◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(二)
◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、名月を観賞する習慣、古来からの農耕儀礼
仲秋の名月(旧暦八月十五日)には、各地でお月見の行事(すすきや団子などを供え月を観る行事)が行われる。仲秋とは八月のことで、満月が十五日にあたる(※注1)。古来中国では、十五夜を「仲秋節」と称し、月餅(げぺい)などを供えて月見をする風習があり、それが奈良時代にわが国に伝えられたとされている。平安時代、貴族の間では十五夜の満月をめでつつ詩歌や管弦を楽しむことが盛んになった。次第に武士や町民へと広がっていった(※注2)。
しかし一方では、中国から伝わる以前に、わが国独自の農耕儀礼が行われていたという説もある。暦がなかった時代(この行事の起源はかなり古く)、農事は月の満ち欠けによって進められ、なかでも最も大切な節目とされた十五夜(陰暦八月十五日の満月)には、稲作が伝わる以前からよく食されていた里芋の収穫の感謝祭などが行われていた。元来は豊作の象徴である満月に秋の七草や団子、季節の野菜などを供えて、月を祭る神祭りの日であったと考えられている。
団子は、古くは日本の代表的食物で、ちょうどこの頃出る里芋を炊いて供えたのが原型とされ、秋の名月を今でも「芋名月」と呼びならわし、里芋などを供える地域が多いのは、その名残といわれる。現在、関東の丸形のだんごに対し、関西では里芋形のだんごが供えられるのも、月見の古い形態にちなんだもののようだ。また、すすきの穂を供えるのは稲穂の変化した形ともいわれている。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)一年には「春夏秋冬」の四季があるが、旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり、「一・二・三月」は春、「四・五・六月」は夏、「七・八・九月」は秋、「十・十一・十二月」は冬となる。そしてそれぞれの季節に属する月には「初・中(仲)・晩」の文字をつけて季節をさらに細分するのに使った。
たとえば旧暦四月は「初夏」となる。このように当てはめると、「八月」は秋の真ん中で「仲秋(中秋)」となる。旧暦は太陰暦であるから日付はそのとき月齢によく対応しますから、月の半ばである十五日はだいたいにおいて満月になる。新暦では九月中頃過ぎにあたる。
(※注2)このような月の美しさを観賞するという美意識は、西欧などにはあまり見られない。元々中国の習俗であったが、日本の豊かな自然風土と四季移ろいの中で、日本独特の文化を作り上げた(日本という風土の中で、季節の移り変わりを感じ取り、それを楽しむ。日本人が持ちえた繊細で豊かな感性である)。
八月十五日の夜の月を観賞するのに、里芋の子の皮をつけたままで蒸した衣被を盛って供えたところから「芋名月」と呼ばれた。宇多天皇が寛平九年(八九七年)、宮中に観月の宴を催されたのが発端となり、月見に団子を供える習慣が出来、芒、芋等と共に三宝に十五個盛る。今日の月見だんごは、これに由来したものだ。
次第に武士や庶民へと広がり、月神や玉うさぎの絵像を掲げ、日が暮れかかると、月の出る方向に台を据える。そして、秋の七草を生け、酒・団子・里芋などをお供えし、女性は月に向って礼拝したのち、宴を開いた。又、旧暦九月十三日の夜を「後の月」といって枝豆や栗を供えた。仲秋の名月とは趣きも異なる日本特有の行事である。これを「豆名月」と呼ぶ。
スサノヲ(スサノオ)
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