◆小正月、農耕を中心とする予祝の行事(三)

スサノヲ(スサノオ)

2007年01月19日 00:00




◆小正月、農耕を中心とする予祝の行事(三)

◆◇◆小正月の一連の行事、七日正月・十五日正月・二十日正月

 七日正月(一月七日までを松の内ともいい、小正月に先立つ重要な日)には、七草粥を食べて一年の無病息災を願う。上弦の月の夜にあたる七日は、新月から始まった大正月の終わりの日であると共に、満月に向かって輝きを増していく小正月の始まりの日とされ、色々な祭礼を催して、月の復活と新生を祝った。

 また、一月七日は五節句の一つ「人日」(じんじつ)とされ、中国では晴雨にかかわらず邪気を祓うため七種菜(しちしゅんさい)の羹(あつもの)を食して、その年の無病息災を祈ったことが、七草粥の起こりとされている。

 春の兆しそのもののような七草を身の内に取り込むことは、とりもなおさず、自然と一つに溶け合い、自らもまた新たな命として甦りを実感する、大切な節会(せちえ)だったのである。

 こうして、上弦の半月の七日正月を過ぎた月は、日々明るさと大きさを増して、十五日に満月の小正月を迎える。この日に食べるのが小豆粥である。そのため、小正月を「小豆正月」と呼ぶ(満月を年の初めとした頃の古い暦の名残りである。小豆正月は養蚕の豊収を神に祈ったのだともいう)。

 この日は満月であり、大昔の生活ではむしろ小正月が一年の境目であったのである。また小正月の行事には、年占いや、予祝行事もあり呪術的な要素が強いのが特徴である。ナマハゲは元々、この小正月の行事であったので、小正月に行なわれるにはそれなりに重要な意味があった。

 さらに、柳や水木の枝に餅を花のように付けた餅花を米の豊作を願って飾ったりもする(小正月は、「女正月」「花正月」とも呼ばれる)。

 やがて、満月の小正月も過ぎて月は再び欠け始め、下弦の月を迎える二十日が、「骨正月」です。お節料理の鰤(ぶり)の骨(二十日頃には、正月の料理ももうあらかた食べ尽くされて残り少なくなり、鰤のアラと大根を煮炊きして=ブリ大根や粕汁などを食べることから骨正月ともいう)や固くなった鏡餅を食べるところから、「乞食正月」「奴正月」「棚探し」などともいわれ、正月の終わりとする地方もある。

 このように、小正月は、まず七日の七草粥を食する「七日正月」で始まり、十五日の「小豆正月」を中心に、二十日の「骨正月」まで続く、一連の行事の総称である。

 古来の人々の暮らしは、太陰暦で日を数えていた昔から、月の満ち欠けと密に結びついていて、月の細くて暗い朔日(ついたち)の大正月よりも、満月に照らし出される小正月に歳神(年神・正月)との想いを、強く感じ取っていたのである。(※注1・2・3)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)七草粥は、七日の朝かその前夜に春の七草を俎板の上にのせ、包丁で音高く刻みながら、「七草なずな、七日の晩に、唐土の鳥が、日本の国へ渡らぬ先に、七草なずなを手につみ入れて」と唄い囃すが、台所にある火箸や十能なども持ち出して、うるさいほどに打ち鳴らす、いわゆる「七草囃子」は、やはり悪霊退散の祈りであったと思われる。

(※注2)小豆粥の行事は、地方の神社で神事として行う所もあり、一般には農村における重要な神事の一つであった。小豆粥を炊くには「粥杖」とも呼ばれ、クヌギの棒で作った「粥掻き棒」で、小豆粥をかき混ぜ、棒の割れ目に入った粥の状態で、その年の吉凶を占うという風習がある。

 また、この棒で石女(うまずめ)の尻を叩くと子宝が授かるといわれ、古くは清少納言も『枕草子』の中で、殿中の女房たちが、かゆ杖で打たれ、嬌声をあげて逃げまどう様を面白おかしく描写してる。

(※注3)関西では、鰤(ぶり)の骨や頭を煮て食べるので骨正月という。鰤は小より大に至るに従って次第に名を変える。

 成長につれて名が変るように人も師の教えによって心の徳が増すことを祝う。師は人の孝悌(こうてい)の道を教え、天下を治める道さえも知らしめるものである。
 
 そこで、縁起のよい魚偏に師の字を書いた鰤を用いたといわれている。また、団子を作って食べるのでこれを二十日団子という。また、赤小豆餅を食べ赤飯を蒸す。


スサノヲ (スサノオ)


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