◆正月祭りのフォークロア、日本の基層(六)
床の間に鏡餅を飾るのは、神への供物の意味がある。また、お屠蘇は不老長寿の薬効があるとされる薬草を調合した、屠蘇散を浸した薬酒である。
雑煮には地方によって様々なパターンがありますが、必ず入っているのが餅である。鏡餅もそうですが、新年に迎える歳神(年神)の魂を示すと考えることもある。それは神に供えたお下がりを貰うという気持ちから来ている。
正月の注連飾りに伊勢海老や橙、昆布を飾り立てるのは食物の豊作を祈念してのことである。(※注1・2・3)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 鏡餅とは、神供用の丸くて平たい餅のことで、「お供え」「お鏡」とも呼ばれている。もともと歳神(年神、大晦日に訪れた歳神は、人々に新たな生命力・福をもたらします。この生命力・福を「魂」といい、歳神によって与えられる魂なので「歳魂(としだま)」といいます)に供える餅(歳魂を具現化したものが丸い餅です)のことをいう。 昔から神仏の祭りには餅を供える慣わしが広くみられた。
「鏡餅」という名は、鏡の形に由来する。古く、鏡は神の依るところと考えられ、神事に使われ宗教的な意味合いの濃いものであった。今日でも、神社の祭事には薄い鏡状の丸餅を供える所があるそうだ。
鏡餅を供える場所は、床の間や神棚、仏壇、年棚といった所から、近年では住宅事情により多様化してきている。この鏡餅(神棚に祭った丸餅が始まり)から、歳神の霊力(歳魂)を得て、これを家人一人一人に分け与えて食し、霊力を体に取り込むという考たのだ。これが本来の「お年玉」とされてる。
また、鏡餅の飾り方は、 三方(さんぽう)に奉書紙(四方紅)を垂らして敷き、譲り葉(後の世代まで長く福を譲る)と裏白(長命を表す)を載せ大小二つの鏡餅を重ね、その上に橙(家系が代々繁栄する)の他、串柿(幸福をしっかり取り込む)、昆布(よろこんぶの意味)、四手(御幣)、海老(えびの中でも最も立派なもの、腰が曲がるほど長寿を願う意味)、扇(末広)などを飾ったものが一般には知られているが、飾り方も地域や家によって違いがある。
(※注2)このような形(様式)になったのは室町以降といわれています。建築様式が寝殿づくりから書院づくりへ移り、床の間が設けられる様になり、床飾りとして広まったと考えられます。武家社会では武家餅(具足餅)といって、鎧兜などの具足をしつらい、その前に鏡餅を供えて家の繁栄を願うところも多くあった様です。また供えた餅を下げる日を鏡開きといいます。 一月十一日に行う所が多く「鏡あげ」「オカザリコワシ」とも呼ばれており、餅を叩き割って雑煮や雑炊にして食します(鏡餅は包丁で切ってはならず、手や鎚で割って小さくするのがしきたりです。これは「切る」は縁起が悪いからということで、そのため「開く」ということばを使います)。正月に鏡餅を供えることは一般化されていますが、地域によっては、正月の儀礼食に餅を用いず、芋や麺類を用いている所も少なくありません。
(※注3) お屠蘇とは正月に飲む、屠蘇散を浸した酒または味醂のことをいい、「屠蘇延命散」とも呼ぶ。一年の邪気を祓う祝い酒のことである。
「屠」は退治する(邪気を払い寿命を延ばすといういわれがあり)という意味を、「蘇」は病を起こす厄神の意味があるという。「一人これを飲めば一家病無く、一家これを飲めば一里病無し」などといわれ、正月には一年の無病息災を願った。
山椒、桔梗、肉桂、白朮、防風などを調合して紅絹袋に入れ、酒か味醂に浸す。古くから、「屠蘇祝う」と称して元日にはこれを一家の若い者から順に大中小三種の盃で頂き、無病息災を祈った。
正月に屠蘇を飲むことは、中国の唐代まで遡る。 日本へは平安初期の嵯峨天皇の弘仁年間(八一〇~八二四年)に伝えられ、宮中で用いられました。元日から三日間御薬を天皇に献じ、一献は屠蘇、二献は白散(白朮、桔梗、細辛を調合して温酒で飲む)、三献は度嶂散(麻黄、山椒、白朮、桔梗、細辛、乾薑、防風、肉桂を調合したもの)を入れたもので、「御薬を供ず」という。
また、平安時代の貴族は屠蘇、白散のいずれかを、室町時代では白散を、江戸時代の徳川幕府では屠蘇を用いていたようだ。この風習はやがて庶民にも広まる。
明治末頃は、年末になると薬種屋の店頭には延寿屠蘇散と書かれたビラが下がったそうだ。現在の屠蘇はかつての処方とは異なり、だいぶ飲みやすくなっている。
スサノヲ (スサノオ)