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◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(一)
◆◇◆神々の国・出雲と環日本海文化圏の中心地・出雲
初冬の旧暦十月、島根県・島根半島の西端の稲佐の浜で、神秘的で厳粛な神事が行われる(※注1)。全国の八百万の神々がこぞって出雲に参集して神議りをするという(神迎祭・神在祭・神等去出祭)。そこから、旧暦十月を出雲では「神在月」と呼び、他では「神無月」と呼ぶ。八雲立つ出雲の国は、神話の風景と懐かしい心の故郷を感じさせる、神々が集う国(古代が息づく神々の国・神話の国)なのだ(※注2)。
明治二十三年(一八九〇年)に来日し、伝統的な日本文化を研究したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「出雲は、わけても神々の国」「民族揺籃の地」であると述べている。出雲は古代日本の歴史と文化の重要な地(大和朝廷と出雲の緊張関係、国譲り神話に秘められた歴史的背景、倭建命の出雲建征討・出雲振根と飯入根の説話)であり、独自な歴史と文化を持ち続けた地(神庭荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡、巨木文化を伝える出雲大社・四隅突出型墳丘墓、管玉・勾玉などの玉作り文化)でもあった。
出雲の神話(『出雲国風土記』の国引き神話など)や文化(出雲系信仰と習俗など、出雲は宗教王国)を出雲という一地方のローカルな歴史と文化としてみるだけでなく、環日本海文化圏というグローバルな視点から見ると、出雲が日本海沿岸の国や地方と強く深く交流をもっていた先進の文化を持つ国(古代出雲王国)であったことを窺い知ることができる(※注3)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)神迎祭の旧暦十月、稲佐の浜にセグロウミヘビの一種が打ち寄せられる。この海蛇は「竜蛇様」(石見地方では神陀=ジンダと呼ぶ。常世国から依り来るマレビト神)と崇められ、三方に載せて恭しく出雲大社に奉納される(上がった浜ごとに佐太神社、日御御碕神社、美保神社に奉納される)。神々が、海の彼方から続々と上陸してくるという、壮大な海辺の神秘的祭りだ。
(※注2)出雲に関する神話は非常に多く、一般には「出雲神話」と総称されている。しかし、この出雲神話という呼び方には多少問題がありそうだ。というのも、出雲の神話といっても『古事記』『日本書紀』の他にも、『出雲国風土記』『出雲国造神賀詞』などさまざまな文献に記載されている。これらすべてをひとまとめにして扱っていいものか、慎重な検討が必要のようである。
『古事記』『日本書紀』の朝廷によってまとめられた出雲の神話を「出雲系神話」とも呼ぶ。出雲系神話は記・紀神話の三分の一以上にあたるとされ、とても大きなウェイトを占めており、内容的にも魅力的な物語がたくさん含まれ、最後には「国譲り神話」へと収斂していくのだ。
それに対して、『出雲国風土記』『出雲国造神賀詞』の在地でまとめられた出雲の神話を「出雲神話」とも呼ぶ。地名由来伝承に関わるものが多く、『記・紀』にはない「国引き」神話などがあり、またスサノヲ命やオホナムチ命の姿も違い、神話の質的相違を感じる。
(※注3)神庭荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡などの考古学的発見は、ヤマト政権に対抗しうるような高い技術力と独自の文化を持ち、古代日本のなかで、重要な役割を果たしてきた古代王国があったことを裏付けている(青銅器の国)。また、出雲では良質の砂鉄が採れ、古代より鉄生産は行われていた(製鉄の国)。
スサノヲ(スサノオ)

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十二)
◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノオ命とヤマタノオロチ(4)
さらに、『記・紀』の中のスサノヲ命(高天原で乱暴狼藉を働いた荒ぶる神)と、『出雲国風土記』の中のスサノヲ命(飯石郡須佐郷を拠点とする呪術的性格を持つ牧歌的な神・おおらか農耕神)の性格は、まったく異なっている。
すると、元々のスサノヲ命は、『出雲国風土記』にみられる性格の神であり、『記・紀』神話に取り込まれる際に、スサノヲ命の武神的な御子神(出雲地方の鍛剣の業に従事した人たちが奉斎していた神・ツルギ命は、スサノヲ命の御子神・ツルギヒコ命=都留支日子命とされる)たちの性格を加味して、新たなスサノヲ命が形成されたとも考えられるのだが・・・。
また渡来の神(新羅の蕃神、『日本書紀』一書には新羅のソシモリ=曾尸茂利に降りたとする記述がある)とする説もあり、韓鍛冶部(からかぬちべ)が奉じていた新羅の巫覡神が土着して須佐の神となったのであろうか・・・。まったくの蕃神(渡来の神)ではなく、出雲土着の神と新羅の巫覡神が結び付いたためであろうか(韓土と往来していた紀伊の海人によるものであろうか)・・・。
また、「スサノヲ」という名前についても古来幾多の解釈がなされてきた。スサついては、『出雲国風土記』の飯石郡須佐郷には、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名を石や木に留めるのではなく、土地の名に留めよ」とあり、スサノヲは須佐の土地の男としている。
また、スサノヲのスサは荒れすさぶる男という意味を込めているとする国学の本居宣長の説もある(スサという言葉の響きが「すさぶる」を連想させ、高天原で乱暴狼藉を働く出雲系の神とする物語が作られたのかもしれない。そうすることにより、朝廷はオオクニヌシ命をスサノヲ命の子孫として位置付けることができるのである)。
他には、スサノヲのスサは朝鮮語で巫の意味で、シャーマン(古来より、シャーマンと鍛冶部は関連がありそうだ)を表すススングに由来するとし、ススングがスサヲとなったとしている(渡来した鉄の神)。
つまり、スサノヲ命は朝鮮半島から渡来した新羅系の蕃神(外来神)であり、飯石郡須佐がスサノヲ命の出雲における本貫地であるとするものである。そこから、スサノヲ命を祖神とする集団の勢力が大原郡・神門郡へ伸び、一部意宇郡や島根郡へと及んだとしている。
スサノヲ(スサノオ)

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十一)
◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノヲ命とヤマタノオロチ(3)
『記・紀』神話のなかで、これほど大きく取り上げているヤマタノオロチ(八俣大蛇)退治の説話であるはずなのに、『出雲国風土記』には、一行も記されていない。ヤマタノオロチ(八俣大蛇)退治の説話が出雲地方を舞台(『古事記』は「故、避追はえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りましき。」と記す)とする説話であるとするならば、『出雲国風土記』に記載が見られないことは、不思議である(『記・紀』の神話作者の造作とする説もあるが、『記・紀』にあって『出雲国風土記』にないという説話は、オホナムヂ命の根の国訪問など結構たくさんある。これについては、『記・紀』に記されているものを意識的に省いたとする説もあるが)。
しかし、『出雲国風土記』には、「所造天下大神」と讃えられたオホナムヂ命(大穴牟遅命・大穴持命)による越の八口平定の説話がある。但し、この説話の主人公はスサノヲ命でなく、また八口は地名と考えられており、『記・紀』神話と同レベルで扱うことは出来ないようだ。
神話学者(比較神話学)の松前健氏は、「私は、この大蛇退治譚は、やはり出雲固有の風土伝承であったと思っている。『出雲国風土記』にはこの説話自体は出てこないが、この話と切り離せない、クシイナダヒメの名と類似のクシイナダミトヨマヌラヒメという女神の名が、八岐大蛇譚にゆかりの斐伊川沿いの飯石群熊谷郷の条に出てくる。同じ郡に、スサノヲゆかりの例の須佐の地がある。この女神の名の意味はわからないが、クシイナダヒメの別名であることは間違いあるまい。クシイナダヒメが“神秘な稲田の女神”を意味することは、いろいろな筆者の論じるところである。この大蛇退治譚の話は、出雲地方で盛んな龍蛇崇拝と農耕の結びついた信仰行事から出ている。山陰地方の田の神サンバイは、往々蛇体と伝えられているし、田植歌には、稲の女神イナヅルヒメとの婚姻が歌われている。(中略)飯石群熊谷郷には、古く稲田の女神と水の神の大蛇の神婚伝承が語られ、祭りが祝われていたのを、スサノヲの崇拝が入り込んで、これを包摂し、その意味を変え、民間に流布する人身御供譚をその由来譚として採用したのであろう」と話している。
スサノヲ(スサノオ)

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十)
◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノヲ命とヤマタノオロチ(2)
スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は高天原を追放され、出雲国の肥の河上の鳥髪(船通山、一一四三メートル、大砂鉄地帯)という地に降ったと『古事記』は記している。ただ、『日本書紀』一書には、安芸の可愛(え)の河上に降ったとしたり、新羅のソシモリ(曾尸茂利)に降り、そこから船で日本の紀伊に渡るとし、また別の一書では、クマナリ(熊成)峯から根の国に渡ったとする異説を収録している。
また、『日本書紀』一書は、スサノヲ命は、長雨の降る中を蓑笠姿で彷徨い歩いたが、どこの家も留めてくれるところがなく、スサノヲ命の辛苦難渋の流浪の様子を描いている(『備後国風土記』逸文では、蘇民将来の説話として登場する。沖縄にも類似の説話がある)。
出雲の肥の河上の鳥髪に降ったスサノヲ命は、斐伊川を流れる箸をみて、上流に人がいると知り尋ねてみると、そこには国つ神・大山津見神の子でアシナズチ(足名椎・脚摩乳)、テナズチ(手名椎・手摩乳)の老いた夫婦とその娘のクシナダヒメ命(櫛名田比売・奇稲田姫命)が嘆き悲しんでいた。
そこで、スサノヲ命はヤマタノオロチ(八俣大蛇=八岐大蛇=八俣遠呂智)の生贄にされようとしていたクシナダヒメ命を助けようとする。スサノヲ命はヤマタノオロチを酒に酔わせ、眠らせておいて十拳剣で斬り殺し、肥の川は血に変わったという。
大蛇の尾を切り裂いたところ、霊剣・草薙剣(草那芸の大刀・都牟刈の大刀)が出てきたので、姉神であるアマテラス(天照大御神)に献上し、これが後の三種の神器の一つになったという。
スサノオ命は、クシナダヒメ命と結婚をして、出雲の須我(須賀)に宮殿を造って住む。このとき、「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」という有名な歌を作ったという。また、この二人の間にもうけた子孫が大国主命であるとしている。
このように、『古事記』に描かれたヤマタノオロチ(八俣大蛇=八岐大蛇=八俣遠呂智)は、凄まじい形容で描かれる(『古事記』は「是の高志の八俣のをろち年毎に来て喫へり。今、其の来べき時なるが故泣く。」・・・「彼の目は赤かがちの如くして、身一つに八頭・八尾有り。亦其の身に蘿及檜・椙生ひ、其の長谿八谷・峡八尾に度りて、其の腹を見れば悉に常に血爛れたり」と記す)。これは一体何を象徴しているのであろうか。
この解釈については、斐伊川が鉄穴(かんな)流しによって水が赤く濁ったとする説、斐伊川の姿(蛇体の水の精霊)を表しているとする説(竜神に人柱として生贄を捧げていたが、治水開拓にすぐれた英雄神が河川を治めた)、出雲での蛇祭を表しているとする説、大和政権からみた出雲のイメージとする説、高志(北陸地方)人の首長であるとする説、中国山脈の鉄山と鍛冶部(かぬちべ=タタラと呼ばれる漂泊的採鉱冶金鍛冶集団)であるとする説、あるいは、シベリアのオロチ族であるとする説など、じつに様々な説がある。
他にも、もともとは「怪物と人身御供」の説話ではなく、蛇体の水神と稲田の女神との神婚説話に、新たに人間的英雄神説話「ペルセウス・アンドロメダ型説話」が包摂したとする説もある。
スサノヲ(スサノオ)

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(九)
◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノヲ命とヤマタノオロチ(1)
日本の代表的な神事芸能「神楽(かぐら)」として「佐陀神能(さだしんのう)」(島根県鹿島町の佐太神社に江戸初期から伝わるという国の重要無形民俗文化財)(※注1)と、そこから派生し、よりエンターテイメント性豊かになった広島県高田郡周辺に伝わる「芸北神楽(げいほくかぐら)」(※注2)がある。
囃子や謡などに能の形式を取り入れた「佐陀神能」は、スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)のヤマタノオロチ(八俣大蛇=八岐大蛇=八俣遠呂智)退治に題材をとった「八重垣(やえがき)」のほか、「大社(おおやしろ)」「大和武(やまとたけ)」などを演ずる。
また「芸北神楽)」は、巨大な面、赤や緑の極彩色の衣装など、スペクタクルな演出が特徴だ。佐陀神能の「八重垣」と同じくヤマタノオロチ退治を描いた「八岐大蛇(やまたのおろち)」では、スサノヲ命とヤマタノオロチの迫力たっぷりの対決が圧巻である(口から火を噴き、暴れ回る長さ十メートルもの巨大な大蛇に、真っ向からスサノヲ命が剣で立ち向かう)。
神楽は、神を招き、その魂を鎮めるのを目的とした神事芸能である。「佐陀神能」と「芸北神楽」は、神話の世界を題材に演劇的な「神能」を演じるところに特徴のある出雲流神楽の流れを汲むものだ。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)「佐陀神能」は、島根県鹿島町・佐太神社の氏子を中心に伝承されてきた。江戸初期には成立していたという。鈴・剣・茣蓙(ござ)などを手にもって舞う採物舞「七座」「式三番」「神能」の三部構成で、囃子・謡・所作などに能の形式を取り入れている。
(※注2)「芸北神楽」は、そこから派生し、変化していった神楽で、広島県高田郡周辺に伝わっている。巨体な面、鮮やかな色彩の装束、口から火を噴く仕掛け、そして長さ十メートルにもなる大蛇など、スペクタクルに溢れており、庶民に親しまれる演出がなされている。
スサノヲ(スサノオ)