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◆2012年  新年のメッセージ2

2012年01月02日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 19:33 Comments( 0 ) スサノヲ(スサノオ)の日本学


◆2012年  新年のメッセージ2

 日本は明治維新後の近代化、戦後の国際化、現代の高度情報化へと西洋的価値観(一神教的価値観)を吸収することに邁進する中(これも日本の文化的特性である寛容性の現れですが)、経済的には大国になりました。

 しかし、気付くと自らの拠りどころ、依って立つ場所、日本人としてのアイデンティティ、日本人の精神的故郷を見失ってしまいました。さも根無し草のようにただ彷徨(さまよ)うような、うわついた軽い存在になってしまったのです。

 海外の文化や伝統を学び受け入れることも必要で重要なことですが、まずは、自らの文化や伝統を理解し、自信を持つ必要があるのではないでしょうか(戦前のような屈折した・閉ざされた民族意識には大きな問題がありますが)。

 日本の伝統的文化には、海外に誇れる魅力(人々を魅了し心を惹きつけてやまない生き生きとした文化の魅力=文化力)が多く存在します。まずそのことに日本人自身が気付くことではないかと思います。
 
 元々日本人は古くから、自然の山川草木すべてに様々な神々を見る自然的宗教観を持っていました(神々しい何かの存在を感じとる「神道的感覚」ともいうべきもの)。

 日本人は、自然を人間と対立するものと考えるのではなく、素直に自然の恵みは神々の恵みであると考えたのです。この自然に生かされ神々に生かされ、自然と共に生き、神と共に生きてきたという感覚が、八百万の神々の世界(多神教の世界観)を生み出しました。

 つまり、日本人とっては、人間が住む世界と神々が棲む世界が共有・共存されている国であったのです。しかし、日本の近代化は、この感覚にズレを生じさせ、日本人の精神的故郷を見失わせてしまいました。

 自然は人間の支配のもとに征服・管理する対象(つまり人間と自然を対立するものとして捉える考え)とした西洋的一神教の価値観(アメリカに象徴されるようなキリスト教的文明観、後に近代科学へ)に限界が見えてきました。

 こうした考えは、人間の傲慢さを助長し、歪んだ人間至上主義に陥らせ、修復不可能と思われるほど深刻な環境破壊をもたらします。

 二十一世紀、国際社会や地球環境が危機的状況にある世界にとって、このような自然のすべてに神を認め(山川草木すべてに自律的な神を見るような自然に対する繊細な感性、自然も生命もすべて循環し共生的に存在するというエコロジカルな考え方)、八百万の神を崇め調和していく(八百万の多様なものを包含しうる寛容な精神性)ような日本の伝統的精神文化(神道的精神、日本人のアイデンティティ)が、世界が諸問題を解決し対立から融合の時代に進む上で、大変重要な意味を持つことになるでしょう。

 つまり、私たちのこのような考え方が、民族・文化・宗教などの対立する人々の仲立ちをする役割を果たし得る可能性を持つのです(お互いがお互いを認め合い、一つの文化として尊重し合うような「共存」の意識・思想として)。

 日本仏教ではこれを、「山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくこくどしつかいじょうぶつ)」(大乗起信論の本覚思想)とか「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」(涅槃経)といった言葉で表します。自然界のすべてのものには仏性(神性、霊性)が宿り仏になるという意味です。

 これはアニミズムというより、ドイツの文豪・ゲーテや、オランダのユダヤ系哲学者・スピノザや、古代インド宗教哲学書「ウパニシャッド」に見られるような汎神論に近いのかも知れません(ゲーテは思想家でもあり、スピノザは純粋に哲学であり、ウパニシャッドも宗教というより哲学の部類に属すると考えられ、仏教もまた宗教というより哲学・思想として捉える向きもあります)。

 また、明治時代に日本に来て、西洋人として初めて出雲大社を昇殿参拝したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、いろいろな事象の中に神を見出す神道の神感覚を次のように表現しています。

 「この大気そのものの中に何かが在る・・・うっすらと霞む山並みや怪しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいもの感じられる・・・これが神道の感覚というものだろうか」と。

 ハーンは、空気の中にも、太陽の光の中にも、水や海や山や森や風の中にも「神々しい何か」の存在を感じとるのが「神道の感覚」だといいます。この神道の感覚は、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂 (水穂・みずほ)の国」(豊かな葦の生い茂る水と稲穂に恵まれた国)という風土の中で時間をかけて育まれたものなのです。

 いま国際紛争や環境問題を解決するためには、新たな人間と人間、自然と人間、宇宙と人間との関係を再構築しなければならないのかもしれません。

 そのとき、根底(根本・源泉)になるもの(精神原理)は、かつて日本人が保持していた自然に対する謙虚さです(日本人が内在的に備えていた感性・神道的精神とは、多種多様な価値を認めるところにあります。自然は多種多様な生命が存在するから美しく豊かなのです)。

 この日本人の自然観(宗教観)は、世界の問題に対して大きなサジェスション(示唆)を与えてくれるかもしれません。

 今年2012年は、現存する最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が編纂されて1300年を迎える記念すべき年です。

 「古事記」は、私たち日本人がどのような見方や考え方、感じ方をしてきたか、日本人の精神(自然観、死生観、歴史観)を理解する上で極めて貴重な書物です。日本人の心の源流を知ることで、これからの日本のあり方や進むべき道を考えてみることができるからです。

 最近は、わかりやすく解説した本やイラスト・マンガで表現した本も多く出版されています。一人でも多くの人に「古事記」の魅力を知っていただきたいと思います。

スサノヲ(スサノオ)

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◆2012年 新年のメッセージ1

2012年01月02日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:33 Comments( 0 ) スサノヲ(スサノオ)の日本学


◆2012年 新年のメッセージ1

 自然破壊や人口増大など地球規模の危機が心配されている今、国際的な金融危機など現代文明に限界を見えてきた今、また大震災や原発事故に見舞われ復興に取り組む今、新しい価値観のもと、世界のあり方や、社会のあり方、人のあり方が模索されています。

 また、この国に生きる日本人として、多くの人が「日本」とは何か?「日本人」とは何か?を真剣に考え始めたようです。

 しかし今までの多くの日本人は、「日本」「日本人」のことにそれほど関心がなく、新しいものや外からの情報に翻弄され刹那的に行動してきたようにも思えます。このような自らの拠り所をなくした根無し草のように漂う姿を見ていると、これからのこの国の行く末に不安を感じていました。

 今からでも遅くないと思います。自分たちのアイデンティティを見つめ直し、この日本列島の自然と風土の中で作り出してきた日本人と日本文化を知り自覚することが必要だと思います。

 確かに国際化が叫ばれ世界のことを知ることは重要ですが、本当の意味で国際人になるためにも、自分を自国をしっかり伝えることが出来ての国際化・国際人だと思います。

 特に日本の伝統文化・神話・古代史や地域に残る風習・祭り・行事など、古代人から現代人まで地下水脈のようにつながる精神世界を自覚することは重要です。日本の地域に残る風習や祭りは、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した世界観(素朴な神々の世界観)の記憶だからです。

 私たちは普段、こういう事(古代からの世界観)を意識することなく生活しています。しかし、気付かなくとも、私たち日本人のものの見方や行動を規定している「何か」があります。それこそが日本人の心の源流であり、日本人の意識の底に眠った記憶です。

 この日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、この豊かな森と水の日本列島という風土のなかで育成されてきた「日本人の精神的遺産」です。日本の神々の世界(八百万の神々)や風習・祭り・行事は、私たちの意識の底に眠った神々の記憶(古代の世界観)でもあり、大自然に宿る日本人の原風景でもあります。

 この文明の端境期に、新しい価値観が求められる時期に、このような古代から豊かな森と水に恵まれた日本列島とうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだ日本人の知恵を学んでいきましょう。

 今年2012年は、現存する最古の歴史書「古事記(こじき・ふることぶみ)」が編纂されて1300年を迎える記念すべき年です。

 「古事記」は、私たち日本人がどのような見方や考え方、感じ方をしてきたか、日本人の精神(自然観、死生観、歴史観)を理解する上で極めて貴重な書物です。日本人の心の源流を知ることで、これからの日本のあり方や進むべき道を考えてみることができるからです。

スサノヲ(スサノオ)

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◆正月の起源と生命の循環と再生のシステム

2011年12月30日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 16:56 Comments( 0 ) スサノヲ(スサノオ)の日本学



◆正月の起源と生命の循環と再生のシステム

※正月の起源については(大自然に抱かれた、魂の循環と再生のシステム)

 太古の昔、古代の日本人(倭人)には倭人の時間観(暦)があったようで、その時間観(暦)は太陽と月が規定していたようである。では、その倭人の時間観(暦)とはどういうものであったのであろうか。

 それは、世界と人間が「死と再生」を繰り返す時間と考えていたようだ。時間とともに世界と人間は、死に再生するものだと考えていたと思われる。

 倭人にとっては、中国の文明文化を受け入れた古代以前の太古において、時間観(暦)は、天空にある太陽と月であったはず。この二つの天体・太陽と月が太古の時間を基本的に規定し、年と月の観念が出来上がったと思われる。

 年は太陽の周期で、その活動には二極の節目あった。すなわち最盛期と最弱期で、今で言う夏至と冬至の頃がそれにあたる。 

 そして冬至期こそが、太古の「正月」であったのかもしれない。正月とは一年の始まりである。始まるためには一度終わっていなければならない。すなわち死んでいなければならないわけである。

 事実、世界の神話や祭祀を見れば、冬至は太陽の死である。そして同時に新たな太陽の誕生の時でもあった(太陽祭祀や太陽復活祭などから)。

 もしかすると、太陽の死と再生のときが「正月」であったのかもしれない。それは太陽ばかりではなく、人間にとっても同じで、人間もこのとき死に、再び生まれ、蘇るのものと考えていたようだ。(夏至期の時にも、世界と人間は死と再生をくり返すと考えられていたようである) 

 月についても太陽のように、死と再生をくり返す。そして月の霊威の最盛期は満月の夜である。この夜、世界と人間は最大の生命エネルギー(生命力)を浴びる。これが「月見」だといわれている。

 このように太古の時間観(暦)は、月の「死と再生~満月~死と再生」というひと月のリズムと、太陽の「死と再生~最盛期~死と再生」という一年のリズムとから成り立っていたようだ。そしてそのそれぞれの節目が「祭り」であり、ハレの日と夜であった。

 この太古の時間観(暦)は、日本人の精神の深層(古層)にしっかりとあり、その後の中国文化(中国仏教も)の受容により春節(正月)などを取り入れ、古代国家による官製化がなされ、さらには欧米文化を受容してきたいま現在に至っても基本的には変わらなかったようである。

 新文化を表層において、あるいはより深く受け入れても精神の基底においては「日本(太古の日本人の精神)」があったのである。 

 すると、死と再生こそが「正月」(祭り、ハレの代表)の本義であったことになる。このときに生命を更新しなければ、世界と人間はケガレ(気涸れ)てしまうのである。

 よみがえり(黄泉返り)とは、文字どおり死んで再生することである。当然のことながら、本当に死んでしまったらよみがえれないので、象徴的に儀式的に死ぬことになる。

 太古の時間観(暦)と農耕文化が確立してくると、再生の中心は稲霊(魂)に移り、またこれと並行して祖霊崇拝を軸とした魂祭りの要素が大きくなる。

 時期的には、農作物の取り入れが終わり次の農作業が始まるまでの農閑期が、一年の中で集中的なハレの期間となる。こうして正月が年中行事の中でも揺るがぬ首座につくようになったようなのだ。


スサノヲ(スサノオ)

地域を幸せにするWebプロデューサー/神社魅力プロデューサー
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◆メッセージ2 日本の神話と古代史と文化 スサノヲの日本学 

2007年01月05日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 Comments( 0 ) スサノヲ(スサノオ)の日本学



◆メッセージ2 日本の神話と古代史と文化 スサノヲの日本学 

 日本は明治維新後の近代化、戦後の国際化、現代の高度情報化へと西洋的価値観(一神教的価値観)を吸収することに邁進する中(これも日本の文化的特性である寛容性の現れだが)、経済的には大国になりました。

 しかし、気付くと自らの拠りどころ、依って立つ場所、日本人としてのアイデンティティ、日本人の精神的故郷を見失ってしまいました。さも根無し草のようにただ彷徨うような、うわついた軽い存在になってしまったのです。

 海外の文化や伝統を学び受け入れることも必要で重要なことですが、まずは、自らの文化や伝統を理解し、自信を持つ必要があるのではないでしょうか(戦前のような屈折した・閉ざされた民族意識には大きな問題があるが)。

 日本の伝統的文化には、海外に誇れる魅力(人々を魅了し心を惹きつけてやまない生き生きとした文化の魅力=文化力)が多く存在します。まずそのことに日本人自身が気付くことではないかと思います。
 
 元々日本人は古くから、自然の山川草木すべてに様々な神々を見る自然的宗教観を持っていました(神々しい何かの存在を感じとる「神道的感覚」ともいうべきもの)。

 日本人は、自然を人間と対立するものと考えるのではなく、素直に自然の恵みは神々の恵みであると考えたのです。この自然に生かされ神々に生かされ、自然と共に生き、神と共に生きてきたという感覚が、八百万の神々の世界(多神教の世界観)を生み出しました。

 つまり、日本人とっては、人間が住む世界と神々が棲む世界が共有・共存されている国であったのです。しかし、日本の近代化は、この感覚にズレを生じさせ、日本人の精神的故郷を見失わせてしまいました。

 自然は人間の支配のもとに征服・管理する対象(つまり人間と自然を対立するものとして捉える考え)とした西洋的一神教の価値観(アメリカに象徴されるようなキリスト教的文明観、後に近代科学へ)に限界が見えてきました。

 こうした考えは、人間の傲慢さを助長し、歪んだ人間至上主義に陥らせ、修復不可能と思われるほど深刻な環境破壊をもたらします。

 二十一世紀、国際社会や地球環境が危機的状況にある世界にとって、このような自然のすべてに神を認め(山川草木すべてに自律的な神を見るような自然に対する繊細な感性、自然も生命もすべて循環し共生的に存在するというエコロジカルな考え方)、八百万の神を崇め調和していく(八百万の多様なものを包含しうる寛容な精神性)ような日本の伝統的精神文化(神道的精神、日本人のアイデンティティ)が、世界が諸問題を解決し対立から融合の時代に進む上で、大変重要な意味を持つことになるでしょう。

 つまり、私たちのこのような考え方が、民族・文化・宗教などの対立する人々の仲立ちをする役割を果たし得る可能性を持つのです(お互いがお互いを認め合い、一つの文化として尊重し合うような「共存」の意識・思想として)。

 日本仏教ではこれを、「山川草木国土悉皆成仏」(大乗起信論の本覚思想)とか「一切衆生悉有仏性」(涅槃経)といった言葉で表します。自然界のすべてのものには仏性(神性、霊性)が宿り仏になるという意味です。

 これはアニミズムというより、ドイツの文豪・ゲーテや、オランダのユダヤ系哲学者・スピノザや、古代インド宗教哲学書「ウパニシャッド」に見られるような汎神論に近いのかも知れません(ゲーテは思想家でもあり、スピノザは純粋に哲学であり、ウパニシャッドも宗教というより哲学の部類に属すると考えられ、仏教もまた宗教というより哲学・思想として捉える向きもある)。

 また、明治時代に日本に来て、西洋人として初めて出雲大社を昇殿参拝したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、いろいろな事象の中に神を見出す神道の神感覚を次のように表現しています。

 「この大気そのものの中に何かが在る・・・うっすらと霞む山並みや怪しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいもの感じられる・・・これが神道の感覚というものだろうか」と。

 ハーンは、空気の中にも、太陽の光の中にも、水や海や山や森や風の中にも「神々しい何か」の存在を感じとるのが「神道の感覚」だといいます。この神道の感覚は、「豊葦原の瑞穂 (水穂)の国」(豊かな葦の生い茂る水と稲穂に恵まれた国)という風土の中で時間をかけて育まれたものなのです。

 いま国際紛争や環境問題を解決するためには、新たな人間と人間、自然と人間、宇宙と人間との関係を再構築しなければならないのかもしれません。

 そのとき、根底(根本・源泉)になるもの(精神原理)は、かつて日本人が保持していた自然に対する謙虚さです(日本人が内在的に備えていた感性・神道的精神とは、多種多様な価値を認めるところにある。自然は多種多様な生命が存在するから美しく豊かなのだ)。

 日本人の自然観(宗教観)は、世界の問題に対して大きなサジェスションや示唆を与えてくれるかもしれません。




スサノヲ(スサノオ)


◆メッセージ1 日本の神話と古代史と文化 スサノヲの日本学

2007年01月04日

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00 Comments( 0 ) スサノヲ(スサノオ)の日本学



◆メッセージ1 日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【滋賀】

 「日本」とは何か?「日本人」とは何か?が知りたくて、日本と日本人の原点と基層を調べています。

 私は専門的に学んだわけではありませんが、こうしたことに興味を持っています。まだまだ知らないこともたくさんあり、皆さんから多くのことを教えていただきたいと思っています。

 今の多くの人が、あまりにも日本の文化や歴史のことを知らな過ぎ、外からの情報に翻弄され刹那的に行動しています。このような拠り所を失い根無し草のように漂う様を見ていると、しっかりと自分たちのアイデンティティを見つめ直し、日本列島の自然と風土の中で作り出してきた日本人と日本文化を自覚することが必要だと感じるようになりました。

 国際化が叫ばれていますが、本当の意味で国際人になるためにも、自分を自国をしっかり伝えることが出来ての国際化・国際人だと思います。

 特に日本の伝統文化・神話・古代史や地域に残る風習・祭り・行事など、古代人から現代人まで地下水脈のようにつながる精神世界に興味を持っています。日本の地域に残る風習や祭りは、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した世界観(素朴な神々の世界観)の記憶です。

 私たちは普段、こういう事(古代からの世界観)を意識することなく生活しています。しかし、気付かなくとも、私たち日本人のものの見方や行動を規定している「何か」があります。その何かとは・・・。

 この日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、この豊かな森と水の日本列島という風土のなかで育成されてきた「日本人の精神的遺産」です。日本の神々の世界(八百万の神々)や風習・祭り・行事は、私たちの意識の底に眠った神々の記憶(古代の世界観)でもあり、大自然に宿る日本人の原風景でもあります。

 このような、古代から豊かな森と水に恵まれた日本列島とうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだ日本人の知恵を学びたいと思っています。




スサノヲ(スサノオ)