◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(六)
◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、お忌み祭(神在祭)(1)
旧暦十月は亥月の和名で、一般に神無月(かんなづき)と呼ばれる。それは全国の神々が出雲(※注1)に集まるからだそうだ(※注2)(※注3)(※注4)。逆に出雲ではこの月は神在月(かみありづき)と呼ばれ、出雲大社や佐太神社・神魂神社などで(※注5)、訪れた神を迎え祀る神在祭が行われる。
佐太神社の神在祭(お忌み祭・お忌みさん)では、現在月遅れの十一月二十日に神迎えが、二十五日に神送りが、三十日には止神送りが行われる(※注6)。この間がいわゆる「お忌み」の期間で、歌舞音曲は慎まれる(昔は散髪・針仕事まで遠慮して物忌みしたそうだ)。かつては出雲地方に四つある神名火山(かんなびやま)に関係する神社すべてに神在祭があったようである。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)陰陽五行説によれば、出雲は大和からは、西北の「戌亥隅」に当たる。一方、「易」の十月の卦は「全陰」だ。陽の気の象を「天」、あるいは「神」とする。すると、全陰の卦は神の不在を意味するとされている。十月はまた太陽の光りが衰微の極に近く、あらゆる点から考えて神不在とされたのだ(十一月は一陽来復が迎えられるとされた)。
出雲の佐太神社『祭典記』には、「古老が伝えていうには、此処出雲は日域(日本)の戌亥隅(西北)という陰極の地であり、女神先神伊邪那美は陰霊で、亥月という極陰の時を掌る神である。」と記している。
このことからも、出雲の旧暦十月の祭りは、祖神・伊邪那美命の追慕を名目にして参集するとも考えられた。そこからか、「神在祭」は、一名「お忌み祭り」と呼ばれる。
(※注2)神在月が成立については、平安時代末(一一七七年)の『奥義抄』に、すでに神無月の解釈として「天下のもろもろの神、出雲国にゆきてこと(異)国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」とある。それ以前の成立であることは間違いないと思われる。
(※注3)神在月に出雲に集まらない神様もいる。それが留守神だ。結構この留守神伝承は各地に広がっていて、特に恵比寿、竈神、金毘羅、亥の子を留守神とする地域が多いようである。恵比寿は関東、東海地方、竈神は関東地方、金毘羅は中国四国地方を中心に分布している。
このような留守神はいわゆる神社という形で祭られる祭神ではないという特徴を持っている。ただし地域によってはこれらの神々も出雲に参集するとしているところもある。
(※注4)神無月を中心に参集する神々は氏神・鎮守系が多く、早立ちする神々は天神が多いようだ。そして最後に越年するまで滞在してしまう神々は、山の神、田の神、亥の子神、竈神等の農耕神が多いとのことである。
(※注5)神々は出雲のどこに集うのであろうか。多くの方が出雲大社に集まると思われているが、実は一ヶ所の神社に集まるのではなく出雲大社、佐太神社を中心に何ヶ所かの神社を参集して回る。
朝山神社(出雲市朝山町)、出雲大社(簸川郡大社町)、万九千社(簸川郡斐川町)、神原神社(大原郡加茂町)、神魂神社(松江市大庭町)、佐太神社(八束郡鹿島町)、朝酌下神社(松江市朝酌下町) など。
(※注6)神在月に留まる神々の滞在期間が異なる。出雲滞在期間は大きく分けて、(1)神無月を中心に参集する、(2)神無月の前に他の神より先に参集(早立ち)し先に戻る、(3)中帰りといって神無月の途中に神が一度戻る、(4)神無月から大きく離れた時期まで滞在する、の四つタイプあるようだ。
スサノヲ(スサノオ)