◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(二)

スサノヲ(スサノオ)

2006年07月02日 00:00




◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(二)

◆◇◆京都の七夕行事、相撲節会(すまいのせちえ)

 かつての宮中では雅びやかに七夕の行事が行われた京都では、仙台の七夕に代表されるような華やかな七夕祭りはみられない。七月の京都といえば、日本三大祭りとして名高い祇園祭一色に染まってしまうからかもしれない。平安時代までは、相撲も七夕の行事だった。

 かつて宮中では毎年七月にいわゆる天覧相撲である相撲節会(すまいのせちえ)が行われていた。もとは七月七日であったものが、天長三年(八二四)には七月十六日に、やがて七月二十五日にと日にちが移り変わり、やがて源平争乱の中で途絶えていったということで、残念ながら現代には伝わっていない。

◆◇◆京都の七夕行事、乞巧奠(きこうでん)

 中国から伝わった宮中の行事に、乞巧奠(きこうでん)がある。京都では、いまも公家の流れをくむ冷泉家で受け継がれている。旧暦七月七日というと、現在では八月の末ごろ、冷泉家では七夕の歌会、乞巧奠(きこうでん)が執り行われる。供え物をして牽牛・織女を祀り、芸事の上達を祈るとともに、管弦の奏楽、冷泉流による和歌の朗詠が行われ、天の川に見立てた白い布をはさんで七夕の歌を贈答する古式ゆかしい行事が行われる。

◆◇◆京都の七夕行事、貴船神社・七夕祭、貴船の水まつり

 生きとし生けるもの皆に、無限の潤いと活力を与える「水」に感謝し、水にゆかり深いお茶を点てて献じ、日常の料理(鯉・鯛)を古伝流によって包丁を入れ、祈願と感謝をあらわす。神と人が一体となった貴船の里に繰り広がる祭典である。

◆◇◆京都の七夕行事、御手洗祭(みたらしまつり)

 菅原道真公ゆかりの京都、北野天満宮では、道真が七夕に歌を詠んだことにちなんで、この日は文芸上達を願う祭りとされています。神前には道真遺愛の硯・水差し・角盥(つのだらい)を並べ、その左右には短冊代わりの梶の葉、なす、きゅうり、みたらし団子などを供えて祭りを行います。御手洗祭というのは、御手洗池に手足をつけて穢れを祓う、昔の節句の行事に由来しているようです。

◆◇◆京都の七夕行事、七夕立花会(たなばたりっかえ)

 桃の節句、菊の節句というように、季節の移り変わりをめでる節句の行事は花と深くかかわっていた。なかでも七夕には、牽牛・織女へ花を供えることから、これが生け花の発展につながってきたともいわれる。室町幕府の時代には、七夕法楽として将軍家や公家の間で花合せがさかんに催されるようになった。年中行事化した生け花は、その後も広く普及をつづけたのである。今でも多くの華道では、七夕の花は特別な意味をもっている。

◆◇◆京都の七夕行事、地主(じしゅ)神社で恋愛成就の祭典
 
 七夕伝説は、天の牽牛・織女が年に一度会うことができる恋の物語だ。この説話にちなんで京都、東山の地主(じしゅ)神社では、この日恋愛成就の祭典がおこなわれる。七夕笹に互いの名前を記した一対のこけしを吊るして奉納すると、思いが叶うのだそうである。


スサノヲ(スサノオ)


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