◆奈良・山添村、神野山の巨石群は「天の鏡」

スサノヲ(スサノオ)

2007年03月04日 23:27





◆奈良・山添村、神野山の巨石群は「天の鏡」

◆◇◆奈良山添村・神野山の巨石群(磐座=いわくら)はヘブンズ・ミラー(天の鏡)? 

 日本民俗学の先駆者・柳田国男は『遠野物語』の序に「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と書いた。

 山人とは「この島国に昔繁栄していた先住民の子孫である。その文明は大いに退歩した。古今3000年の間、彼らのために記された一冊の歴史も無い」と柳田国男は書く。

 遥か昔に、この日本列島に住み生きた人々(縄文人)のことである。この日本列島には、さらに古くから住み着き、文明を築いた人々の痕跡が残されている。

 その一つが2002年の4月に見つかった、奈良県山辺郡山添村の神野山周辺に点在する巨石群(4000年前と1万8000年前とする2つの説があり、これはデネブの位置から推定)である。もしこのことを柳田国男が知ったなら、さぞ驚いたに違いない。

 山添村の神野山(奈良県と三重県の境にある大和高原の山)周辺に点在する巨石群は、GPSの調査などで星座の位置が一致したため、夏の大三角形を構成する星々と天の川を地上に投影したものでないかと考えられている(夏の大三角形に対応する巨石が王塚=デネフ・天狗岩=アルタイル・八畳岩=ベガ、天の川がなべくら渓、蠍座のアンタレスに対応するのが竜王岩、古代七夕信仰の跡なのか? 北極星=神野寺があり古くは巨石か祭祀跡があったのか? 北野の明星岩は金星か? オリオンの三つ星に対応する巨石も見つかったそうだ)。

 グラハム・ハンコック氏の地上の遺跡は天体の星座などを写したものとする「ヘブンズ・ミラー(天の鏡)」説に似て大変興味深いものだ。

 また、名阪国道山添インター近くに「ふるさとセンター」を建築中に、工事現場の土中から巨大な円球(直径7メートル・700トン、コスタリカのような真円球)が姿を現し、大騒ぎとなった(長寿岩と命名されました)。

 不思議なのは円球の縦横十文字に走る線が刻まれており、自然の造形物にしては、あまりにも幾何学的すぎるのである(この地方だけに見られるものだが、弱まった太陽の復活を祈るために祭られたと考えられている)。

 この巨大な円球形の巨石から夏至の太陽が昇ってくる方向に神野山がある(神野山は古代太陽信仰の聖地であったようだ)。

 この近くの神野山の「なべくら渓」は、周辺の地質(花崗岩)と異なる石で、幅約25メートル、長さ約700メートルにわたって渓流のように連なっており(大小の黒い岩石が谷一面に累々と重なり)、まるで溶岩の流れのような奇勝だ(自然現象としてはまったく説明できないとされる。地元の昔話によると、神野山の天狗と伊賀の天狗がけんかして石を投げ合ったためにできたという)。

 また、「なべくら渓」の天の川を表している角閃班勵石(かくせんはんれいがん)は生駒山付近等で採掘される石で、山添村ではここでしか見られないものだ。

 さらに、神野山を夏至の方向に東へ行くと中峰山があり、そこにも巨石群の大亀石・手毬石・船岩などがあり、岩刻文字(ペテログリフ)などが残されている。

 今から数千年前から一万年前の昔、山添村に住み着いた人々が、こうした巨大な岩石を中心に、いくつかの石をそれを取り囲むようにして作った古代の人々の祈りの場であったのだろうか。

 神野山山頂を中心に周辺を調べると、同心円状に神社が配置されており、ほぼ等距離離れている。さらに、神野山の北側約1350メートルのところを東西に神社や古代の祭祀場が直線状に並んでいるのが読み取れる。これらの遺跡は、太陽の動きに対して何らかの祈りを捧げる儀式をしていたことは間違いないと思われる。

 しかし、巨石はいまの土木技術でも動かすのは大変なのに、古代の人はどんな風にして動かしたのであろうか? 山添村には、説明のできない太古の謎が数多く残されている。

 天の川の地上絵(ヘブンズ・ミラー=天の鏡)が出たことは、山添村ではちょっとした騒動となり、研究会が設立されるなど盛り上がりを見せている。

 山添村には、三つの代表的な山がある。神野山、茶臼山、高塚山の三山だ。最高峰は神野山で、まさに「神の山」「神体山」であった。また、山添村には、古くから山の神信仰があり、巨石を祭る風習が今も残っている神々の聖地だったのである。

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