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◆正月祭りのフォークロア、日本の基層(四)
正月というのは、元々は年の初めにあって神の来臨を仰ぎ、その年の五穀豊穣を祈る、地域ぐるみの「祭りの場」であった。人々にとっては実り豊かな一年であるかどうかは死活問題であっただけに、神の来臨を仰ぎ祭る、初詣の祈願は欠かせなかったのである。
しかし今日では、人々は新年の無病息災などを祈願するために参詣するようになる。「♪年の初めの ためしとて 終なき世の めでたさを 松、竹たてて 門ごとに 祝(いお)う今日こそ 楽しけれ ♪初日の光 さしいでて 四方に輝く 今朝の空 君が御影に 比(たぐ)えつつ つぎ見るこそ 尊とけれ」(※注1・2)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 一年のはじまりの日、つまり元日の朝、元旦は「明けましておめでとうございます」という挨拶とともにはじまるが、いったい何がめでたいというのであろうか?
それは、元日とはそもそも正月の満月の夜に、歳神(年神)をお迎えして、旧(昨)年の無事と豊作を感謝し、今年も同様であることを祈る日であったからである。
また、「年の初めのためしとて、終わりなき世のめでたさを・・・」という正月の歌がある。「ためし」は験しで、修験の験、効験の験である。「めでたさ」の「めでたい」は古語では「愛でたし」で、何かを称えたい、何か特別なことを褒めたいという格別の気分を表している。この正月の歌では「世(現在の世)」がめでたいと歌い上げる。それがいつのまにか正月挨拶の「お目出とう」になったという。つまり目が出るわけではなく、芽が出るのである。
中国ではめでたさのことを「福」といって、一陽来福を祝う。もともとは冬至の祝福であったものが、やがて春節(旧暦正月)を迎える行事に吸収されて行く。いずれにしても「めでたさ」は季節の節目に際し、宇宙や世界の秩序が更新され、自然の年齢も更新された新年の「世(現在の世)」を祝福する言葉であったのである。
本来旧暦の正月十五日がこの日にあたり、明治六年まで使われていた太陰太陽暦(天保暦)の名残りである。この暦制が太陽暦(グレゴリオ暦)に取って代わっても、この日に行なわれていた行事やしきたりは「小正月」として伝承され、左義長、どんど焼き、なまはげなどのさまざまな行事が今でも各地で催されている。
(※注2) 正月とは一年の一番初めの月のことをいうが、一般には年初の諸行事のことを指す。一月を正月と呼ぶのは「正」が年の初め、年の改まる意味であることに由来する。
また稲が実って一巡する期間をを「年」という(「稔(とし)」が豊穣を祈願する意味に通じることからです)。古くは正月は「ウラバンナ(盂蘭盆)」と対応するもので、半年ごとに祖霊を祀る大きな年中行事とされていた。
正月に迎える歳神(年神)は大きく分けて二つの性格を合わせ持っている。一つは豊作をもたらすの「田の神」の性格、もう一つは各家の「祖先の霊、祖霊」的性格である。
また正月の行事は地域によって違いがあり、元旦を中心とした「大正月」と、一月十四日・十五日を中心とした「小正月」に集中している。旧暦では正月(旧正月)を立春の頃としていたので、その始めを新月の朔日である大正月と満月の望の日の小正月とする二通りがあった訳である。
大正月には歳神(年神)や祖霊を迎える性格の行事が多く、小正月には五穀豊穣を願う農耕の予祝的行事が多く見られる。農業を営む人々にとって、太陽の運行と同時に月の満ち欠けも大切なもので、古くより予祝儀礼を年初の満月の日に行うことがなされていた。
新暦(太陽暦)採用後は満月と小正月の十四日・十五日が一致しなくなった為に、農家では小正月の意味がだんだんと薄れていってしまったようだ。現在一般に正月といえば大正月のことを指しますが、小正月を祝う風習が今でも盛んに行われている。
スサノヲ(スサノオ)
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◆2012年 古事記編纂1300年記念
「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
スサノヲ (スサノオ)

◆正月祭りのフォークロア、日本の基層(三)
正月元旦の前日、つまり大晦日の夜を除夜という。実は古くから、この除夜から元旦(元旦の「旦」は地平線に日が昇った状態を表した文字なので、元旦は元日の朝あるいは午前中を意味し、歳朝=さいちょう、大旦=おおあしたとも呼んだ)にかけては寝てはいけないといわれてきた。
なぜなら、正子(しょうし、夜の十二時)を過ぎたら、村の鎮守に参詣して実り豊かな新年を祈願するのが慣わしであったからである。
それが、共同体や神社の発展とともに、初詣という「行事」として根付き、今日に至っているようである。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 正月の準備は十二月から始まる。「煤払い」や「門松迎え」「餅搗き」「年神棚」を設えたり、「おせち料理」の下ごしらえをするなど様々な準備をして年越しの夜を迎える。これが大晦日である。
古くは日が暮れるのが一日の終わりと考えられていたので、正月の歳神(年神)祭りは大晦日の夕刻から始まるとされていた。
身体を洗い清め、年神への供物をし、家族揃ってお節料理を食し、寝ることを忌しんで歳神(年神)を迎え神人交歓するのある。
早朝には年男が汲んだ「若水」で洗顔したり、またお茶を入れ、雑煮を作って飲食し新たな年を祝う。また歳神(年神)に供えた餅の一部を年長者から家族に分配する。
これが「年玉」であり、神の霊が籠もっているという。そして皆そろって一つ年を重ねるとされた。古くはこうして囲炉裏を囲んで家族揃ってお正月を迎えたのである。
(※注2) 大晦日は十二月の晦日のことで、一年の最後にあたるため大晦日と呼ばれている。「年越し」「年取り」「大年」「大つごもり」「おもっせい」とも呼ばれている。
年越しのための様々な行事が各地で行われる。大晦日の食事は地域によって様々な伝承があり、この日の夜の食事が特別なものとされていたことが窺える。
魚を用いた食事が多いようである。そばやうどんを食べる習慣は各地で見られ、 「年越しそば」とか「晦(つごもり)そば」と呼ばれている。そばには長いものを食べると長命になるという縁起担ぎの意もこめられている。
また除夜は「除歳」「除夕」とも呼ばれる。旧年を除く意味で、大晦日の夜のことをいう。歳神(年神)を迎えるため、夜を徹する風習もある。
寺では、百八つの除夜の鐘が撞かれる。「百八つ」は人間の煩悩の数だとされ、除夜の鐘はこの煩悩を消し去るのだそうだ。しんと静まり返った夜半に響く鐘の音は、来る年への新たな決意とともに、身のひきしまる思いがする。
(※注3) 初詣は除夜の鐘が鳴り終わってから元日に土地の氏神や神社仏閣に参詣することをいうが、元日に限らず松の内に年が明けてからはじめて参詣することをいう場合もある。
古くは一日の終わりが日没と考えられていたので、一年の終わりは大晦日の日没とされていた。大晦日の夜に社殿で徹夜をすることが各地でみられ、これを「年篭り」という。
今日では一日の区切りは夜中の零時になり、そのため大晦日の夜に詣でる「除夜詣」と、年が改まって元日に詣でる「初詣」とが区別されるようになった。
除夜に参詣してのち一度家に帰り、元旦になって再び参詣したり、大晦日の夜から元日になるまで神社にいることを「二年参り」と呼ぶところもあるそうだ。
また若水とは元日の早朝にその年初めて汲む水のことで、「初水」「福水」とも呼ばれている。歳神(年神)に供え、正月の食事の支度や、洗顔にも用いる。
若水を汲むことを「若水迎え」「若水汲み」といい、水道が普及するまでは各地で正月の儀礼の一つとして行われていた。 若水を汲むのは年男の役目とする所が多く、水を汲む場所は掘り井戸だが、井戸が掘られる前は川や泉であった。
スサノヲ (スサノオ)
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◆2012年 古事記編纂1300年記念
「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」
この言葉は、仏僧であった西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだとされる歌である。
自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
スサノヲ (スサノオ)

◆正月祭りのフォークロア、日本の基層(二)
家々に新しい魂を授けに来てくれるのが歳神(年神=としがみ、正月様、歳徳神、若歳神、御歳神、大歳御祖神)(※注1)である。歳神(年神)とは穀霊神(農耕神)であり、また祖先の魂(祖先の霊)と考えられていた。
「トシ」(※注2)というのは一年のことであり、苗作りから稲刈りまでの一周期も意味している。米を「トシ」ということもあった(「イネ」そのものの意味もあった)(※注3)。
つまり「トシダマ(歳魂)」は、トシ=米を作るのに不可欠な霊力でもあったのである。歳神(年神)はその年の新しい「トシダマ(歳魂)」を持ってきてくれる神様であったのだ。その「トシダマ(歳魂)」の象徴が米であり、餅であり、握り飯であったと考えられている。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 歳神(年神)は「大歳神(大年神)」「御年神(御年神)」とされている。『古事記』では、「大歳神(大年神)」はスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)の子神で母神はカムオオイチヒメ(神大市比売)とし、「御年神(御年神)」は「大歳神(大年神)」の子神で母神はカヨヒメ(香用比売)としている。
しかし、この神は同一の神とも考えられ、穀物霊や稲魂を神格化した農耕神だあったようで、五穀豊穣の守護神であった。「年」は「稔」と同音で、稲が発芽し生育し穂を稔らせて一巡する期間が一つの「稔」とされ、これを一年としたという。
『古事記』が「大歳神(大年神)」を、穀霊神であるウカノミタマ(宇加之御魂)神の兄弟神としているのもこのためである。
(※注2) 『万葉集』には、稲がよく実るの意味で「年=としは栄える」という表現がありますし、「年得(としう)」という言葉にも稲(穀物)がよく実って豊作であるという意味として用いられる。
この「トシ」の神が「歳神」「年神」「歳徳神(としとくじん)」などと呼ばれる神で、元は歳月の神というより「稲の神」「豊作の神」、いわゆる「穀霊神」であった。
他方、藤原兼輔の『後撰集』(平安時代)には「妻のみまかりての年の師走の晦の日、ふること言い侍りけるに、亡き人の共にし帰る年ならば、暮れ行く今日は嬉しからまし」とあるように、正月が御魂祭りの風習を持っていたことも窺わせる。
(※注3) 物みなすべて(万物万霊、森羅万象)に魂が宿っているというのが日本人の信仰の基本であった。そして「魂」という名の生命エネルギーは、時が経つと衰えてしまうと考えられていた。
こうしたことから、日本人は一年の節目節目に祭りを行ってきたのである。祭りによって神の威力を更新し、人間の魂も新しくすることができると考えられていたからである。正月祭りもこうした意味により執り行われる年中行事であったのだ。
また、歳神(年神)が山にいる期間は万物がひそかに忌み籠もる期間とされ、命の再生を待つ期間と考えられていた。そこでこの期間のことを、古代の日本人はフユ(冬)と呼ぶようになった(フユとは「御魂の殖(ふ)ゆ」の「殖(ふ)ゆ」であり、じっと辛抱して忌み籠もる間に、新たな生命が殖ゆる期間を意味した。そこで冬には、死にかけた太陽を復活させるための、様々な太陽祭祀が行われた。鎮魂祭も元来、この「御魂の殖(ふ)ゆ」の祭りであり、日神の御子である天皇の霊力の賦活をはかる儀礼であったのである)。
冬至(冬至期こそが太古の正月であった。太陽の死と再生の時期)を過ぎると死にかけた太陽は徐々に復活する。すると山に帰っていた歳神(年神)が里に降りて来て、春(「ハル」は「ハレ」であり、木の芽が一斉に「張(は)る」季節であり、新たな生命が瑞々しく胎動し始める季節であったのです)が訪れると考えたのである。
この歳神(年神)を迎えて、新年の豊作を願い、祖霊祭り(御魂祭り)を行うのが、正月の様々な祭りであったのだ。
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自然崇拝を起源とする日本の神々は、目には見えない。
しかし八百万の神々は、神話の時代から今日に至るまで、時代とともに変化しながらも、さまざまな思想や宗教と宗教などと習合しながら、常に日本人の心に生き続けてきた。
2012年、現存する中では最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が1300年を迎える。この「古事記」という書物には「国土の誕生について」「日本の神々について」「日本の歴史について」、「日本」と「日本人」のこの国のすべてのことが古代の人々の感性で語られている。
また、日本全国の神社で祀られてる「アマテラス」「スサノヲ」「オオクヌシ」などの神々の物語である「天の岩屋戸開き」「八岐大蛇退治」「稲葉の素兎」などがいきいきと描かれているのだ。
古代の人々が心に描いた世界観である「八百万の神々が今も生きる日の本の国の神々のものがたり」を知ることで、今一度「日本」と「日本人」のことを真剣に考えてみよう。いや、エンターテイメントとしても大変に面白い物語だ。この記念すべき年を機会に、ぜひ読んでみよう。
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◆正月祭りのフォークロア、日本の基層(一)
日本の年中行事の中で古来よりの祭りの色彩を最もよく残しているのが正月と盆である(日本人にとっては一年の大きな節目として冬至と夏至の二度あった)(※注1)。
かつては数え年で、正月(※注2)になると日本人はみな一つ歳を取った。また、正月には万物万霊(森羅万象)の魂が新しく生まれ変わるとされた。
それだけに正月の行事は種類も多く、心構えの上からも一年のうちで最も重視されてきたのである。(※注3)。
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(※注1) 「盆と正月が一緒にきたような」といわれるように、正月と盆はハレの行事の二つの代表になっていて、いつも対比してみられてきた。
正月と盆とは不思議な対応と類似がみられる(年棚と精霊棚、門松と盆花とり、トンド焼きと迎え火・送り火、七日正月と七日盆など)。一年をきっちりと折半した形で、正月と盆とは半年を間において向かい合っているのである。
盆が七月の十四日・十五日を中心にしているのに対して、正月も十四日・十五日は小正月とか望正月といっていろいろの重要な行事がここに集中してみられる。ちょうど半年を間にした満月の夜に盆も正月も盛んな行事があるのである。
また正月朔日から大正月が始まるのに対して、盆のほうも七月一日を釜蓋朔日といって、地獄の釜の蓋が開いて、精霊たちがこの世に旅立ちをする日だといわれるし、この日に盆の路作りを始める地方もあり、盆も一日から始まるのである。
ただこの二つを同質同性格のものとするにはなお問題が残る。正月は季節の転換の祭り、農耕予祝の祭り、さらに祖霊の祭りといった総合的な性格を持っているのに対して、盆は祖霊・精霊の祭りが中心で性格は正月に比べ単純である。
(※注2) 正月は元々、年の初めにあって歳神の来臨を仰ぎ、その年の五穀豊穣を祈る、地域ぐるみの祭りであった。このために歳神の依り代として門松を立て、また不浄なものの侵入を防ぐために注連縄を張る。
さらに古風には、歳神を祀る年棚に御神酒や重ね餅を供えて灯明を点る。他方で、正月は祖先の霊が帰ってくる日でもあるので、この祖先の霊を迎えて祀る日とも考えられている。すなわち祖霊は年に二回、正月と盆に帰ってくるものとされていたのである。
しかし盆の方が仏教と強く結び付いたのに対して、正月の方は神道と結び付いたが、その神道も中世以降死の穢れのない清らかな祭りを強調するようになっていったため、正月が持つ祖先祭り(祖霊祭り、御魂祭り)の性格は極めて希薄なものとなっていった(西日本で今も残っている墓参り的風習は、その名残のようである。
(※注3) 日本人の「祖先崇拝」の中で、古代から最も重視されているのが「御魂祭り(祖霊祭り)」、すなわち「ご先祖様の祭り」である。
正月と七月の年二回、古くから収穫後の収納を完了した段階で祖霊を迎え、正月は米の、七月は麦の大規模な祭りを行っていた。
仏教伝来後、日本に伝統的にあった七月の御魂祭りは、仏教の「ウラバンナ(盂蘭盆)」と一緒になって、今日の盆になる。 正月行事も本来は、鏡餅に象徴されるように穀霊の祭りであるとともに、祖霊に供物を供える祭りであったのである。
また、春秋の彼岸も、本来は日本固有の祖霊祭りであった。日本人は、春秋二回の昼夜の長さが同じこの日、古くから御魂祭りを行っていた。
この春秋の御魂祭りには、祖霊のいる「常世の国」から、子孫がいる「この世」へ、祖霊が訪れると考えられていたのである。 仏教が伝来後の日本人の他界観は、海上の彼方の「常世の国」から、やがて阿弥陀如来のおわす「西方浄土」へと変わって行く。
このように日本人の古代聖俗観(宗教観、日本人の基層の世界観)とは、大自然とともに生き、その大自然に抱かれた魂の循環と再生のシステムへの素朴な信仰であることがわかる。
スサノヲ(スサノオ)
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◆◇◆団子と稲作信仰、三月は十六団子、四月は花見団子・・・
団子は昔から季節に応じて食べられてきました。三月は十六団子です。山の神さまが下りてきて田の神さまになる時にお供えするものです。四月は花見団子です。桜を見ながら、桜色の団子や三色団子などをいただきます。旧暦八月には月見団子。中秋の名月を見ながら、白い団子を頂きます。十一月にはまた十六団子。今度は田の神様が山に戻って山の神様になるのにお供えします。
◆◇◆団子の起源と語源
日本で団子が作られるようになったのは縄文時代頃であろうといわれています。初期の団子はいわゆる「粢(しとぎ)」で、米・粟(あわ)・稗(ひえ)・黍(きび)・豆・椚(くぬぎ)の実・楢(なら)の実などを粉にして水で練った、火を使わない団子でした。これは現在でも民間習俗で死者の枕元に供える枕団子がこの粢(しとぎ)の方式です。
「団子(だんご)」という言葉の語源については定かではありませんが、中国の「団子(トゥアンズ、餡入り団子、日本の団子に相当するものは中国では円子、なおちなみに団の旧字は團、円の旧字は圓)」から来たという説、「団」が丸いという意味なので形から来たという説、「団」は集めるという意味で粉を集めて作るからだという説、などなどがあるようです。
串団子は室町時代頃に発生したと言われていますが、最初の頃は五個刺すのが基本でしたが明和年間に四個のものがはやったとされます。現在では団子の大きさ次第で三個から五個の範囲で刺しているようです。
スサノヲ
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