◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(四)
◆◇◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想、『記・紀』神話にみる禊祓の起源(1)
『記・紀』神話にみる「禊祓」の起源については、(イザナギ命・伊邪那岐命・伊弉諾尊)が竺紫の日向の橘の阿波岐原にある小戸(をど、小さな水門)で黄泉の国の穢れを除くために禊祓を行ったという記述がある。
『古事記』には「吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。かれ、吾は御身の禊せむ、とのらして、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊祓したまひき。」と記している。
これは汚い黄泉の国から脱出してきた伊邪那岐命が「私は何と汚い国へ行ったものだ、禊をしよう」といい、小さな水門で禊祓をしたという事だ。
いよいよ禊を行うにあたって、伊邪那岐神は身に付けていた物をことごとく投げ棄てる。その時投げ棄てたのは、御杖・御帯・御嚢・御衣・御褌・御冠・左の手纒・右の手纒等で、これらから十二柱の神々が生まれたとされている(神道ではこの時に諸々の祓戸の大神達が誕生したことになっている)。
このように、身に付けていた物をことごとく脱ぎ去っている事から、「禊」の起源は「身削き」とするも説がある。また、水中に身を投じ身を振りすすぐ事、これら全部が「身削ぎ」との説もある。(※注1)
「ミソキ」とは現在一般に「禊」の字を当てているが、古くは身曾貴・身祓・潔身・身滌等と表記されていた。特に「滌き」は、アラフ・ウゴカス・ススグ・ソソグ・ハラフ・キヨシとも読む事が出来る。
これらの読みからも分かるように「滌き」とは水中に身体を浸してゆらゆらと振り動かす事である。つまり身体を振るって罪穢れを洗い落とす事だ。
それは単に衛生上のためだけでなく、そうする事により魂を純潔無垢の状態に立ち返らす効果があったのである。つまり、水中で身体を振ることは、一種の魂振り(たまふり、鎮魂)の所作なのだ。(※注2)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 『記・紀』神話(『古事記』と『日本書紀』)によると、伊邪那岐大神(イザナギ命・伊邪那岐命・伊弉諾尊)は竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の阿波岐原(あわぎはら)にある小さな水門(みなと)において、黄泉(よみ)の国の穢れ(けがれ)を除くために「禊祓(みそぎはらえ)」を行った。このことが一般に「禊(みそぎ)」の起源であるといわれている。
ところが、『記・紀』神話の内容を詳しく見てみると、実はそこにおいては「禊」だけでなく、「祓」も行われていたのである。
すなわち『古事記』には次のように記されている。「吾(あ)はいなしこめしこめき穢(きたなき)き国に到りてありけり。かれ、吾は御身(みみ)の禊(みそぎ)せむ、とのらして、竺紫の日向の橘の小戸(をど)の阿波岐原(あきばら)に到りりまして、禊祓(みそぎ)したまひき」。
これは、汚い黄泉の国から脱出してきた伊邪那岐大神が「私はなんと汚い国へ行ったものだ、禊をしよう」といわれて、竺紫の日向の橘の阿波岐原にある小さな水門(みなと)、つまりに朝日のよく当たるところの水門において禊祓をしたということである。
そして禊を行うことになるが、その前に伊邪那岐大神は、身に付けていた物をことごとく投げ棄る。このときに投げ棄てたのは、御杖・御帯・御嚢(みふくろ)・御衣(みけし)・御褌(みはかま)・御冠(みかがふり)・左の手纏(たまき)・右の手纏などであった。これらから十二柱の神々が誕生したとしている。
(※注2) 日本人の罪悪感を表す言葉に、「罪(つみ)」と「穢れ(けがれ)」がある。この二つの言葉は、いうまでもなく宗教的な意味合いで使用されるが、同時に倫理的・道徳的な立場においても用いられる。
この罪や穢れを捨て去って、心身ともに清らかに立ち返るために行われる神道的儀式が、「禊(みそぎ)」と「祓(はらえ)」である。
禊と祓は、神道の根本的思想をなす儀式として重視されてきたが、その思想が広く日本人の生活の中に現在も活かされていることは、注目すべきことである。
スサノヲ(スサノオ)