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◆エビス神、信仰コミュニティーの成立(二)
◆◇◆エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須)神、ヒルコ(水蛭子・蛭児)とコトシロヌシ(事代主命)
エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須)神はいうまでもなく、七福神(商業社会が成立する室町時代、インドや中国の神々を集めた福神信仰が広まる)の一柱として、また商売の神として各地で篤く信仰を集めていた。
実はこのエビス(ゑびす・夷・戎)は、他の七福神の中でも例外的な存在である。というのも、七福神のほとんどが大陸系(インド・中国)の色合いが濃い神であるのに、エビス(ゑびす・夷・戎、狩衣指貫に風折烏帽子を被り大きな鯛を抱え釣竿を肩にかけた福々しい姿)神だけは複雑な経過を辿り生まれた日本の神だからだ。
このエビス神(神名には夷・戎・恵比須などが用いられるが、異郷・辺境から来訪して幸をもたらす威力ある荒々しい神を表す。また漁村では広く鯨・鮫・海豚を「ゑびす」と呼んだり、漂流する死体を「ゑびす」と呼んだりして、豊漁の前兆とする信仰がある)にはイザナギ命とイザナミ命の最初の子神であるヒルコと無類の釣り好きというコトシロヌシの二つの顔がある。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 本来は海の彼方から福をもたらす漁業の神、後に商工業の発展に従い商売繁盛の神として庶民に広く信仰されるようになる。毎年一月十日を初戎(十日戎)として百万人の参詣・参拝客で賑わう。
西宮神社(兵庫県西宮市、福神ゑびす=西宮ゑびすの総本社)の祭神は西宮大神(蛭子大神)を主神として天照大神・須佐之男大神・大国主大神を祀る。
西宮ゑびすの名が文献に見えるのは平安末期からで、『伊呂波字類抄』に「夷(毘沙門、ゑびす)」(毘沙門とあるのは本地垂迹説によるもの)とあるを初見とする。
西宮ゑびすには次のような伝承がある。「昔、鳴尾の浦の漁師が夜に武庫の海で網を曳いていると神像のようなものがかかった。漁師はこれを捨ててさらに進み、和田岬の辺りで網を曳くと捨てたはずの神像が再びかかった。そこでこれを持ち帰って家に祀った。
ある夜の夢に神の信託があり『われは蛭子神(ひるこのかみ)である。国々をまわってここまで来たが、ここより西に適地がある。そこに鎮まりたい』と伝えた。
漁師はこの夢を里人に話し、神像を輿に載せてこの地に祀ったという。」 つまり西宮ゑびすの起源は、寄り神的な習俗を基とする漁民信仰(海人信仰)の一つであると考えらる。
(※注2) 一つはイザナギ命(伊邪那岐命・伊弉諾尊)とイザナミ命(伊邪那美命・伊弉冉尊)の最初の子神でありながら海に流されヒルコ(水蛭子・蛭児)である(流産児や未熟児を川や海に流した「オカエシ」という古俗の反映か)。
『源平盛衰記』によると、後にこのヒルコがアメノイワクスブネ(天磐樟船)に乗って摂津国西の浦に漂着し、土地の人々はヒルコを大切に育て夷三郎と呼び、そののち夷三郎・戎大神として祀ったとする伝承(西宮=エビス信仰の総本社の西宮神社には、別の伝承があります)を伝えている。
海の向うの理想郷=常世の国から訪れるマレビト神・寄神の信仰による。海の恵みや海からの漂着物は神の賜物とされた)を伝えている。このエビス(ゑびす・夷・戎)は豊漁や海上安全の「海の神」、交易・商業の繁栄の「市の神」、商売繁盛をもたらす「福の神」として民衆から圧倒的な信仰を持たれていくのである。
(※注3) そうしてもう一つの顔は、島根県八束郡美保関町の美保神社に祀られてるのオオクニヌシ(大国主命)の子神・コトシロヌシ(事代主命、天孫族の国譲りに際し、抵抗もなく服従し海に身を隠した神)とされている。
ちなみに、美保神社に祀られるコトシロヌシ(事代主命)としてのエビス(ゑびす・夷・戎)は、左手に鯛を抱え、右手に釣竿を携えた、今見ることのできるエビス(ゑびす・夷・戎)の原形に近い。
このエビス(ゑびす・夷・戎)は海の神として漁師の信仰の対象になっていた。コトシロヌシ(事代主命)が大漁の神・エビス(ゑびす・夷・戎)とされたのは江戸時代のことのようで、オオクニヌシ(大国主命)の大黒と対をなす祭神は「出雲大社だけでは片参り」と広く信仰された。この二柱の神は、なぜか民衆に熱狂的に崇拝されてきたのである。
スサノヲ (スサノオ)
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◆2012年 古事記編纂1300年記念
「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
スサノヲ (スサノオ)

◆◇◆エビス(ゑびす・夷・戎・恵比須)信仰、十日戎(一月九日~十一日)
一月十日は「商売繁盛、笹持って来い!・・・」で知られる、西宮神社(兵庫県西宮市、ゑびす宮全国三千余社の総本社、西宮のえべっさん)や大阪府・今宮戎神社(大阪府大阪市浪速区)でエビス(ゑびす・夷・戎・恵比須、蛭子神が摂津国西の浦に到着し夷三郎として祀られたのが西宮エビス)神を祭る「十日戎(とおかえびす)」が行われる。九日は「宵戎(よいえびす)」で、十一日は「残り福」である。
関西では「えべっさん」と呼ばれ庶民に親しまれている祭りで(関東では一月二十日、十月二十日や十一月二十日のゑびす講)、特に総本社の西宮神社と今宮戎神社(元は西宮神社の分社で、西宮の本宮に対し今宮といわれました)は、それぞれ百万人の参詣・参拝客で賑わう。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 私たちは、七福神(恵比須・大黒天・弁財天・毘沙門天・布袋尊・福禄寿・寿老人)の中で満面に笑みをたたえた福相をして、デップリと太って狩衣指貫(かりぎぬゆびぬき)に風折烏帽子(かざおりえぼし)を被り、鯛を抱え釣竿を肩にかけたエビス(ゑびす・夷・戎・恵比須・恵比寿)神の姿をよく知っている。
このような姿は、江戸時代の商家の福神信仰の広まりとともに生まれたものである。インドの三柱の神、中国の三柱の神とともにただ一柱、日本の神としてエビス(ゑびす・夷・戎)神が七福神に加えられている。
ここには商業社会(商業社会が成立する室町時代、インドや中国の神々を集めた福神信仰が広まる。中国の奇数を尊ぶ思想や竹林の七賢人、また仏教の「七難即滅、七福即生」にならって七福神信仰が成立する)のエビス(ゑびす・夷・戎)信仰の根強さを窺い知ることができる。
エビス(ゑびす・夷・戎)神は元々漁業の神であったが、商人が干鰯(ほしか)・昆布などの海産物を扱うことが多かったため、商売繁盛の神・商家の神ともされた。
(※注2) エビス神はゑびす・夷・戎・蛭子・胡子・恵比須・恵比寿とも書き、見知らぬ遠方・辺境のものや異邦人・異俗の人々を意味する。日本には古くから異邦人・異俗の人々を蔑視と畏怖の対象とみなすだけでなく、異郷からやって来たものが人々に望外な幸をもたらしてくれるという信仰があった(海の彼方からやって来るものに、海の幸や豊穣を呼び込む霊力があると期待する心意がありました)。
こうしたことからも、漁民が浜に流れ着いたものを「寄り神(漂着神)・客神(まれびとがみ)」として祀る習俗(多くの漁港や漁村では浜辺や村内のあちこちにエビス神の祠が見られ、普段から漁民の篤い信仰を集めているとともに、大漁があったときなどにはエビス魚などといって祠の前に獲れた魚を献じる習慣がある)が、福神(豊穣・豊漁の神)としてのエビス信仰の最も古い形(原初的形態)であったと考えられる。
各地に残されている寄り神信仰をみると、三浦半島では水死体を「流れ仏」と呼び、それをエビスとして祀り、「エビスさん拾い上げてやるから漁をさせろ」という風習があったた。奥能登や佐渡の漁村では、村外から訪れる物貰いをエビス神に見立てて祀っていた。
京都府舞鶴市の小橋漁港では、海中から拾い上げた丸石をエビス神として神社に前に置き、出漁前に丸石を叩いて大漁を祈願する風習が今でも行われている。また、東日本の漁民の間では、鯨・鮫・海豚のことをエビスと呼ぶことがある。
(※注3) 出雲地方では、海辺に寄り来る海蛇(セグロウミヘビの一種)に対する竜蛇信仰(竜蛇様)が盛んである。そうしたことから、古代の出雲の人々は、竜蛇様と同じような性格のエビス神をオオクニヌシ(大国主命)の子神で漁猟の好きなコトシロヌシ(事代主命、国譲りに際し天孫族に服従したあと海の果てに去ったとされる。島根県八束郡美保関町の美保神社)として豊漁の神に神格化したのである。
またここから大黒様(音の通ずるところから大国主神とされます)とエビス様の福神ペアとしての考えも生まれた(室町時代中期頃、日本では古くから男女神、夫婦神、親子神など二柱一対に祀る風習があり、神の力も二倍になると考えた。こようにして「エビス大黒」は強力な福神のイメージが形成されたのだ)。
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この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
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◆夷【恵比須、蛭子】信仰と結びついた神

※今宮戎神社の行事 例大祭「十日戎」
「商売繁盛でササ持って来い」の掛け声も威勢よく始まった大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)の例大祭「十日戎」は、九日(宵宮)・十日(本ゑびす)・十一日(残り福)の三日間斎行される。この戎(えびす)信仰とは何か。
※夷【恵比須、蛭子】(えびす)様の正体とは、
タイを抱え釣り竿を肩にしてニコニコ笑っている「エビス様」この笑顔を「エビス顔」といい、室町時代には七福神の一人となる。この一般によく知られている「エビス様」の正体がよく分からない、といわれている。
イザナギ命(伊邪那岐命)とイザナミ命(伊邪那美命)の二人の間に産まれた最初の子であり、不具の子・水蛭子(蛭児・ひるこ)は「子の例(かず)に入らず」と葦船に乗せられて流し捨てられた神様である。その後、この水蛭子は摂津国(兵庫県と大阪府の一部にまたがる地域)・西宮に流れ着いたとされている。
また、女性神の日神・ヒルメ(日女)に対する男性神の日神・ヒルコ(日子)であったのではないかという考えもある。この出自のよく分からない神様は、「エビス」の総本山である西宮神社に鎮座している。
もう一つの神様はコトシロヌシ命(事代主命)である。コトシロヌシ命(事代主命)はオオクニヌシ命(大国主命)の第三子で、出雲の国譲りの話に登場する。天津神の使者が出雲にやってきた時、、国を譲るようにオオクニヌシ命(大国主命)に迫る。
その時、御大の前で釣りをしていたコトシロヌシ命(事代主命)は、アメノトリフネ(天鳥船)を使って呼び戻され、父であるオオクニヌシ命(大国主命)の前で、天津神である彼らに従う旨を伝える。コトシロヌシ命(事代主命)は、天の逆手を打って船を覆し、青紫垣に変えてその中に隠れてしまった。
さらに、広田神社の神官で、神社の再建に力を出し、神功皇后が朝鮮から帰還の時、タイを釣って、祝宴を設け、この功により西宮神社の祭神となったという「夷(えびす)三郎」である、という説もある。
漁民の民間信仰によると「エビス」は水死人のこと、それを拾うと豊漁になるといわれている。また地方によって鯨、鮫、いるか、流木などを指す場合もある。
これらにはブリやカツオが着いていることもあり、大漁をもたらすものでもあったそうだ。いうなれば海上を漂いながら辿り着く「漂着神」であり、異郷からやってくるもの「エビス」とはそのような意味があった。それがいつの間にか時代が変わると七福神の一人となり、大漁の神と変化していくのである。
西宮夷社に接して魚の市場が設けられ商人はその魚を販売していく足場として各地に「夷社」が勧請され、そこが交易の場となってゆく。さらに、西宮の神社の雑役をつとめながら「人形あやつり」や神社の領布を行う「夷かき」とか「夷舞い」と呼ばれた「くぐつ」などの芸能の徒の活動が加わってゆく。
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「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
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◆奈良・東大寺二月堂の「修二会とお水取り」
◆◇◆奈良・東大寺二月堂の「修二会とお水取り」、山岳信仰と仏教
3月1日から奈良の東大寺二月堂で、「お水取り」として知られる「修二会(しゅにえ)」の本行が始まった。1255年も続く春の祭典で、真っ暗の闇の中に松明が踊る厳粛な儀式である。
その中でも12日の深夜(13日の午前1時半頃)にひっそりと非公開で行われる若水汲みを「お水取り」と呼ぶ。この法要は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来する。
この修二会は、二月堂のご本尊である二体の秘仏・十一面観世音菩薩に1年間の罪(罪障)を懺悔し、世界平和と国家安泰、万人豊楽を祈る行事(十一面悔過法要=じゅういちめんけかほうよう)で、天平勝宝四年(752年)より欠かさず行われてきたと伝えられている。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)=閼伽井屋(あかいや)という井戸から十一面観世音菩薩にお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。
また、この行を勤める練行衆の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火が灯され、参集した人々を沸かす。このため「修二会」は「お水取り」「お松明」とも呼ばれるようになったた。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶(十一面観音の十一面に合わせて)が発表される。明けて2月20日より練行衆は別火(べっか)と呼ばれる前行に入り、3月1日からの本行に備える。
3月1日からは14日までの二七ヶ日夜((二回×七ヶ日=計14日間)の間、本行に入る。火祭りとして知られるお水取りだが、前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となる。年間で一番寒い時期、練行衆にとってはほんとに厳しい勤行であろう。(※注1)
「修二会」の中心の勤行(悔過・仏への懺悔)(滅罪・罪滅ぼし)には、山岳信仰の修験道の行者(聖・優婆塞)が行う「祓い浄め」が色濃く反映している。山伏の「懺悔懺悔、六根清浄」の祈りの言葉にはそうした意味が込められている。また、海岸沿いの辺地を巡る「巡礼」もまた滅罪のための苦行の一つである。
良弁僧正と実忠和尚によって、「修二会」はこうした山岳信仰の「祓い浄め」を核に、仏教的衣をまとって今日的形になったのだ(藤原氏、特に光明皇后は一族と一族が作り上げた国家を守り抜こうと、滅罪の最新の呪法・仏教のパワーを駆使する法会・法要と寺院の建立に努める)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠和尚によってはじめられたと伝えられている。実忠和尚は751年笠置山中の龍穴から弥勒菩薩の兜率天内院に至り、そこで「十一面悔過」の行を観たという。
この十一面悔過を「地上」(人の世)で行ずるのが東大寺の修二会である。また、修二会は現在11口(人)の参籠僧によって営まれ、これを練行衆と言う。
和上、大導師(咒願師)、咒(しゅ・呪)師(咒禁師)、堂師、以上四職。以下、平衆七人で、北衆之一、南衆之一、北衆之二、南衆之二、中灯之一、権処世界、処世界と称される役を受け持つ。

スサノヲ(スサノオ)

◆東大寺二月堂の修二会、お水取り
◆◇◆古都・奈良の春を呼ぶ幻想的な炎の舞い、火と水の聖性をシンボライズ
古都・奈良に春を呼ぶとされる、東大寺二月堂の修二会(しゅにえ・お水取り)が、三月の一日に本行入りした(二月堂修二会、三月一日~三月十四日)。
お水取りとは、連行衆(れんぎょうしゅう・十一人の参篭する僧侶)が、約一ヶ月の間(「前行(別火坊)」も含めて)籠もって修行することである。深夜、お勤めをするためにこの三週間二月堂に籠もっている僧たちが中庭にある閼伽井屋(あかいや)に入り、この中で水を汲む(汲む所は非公開とされている)。
閼伽井屋(あかいや)の閼伽とは梵語のアルガの音写で水のことで、英語のアクアと同じ語源だそうだ。
十一人の練行衆(参篭する僧侶)は、二月堂の本尊・十一面観音に向かい自分と万民の罪を悔いつつ許しを請う(悔過)。さらに、新年の除災招福と豊穣安穏を祈願する。
この行法は、奈良時代から一度の中断もなく続いている伝統行事である。夜には長さ約六メートルの燃え盛る松明の火が二月堂の舞台からせり出され、僧が二月堂の床を踏み鳴らして内陣に駆け込む音が響き渡るとともに、火の粉を散らす。
闇の中に熱く燃え上がる大きな松明、華麗に飛び散る火の粉、僧が内陣に駆け込む騒々しい音、リズミカルに響きわたる霊妙なる真言(「十一面神咒心経」)、そして秘儀の中に行われる神秘的な若水汲み。
このように火と水の聖性をシンボリックに、「悔過」と「除災招福」を行う迎春法要(迎春の法会)。まさしく古都・奈良の春を呼ぶ幻想的な炎の舞だ。
これが終わると、やっと奈良に春の兆しが現れると奈良の人たちは言う。
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