釈迦は、当時のインドで修行の終わる日(七月十五日)に、僧侶達に食べ物を施すようにいう。目連が言われたとおりに修行を終えた僧侶達に、食べ物を施し、その功徳によって母親が救われたというのである。この『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』には、インドのサンスクリット語の原典がなく、お釈迦様がそんなことを言ったのか?、疑問もあるのだが。
この「盂蘭盆経」の教えは、孝養を重んじる中国で尊ばれ、日本でも、仏教伝来後まもなく宮中行事として行われるようになったといわれている。そして、江戸時代になると檀家制度の確立とともに、祖先崇拝行事と深く結びつき、他の亡者供養もあわせて行うようになった。
スサノヲ(スサノオ)

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(一)
◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「ullambana(ウラバンナ)」
なぜか、お盆は私達日本人には、何か特別こころに響くものがある。夏の行事というと真っ先に頭に浮かぶのがこの「お盆」という言葉であるぐらい、夏の風物詩となっており、私達の生活になじんでいる(※注1)。
お盆は一般に「仏様を敬う」あるいは「ご先祖さまを尊ぶ」というように、ご先祖や亡き人の霊を迎えて、家族揃って丁寧にもてなし、ご先祖に感謝したり、父母の長寿を願ったりする行事である。
このように、我々日本人の生活習慣の一部、お正月のような年中行事の一つともなっているほどであり、夏の重要な行事だ。
お盆と正月は、日本の二大国民的行事である。お盆とりわけ八月の月遅れの盆の頃は、故郷で、お盆を迎える人たちの帰省ラッシュが全国で起こる。民族の大移動というべき光景が、日本各地で繰り広げられる。
お盆というのは、昔から日本人の生活のなかに、しっかりと根ざしている、夏の季節の大切な節目となった。しかし、レジャー化しつつある最近の傾向は、日本の文化がだんだん薄れていくようで少々残念ではあるが・・・。
「お盆」の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」(※注2)である。盂蘭盆とは、サンスクリット語の「ullambana(ウラバンナ)」を音訳したものである。「(先祖や関係者が地獄や餓鬼道に落ちて)逆さづりにされ(苦しんでいる)」という意味で、そのために供養を営むのが盂蘭盆会とされている。
もっとも、この行事自体は、輪廻転生(たとえ身内であっても、転生したら別人格の他者になる)を説くインド的考え方ではなくて、先祖を祀ることを重視する中国(儒教)的な発想である。あるいは、もっと踏み込んで、日本の固有の信仰・風習の祖霊崇拝であるといってもよいかもしれない(※注3)。仏典に『盂蘭盆経』というのがあるが、これなど、後代に中国で創作されたものとされている。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)我国では推古天皇十四年(六〇六年)七月十五日に斎会を設けたのが始まりとされているが、本格的には斉明天皇三年(六五七年)七月十五日に、飛鳥寺(元興寺)の西に須弥山の像を作り、盂蘭盆会を催したのが初めてではないかと考えられている。
聖武天皇天平五年(七三三年)からは、盂蘭盆会の供物を大膳職の管掌と定められ、以降、平安時代には盛んに行われた。私達日本人は実に約千四百年もの間、お盆(盂蘭盆会)の行事を行ってきたのであるが、民間(一般庶民)で行われる様になったのは、江戸時代以降とされている。
(※注2)盂蘭盆(うらぼん)とは、梵語の「ウラバンナ」の音写だが、意味は「アバランバナ」つまり倒懸(とうけん・さかさ吊り)で、通常は単に盆といわれている。この盂蘭盆会にその由来を説いた「仏説盂蘭盆経」の教えにより、後には先祖供養の行事となるが、倒懸の苦を受ける死者のために祭りを行い、三宝に供養して、その苦を免れしめる行事である。
この行事はインドの古い農耕儀礼としての「ピンダの祭」、すなわち死者祭祀・祖霊祭祀と仏教の夏安居の終了に際する僧院の自恣供養会との習合したもので、それが中国に伝来されるに至って、生者(父母・六種の親属)の供養にまで拡大されるようになった。
(※注3)我が国で行われている盆行事は、中国から伝来した行事と、我国固有信仰とが習合したものであることは明らかであり、「ぼんがま」といって屋外にカマドを築き、そこで煮たきして会食する習俗が、今なお残っていることから考えても、祖霊を迎えて共食をするという古い信仰形式がこの習俗の基盤をなしており、それはまた、正月行事と非常な類似をみせているものである。
スサノヲ(スサノオ)