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◆エビス神、信仰コミュニティーの成立(五)
◆◇◆エビス信仰、その信仰コミュニティーの成立過程(3)、市の神から日本の福神の代表へと発展
エビス(ゑびす)神は漁村の漁民が祀る海から寄り来る海の幸をもたらす神(神霊)と考えられていた(日本は周囲を海に囲まれた島国なので、外=海から寄り来る神が豊かさを運んでくるという素朴な信仰観念がありました)。
次第に内陸に広がると、中部地方の農村などでは田の神をエビス(ゑびす)と呼ぶところが出てくる(本来は漁業の大漁をもたらす神であったが、農業の豊作をもたらす神として受け入れられる)。また山の神をエビス(ゑびす)神とする信仰も中世以降にみられる。
漁民や農民にとっての脅威は、自然を司る神の怒りである。それゆえに豊漁や豊作をもたらすよう祀り、共同体社会の守り神として祀ったのである。豊漁や豊作があると、そこに収穫物の取引の市が生まれ人が集り賑わう。エビス(ゑびす)神を市場の守護神として祀る風習も、この時起こってきた。
つまり市場の誕生と町や都市の商業社会の発展だ。しかし、町の商人にとっての最も大きな不安は不景気や破産であり、そのため商売繁盛をもたらすよう祈り、町の商家では商業の守護神として祀ったのである。
その後、中世・近世になって町人文化が花開く京都・大阪・江戸の三都を中心に福神信仰や七福神信仰が広まり庶民の間に定着する。そうした福神のイメージを代表するのが、今日私たちが知る七福神のエビス(ゑびす)様の姿である(満面に笑みをたたえた福相をして、デップリと太り狩衣指貫=かりぎぬゆびぬきに風折烏帽子=かざおりえぼしを被り、鯛を抱え釣竿を肩にかけた姿)。
このように祀る共同体社会(コミュニティー、漁村・農村・町=都市)の性格によってかなりの相違のある神といえる(本質は豊漁や豊作・豊かさなどの福をもたらしてくれる神で、幸福を希求する日本人の民俗性から生み出された独自の信仰なのである)。
エビス(ゑびす)講というこの神を祭る行事も、日取り・行事の形態などが土地や共同体社会によって一定していない。町中では十二月二十日に行う所が多いようだが、農村では神無月の十月に行い、二股大根などを供える所が多い。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注) 海辺の漁村では豊漁があると、人は集り賑わい市が誕生した。本来漁村の豊漁の神であったエビス(ゑびす)神も市場の守護神として祀る風習が後に起こってくる。その市には、傀儡子(くぐつし、戎舞わし)や人形芝居など神に奉納する類の芸能が発展してくる。西宮神社周辺も傀儡子の発祥地としてよく知られている。
この芸能や商売の発展によって人の交流も盛んになっていく。すなわち、人があちこちら散らばることによって、信仰が広まっていくのである。古い文献を見ると、乾元元年(一三〇二年)、奈良の南の市を開く時、恵比寿神社を祀ったという記録がある。建長五年(一二五四年)、鎌倉の鶴が丘八幡宮に、やはり市の神としてエビス(ゑびす)神を、奉祀したという記録もある。
このようにエビス(ゑびす)神は、鎌倉時代の頃から「市の神」「市場の守護神」として祭られるようになり、商業の発展にともなって次第に商売の守り神としての信仰を獲得するようになっていった。その中心になったのが兵庫県西宮市の西宮神社で、エビス(ゑびす)神を福神信仰として全国的に広める役割を果たしていった。
また島根県の美保神社では、元々は天神を祀っていたが、文化十年(一八一三年)にエビス(ゑびす)神になぞらえられる事代主神が登場する。事代主が一般的になるのはこの頃ではないかと考えられている。この頃にエビス(ゑびす)信仰が広まっていったようだ。
(※注) エビス(ゑびす)神は、本来漁村で「海の神」として信仰されたものだ。エビス(ゑびす)信仰の総本山である兵庫県の西宮神社が、広田神社の摂社であったのが民衆によって盛り立てられ隆盛を極める。元々はローカルな漁村の漁民の神であったものが、今やもっともホピュラーな神であるエビス(ゑびす)神となるのである。
神話学者の松前健氏は『日本の神々』において日本の神はローカル性があり、それが『記・紀』神話に取り入れられたのではとの見解を示している。また、柳田国男が「百姓えびす」について言及しているように、エビス(ゑびす)神は海だけでなく山においても祀られている。
スサノヲ (スサノオ)
◆神社魅力プロデューサー
http://www.ustream.tv/recorded/19336205
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◆2012年 古事記編纂1300年記念
「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
スサノヲ (スサノオ)

◆エビス神、信仰コミュニティーの成立(四)
◆◇◆エビス信仰、その信仰コミュニティーの成立過程(2)、「海の神」「漁民の神」
エビス(ゑびす)神は、今では商人・農民の間に広く信奉されているが、本源(原初的信仰)はやはり「漁民の神」であったといえる。
古くから漁村では、異郷から訪れて豊漁をもたらすものを神(神霊)として信仰する習俗が全国各地にあった(日本固有の「寄り神」「訪人神」の信仰を背景にして、特定の神人群によって流布したものと考えられる)。
地方によっては、鮫や鯨・海豚などのことをエビス(ゑびす)と呼ぶ。これはそれらの鮫・鯨・海豚などに追われて魚群が海辺近くに現れることから、霊力ある神として考えられていたからである。
また、海難者の水死体をエビス(ゑびす)の御神体として祀るところがあったというし、また海中から拾い上げた奇異な形の石をエビス(ゑびす)として御神体としたり、漁網の中央の浮標(うき)をエビス(ゑびす)と呼んだりしているところもある。
こうして見ると、エビス(ゑびす)神は漁村の漁民にとって豊漁をもたらす神霊として信仰されていたということが根本にあったことがわかる。漁の大半が海であることから、「航海の守護神」としての信仰も中世には起こってくる。(※注1・2)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) エビス(ゑびす)神は、夷・戎・蛭子・恵比須・恵比寿とも書き、もともと異郷からやってきて、人々に幸福や幸をもたらしてくれる神と信じられ、漁民に深く信仰された。
エビス(ゑびす)神の祠に祀られるのは、必ずしもエビス(ゑびす)の神像や御札だけでなく、浜に打ち寄せられた浮遊物や海中の石などもある。それらはみな海の恵みであり、福をもたらすものだと考えられたからだ。
鯨や鮫・海豚をエビス(ゑびす)と呼んで尊ぶ風習は全国的に存在する。鯨や鮫・海豚には必ず魚群がついてきており、鯨や鮫・海豚が近寄ると大漁をもたらしてくれるからだ。
また、水死体を「エビス(ゑえびす)」といって供養することも全国的な漁村の風習だが、これは葦船で流されたヒルコ(蛭子)神信仰からきたものと考えられるし、死体には魚類が集まるので「福の神」とみなすという考え方と一つになったものとも考えられる。このように漁村で「福の神」として信仰されていたヒルコ(蛭子)神が、農家や商家でも祀られるようになる。
こうした寄り神信仰とは、神来臨信仰の一つで、川海などから漂着し来臨するという観念に基づく信仰である。『文徳実録』斉衡三年(八五六年)十二月条に、常陸国鹿島郡大洗磯前に怪石が海から揚がったので神として祀ったと伝えている。このように御神体の縁起としての寄り神伝説やそれに基づく神事は各地に広くみられる。
民間では漁村のエビス(ゑびす)信仰もそれである。伊豆大島や新島・神津島のように、キノヒの明神が一定日時に海上から寄り来るのを迎え、厳しい物忌みの下に祭りを行うのも寄り神信仰の特徴を最もよく表している。
寄り神の信仰は、祭りに当たって遥かな海上他界(常世の国、ニライカナイなど)から神を迎えることにあり、その背景には海上他界観の存在したことが推察できる。
(※注2) エビス(ゑびす)信仰の総本山である兵庫県の西宮神社の起源は、寄り神的な考えに基づく漁民信仰の一つと考えられる。古くから漁村では、一定の儀式によって海底のの石を拾い、あるいは漁網の中に入った石や漂流物を拾い上げて祀る風習が近年まで広く行われていた。それは全国の漁民一般に見られるものだが、西宮の辺りにも、海から上がったという神の伝承を持つ所が多くある。
では、西宮神社だけが全国のエビス(ゑびす)社の本家のようにいわれ、後世に見るような隆盛を見るようになったのであろうか。それは西宮神社とゆかりの深い広田神社が、神祇伯を世襲した白川家の最も重要な所領であったことと深く関係している。
元来、西宮の夷社=現在の西宮神社は、旧官幣大社広田神社の末社に過ぎなかったのだが、市の発展と商業の発展によって、商都大坂・堺を中心として、庶民の信仰を集めた。
さらに戎舞わしの下級神人や戎舁き(戎舞わしの傀儡子=くぐつし)が、エビス=ゑびす神の神札と人形を持って諸国を周ったので、その結果、広範囲に布教されていったのである(エビス=ゑびす神は漁師が大漁を祈っていたが、海産物の売買により「市の神」「商売繁栄の神」「福の神」として、広く商家にまで信仰されるようになる)。
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「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
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◆エビス神、信仰コミュニティーの成立(三)
◆◇◆エビス信仰、その信仰コミュニティーの成立過程(1)
エビス信仰とは、農漁村や商家などで生業を守護し福徳をもたらす神として、日本全国で見られる信仰である。エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須・恵比寿)の語源については、異郷から訪れる神という観念が強く認められる。
日本固有の「寄り神」「訪人神」の信仰を背景にして、特定の神人群によって流布したものと考えられる。漁村では祠に祀った神だけでなく、鯨・鮫・河豚をエビス(ゑびす)と呼ぶことが多く、大漁をもたらす神(神霊)と畏敬されてきた(エビス=ゑびすという語は忌詞で、大漁の前兆として直接に呼ぶことを避けたための言葉とも考えられている)。
また場所によっては、祠に祀ったエビス(ゑびす)の御神体が漂着神であったり、網にかかって揚がったものなど地域によって違いがあつが、エビスへの信仰は全国的に分布する。(※注1)
この漁村に発したエビス信仰は、次第に内陸に伝播し、農業神となり、更に商家の神ともなる。そこには、夷舞わし(ゑびすまわし)や戎舁き(ゑびすかき、戎舞わしの傀儡子=くぐつし)などの芸能を持ち歩いた人々の力と影響を見ることが出来る。
このように今日見るエビス信仰(庶民に篤い信仰を持たれて親しまれている民俗信仰)が成立する過程を考察すると大きく別けて、三つの共同体社会(コミュニティー)(漁村、農村、商業社会=商家)とその成立過程を見ることができる。
それは「海の神」「市の神」「福の神」としてのエビス信仰と共同体社会(コミュニティー、共同体社会の変化と発展過程)との関係である。このエビス信仰という民衆にもっとも親しまれた民俗信仰を、少し考察してみよう。(※注2)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須・恵比寿)神は、生業を守護し福利をもたらす神として、日本の民俗信仰(民間信仰)の中で広く受け入れられている神(神霊)である。
語源は定かでないが、「夷」つまり異郷人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されている。現在一般にエビス(ゑびす)の神体と考えられている烏帽子を被り鯛と釣り竿を担いだ神像によっても窺えるように、元来は漁民漁村の間で、より広範に信仰されていたものだが、しだいに商人や農民の間にも受容されたと考えられている。
漁村では多くの地方で、海中から拾った、あるいは浜辺に漂着した丸い石をエビス(ゑびす)の御神体と定めて祠に納め、初漁祝いや大漁祈願など各種の漁に関わる行事で祭りは行われている。
また鯨・鮫・海豚などをエビス(ゑびす)と呼んだり、遭難者の遺体や漂着物をエビス(ゑびす)と呼んでこれを決して粗末には扱わない風習があった。
さらに漁師が海に出漁するときや、釣り糸を垂れるとき、海女が海に潜るときなどに「エビス(ゑびす)えびす」と唱え言をすれば漁があると伝えている所も多いようである。
いずれも、魚群は回遊するという性質と、この神霊に観念されている属性とが結び付けられていると考えられる。
(※注2) エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須・恵比寿)神は、漁師や農家あるいは商家などで、生業を守護し、福徳をもたらす福神として祀られている。この神は、ヒルコ(蛭児命)あるいはコトシロヌシ(事代主命)とする両説がある。
また七福神の一つとして大黒天と並び祀られる。古くより「寄り神」「訪人神」として海浜に祀られ、漁師が大漁を祈っていたが、海産物の売買により「市の神」「商売繁栄の神」として、広く商家にまで信仰されるようになった。
関西では一月十日を「初戎」「十日戎」といって、兵庫県西宮市の西宮神社、大阪市の今宮戎神社などへ招福を祈る多数の参拝者があり、西日本の神社でも一~二月に同様の祭りが多く行われる。
農家では旧暦の一月と十月の二十日にエビス棚(夷棚)や祠に鯛などを供え、豊作の祈願と感謝の祭りをする「えびす講」の行事もある。
商家でも秋に「えびす講」あるいは「誓文払(せいもんばらい)」と称し、駆け引きで客を欺いた罪を祓うため、神社に詣でたり、客を供応したり、大安売りをすることがある。
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「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
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◆エビス神、信仰コミュニティーの成立(二)
◆◇◆エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須)神、ヒルコ(水蛭子・蛭児)とコトシロヌシ(事代主命)
エビス(ゑびす・夷・戎・蛭子・恵比須)神はいうまでもなく、七福神(商業社会が成立する室町時代、インドや中国の神々を集めた福神信仰が広まる)の一柱として、また商売の神として各地で篤く信仰を集めていた。
実はこのエビス(ゑびす・夷・戎)は、他の七福神の中でも例外的な存在である。というのも、七福神のほとんどが大陸系(インド・中国)の色合いが濃い神であるのに、エビス(ゑびす・夷・戎、狩衣指貫に風折烏帽子を被り大きな鯛を抱え釣竿を肩にかけた福々しい姿)神だけは複雑な経過を辿り生まれた日本の神だからだ。
このエビス神(神名には夷・戎・恵比須などが用いられるが、異郷・辺境から来訪して幸をもたらす威力ある荒々しい神を表す。また漁村では広く鯨・鮫・海豚を「ゑびす」と呼んだり、漂流する死体を「ゑびす」と呼んだりして、豊漁の前兆とする信仰がある)にはイザナギ命とイザナミ命の最初の子神であるヒルコと無類の釣り好きというコトシロヌシの二つの顔がある。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 本来は海の彼方から福をもたらす漁業の神、後に商工業の発展に従い商売繁盛の神として庶民に広く信仰されるようになる。毎年一月十日を初戎(十日戎)として百万人の参詣・参拝客で賑わう。
西宮神社(兵庫県西宮市、福神ゑびす=西宮ゑびすの総本社)の祭神は西宮大神(蛭子大神)を主神として天照大神・須佐之男大神・大国主大神を祀る。
西宮ゑびすの名が文献に見えるのは平安末期からで、『伊呂波字類抄』に「夷(毘沙門、ゑびす)」(毘沙門とあるのは本地垂迹説によるもの)とあるを初見とする。
西宮ゑびすには次のような伝承がある。「昔、鳴尾の浦の漁師が夜に武庫の海で網を曳いていると神像のようなものがかかった。漁師はこれを捨ててさらに進み、和田岬の辺りで網を曳くと捨てたはずの神像が再びかかった。そこでこれを持ち帰って家に祀った。
ある夜の夢に神の信託があり『われは蛭子神(ひるこのかみ)である。国々をまわってここまで来たが、ここより西に適地がある。そこに鎮まりたい』と伝えた。
漁師はこの夢を里人に話し、神像を輿に載せてこの地に祀ったという。」 つまり西宮ゑびすの起源は、寄り神的な習俗を基とする漁民信仰(海人信仰)の一つであると考えらる。
(※注2) 一つはイザナギ命(伊邪那岐命・伊弉諾尊)とイザナミ命(伊邪那美命・伊弉冉尊)の最初の子神でありながら海に流されヒルコ(水蛭子・蛭児)である(流産児や未熟児を川や海に流した「オカエシ」という古俗の反映か)。
『源平盛衰記』によると、後にこのヒルコがアメノイワクスブネ(天磐樟船)に乗って摂津国西の浦に漂着し、土地の人々はヒルコを大切に育て夷三郎と呼び、そののち夷三郎・戎大神として祀ったとする伝承(西宮=エビス信仰の総本社の西宮神社には、別の伝承があります)を伝えている。
海の向うの理想郷=常世の国から訪れるマレビト神・寄神の信仰による。海の恵みや海からの漂着物は神の賜物とされた)を伝えている。このエビス(ゑびす・夷・戎)は豊漁や海上安全の「海の神」、交易・商業の繁栄の「市の神」、商売繁盛をもたらす「福の神」として民衆から圧倒的な信仰を持たれていくのである。
(※注3) そうしてもう一つの顔は、島根県八束郡美保関町の美保神社に祀られてるのオオクニヌシ(大国主命)の子神・コトシロヌシ(事代主命、天孫族の国譲りに際し、抵抗もなく服従し海に身を隠した神)とされている。
ちなみに、美保神社に祀られるコトシロヌシ(事代主命)としてのエビス(ゑびす・夷・戎)は、左手に鯛を抱え、右手に釣竿を携えた、今見ることのできるエビス(ゑびす・夷・戎)の原形に近い。
このエビス(ゑびす・夷・戎)は海の神として漁師の信仰の対象になっていた。コトシロヌシ(事代主命)が大漁の神・エビス(ゑびす・夷・戎)とされたのは江戸時代のことのようで、オオクニヌシ(大国主命)の大黒と対をなす祭神は「出雲大社だけでは片参り」と広く信仰された。この二柱の神は、なぜか民衆に熱狂的に崇拝されてきたのである。
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自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
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◆◇◆エビス(ゑびす・夷・戎・恵比須)信仰、十日戎(一月九日~十一日)
一月十日は「商売繁盛、笹持って来い!・・・」で知られる、西宮神社(兵庫県西宮市、ゑびす宮全国三千余社の総本社、西宮のえべっさん)や大阪府・今宮戎神社(大阪府大阪市浪速区)でエビス(ゑびす・夷・戎・恵比須、蛭子神が摂津国西の浦に到着し夷三郎として祀られたのが西宮エビス)神を祭る「十日戎(とおかえびす)」が行われる。九日は「宵戎(よいえびす)」で、十一日は「残り福」である。
関西では「えべっさん」と呼ばれ庶民に親しまれている祭りで(関東では一月二十日、十月二十日や十一月二十日のゑびす講)、特に総本社の西宮神社と今宮戎神社(元は西宮神社の分社で、西宮の本宮に対し今宮といわれました)は、それぞれ百万人の参詣・参拝客で賑わう。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 私たちは、七福神(恵比須・大黒天・弁財天・毘沙門天・布袋尊・福禄寿・寿老人)の中で満面に笑みをたたえた福相をして、デップリと太って狩衣指貫(かりぎぬゆびぬき)に風折烏帽子(かざおりえぼし)を被り、鯛を抱え釣竿を肩にかけたエビス(ゑびす・夷・戎・恵比須・恵比寿)神の姿をよく知っている。
このような姿は、江戸時代の商家の福神信仰の広まりとともに生まれたものである。インドの三柱の神、中国の三柱の神とともにただ一柱、日本の神としてエビス(ゑびす・夷・戎)神が七福神に加えられている。
ここには商業社会(商業社会が成立する室町時代、インドや中国の神々を集めた福神信仰が広まる。中国の奇数を尊ぶ思想や竹林の七賢人、また仏教の「七難即滅、七福即生」にならって七福神信仰が成立する)のエビス(ゑびす・夷・戎)信仰の根強さを窺い知ることができる。
エビス(ゑびす・夷・戎)神は元々漁業の神であったが、商人が干鰯(ほしか)・昆布などの海産物を扱うことが多かったため、商売繁盛の神・商家の神ともされた。
(※注2) エビス神はゑびす・夷・戎・蛭子・胡子・恵比須・恵比寿とも書き、見知らぬ遠方・辺境のものや異邦人・異俗の人々を意味する。日本には古くから異邦人・異俗の人々を蔑視と畏怖の対象とみなすだけでなく、異郷からやって来たものが人々に望外な幸をもたらしてくれるという信仰があった(海の彼方からやって来るものに、海の幸や豊穣を呼び込む霊力があると期待する心意がありました)。
こうしたことからも、漁民が浜に流れ着いたものを「寄り神(漂着神)・客神(まれびとがみ)」として祀る習俗(多くの漁港や漁村では浜辺や村内のあちこちにエビス神の祠が見られ、普段から漁民の篤い信仰を集めているとともに、大漁があったときなどにはエビス魚などといって祠の前に獲れた魚を献じる習慣がある)が、福神(豊穣・豊漁の神)としてのエビス信仰の最も古い形(原初的形態)であったと考えられる。
各地に残されている寄り神信仰をみると、三浦半島では水死体を「流れ仏」と呼び、それをエビスとして祀り、「エビスさん拾い上げてやるから漁をさせろ」という風習があったた。奥能登や佐渡の漁村では、村外から訪れる物貰いをエビス神に見立てて祀っていた。
京都府舞鶴市の小橋漁港では、海中から拾い上げた丸石をエビス神として神社に前に置き、出漁前に丸石を叩いて大漁を祈願する風習が今でも行われている。また、東日本の漁民の間では、鯨・鮫・海豚のことをエビスと呼ぶことがある。
(※注3) 出雲地方では、海辺に寄り来る海蛇(セグロウミヘビの一種)に対する竜蛇信仰(竜蛇様)が盛んである。そうしたことから、古代の出雲の人々は、竜蛇様と同じような性格のエビス神をオオクニヌシ(大国主命)の子神で漁猟の好きなコトシロヌシ(事代主命、国譲りに際し天孫族に服従したあと海の果てに去ったとされる。島根県八束郡美保関町の美保神社)として豊漁の神に神格化したのである。
またここから大黒様(音の通ずるところから大国主神とされます)とエビス様の福神ペアとしての考えも生まれた(室町時代中期頃、日本では古くから男女神、夫婦神、親子神など二柱一対に祀る風習があり、神の力も二倍になると考えた。こようにして「エビス大黒」は強力な福神のイメージが形成されたのだ)。
スサノヲ (スサノオ)
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◆2012年 古事記編纂1300年記念
「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
スサノヲ (スサノオ)