◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(五)
◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(五)
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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(4)
三輪山を御神体(山そのものが御神体=神奈備山)とする大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県の桜井市にある。三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山(倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し 美し)の中でもひときわ形の整った円錐形の山(高さが四百六十七メートル、周囲十六キロメートル、南は初瀬川、北は巻向川の二つの川によって区切られ、その面積はおよそ三百五十ヘクタール)で、古来より神の鎮まる山として御諸山(みもろやま)、美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と称され崇拝されてきた(山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧を入れることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われている=千古不伐。いまでも禁足地として神社の許可がないと登れないそうだ)。
そうしたことから、大神神社に本殿はなく、拝殿裏の三ツ鳥居を通して直接に三輪山を拝する形になっている(※注1)。境内は蛇との縁が深く、参拝に行くと拝殿下の手水所で、まず蛇に迎えられる。蛇の口から出る水で清めをして拝殿に向かうと、右手に「巳の神杉」という大杉がある。ここには蛇(巳=みいさん)が祭られていて、いつも蛇の好物であると言われる卵と酒が供えられている。このように古来から、三輪山は根強く蛇信仰が残る山であった(※注2)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)三輪山は山全体を神体山として古代信仰をそのまま今日まで伝えており、古代祭祀信仰の形態を知る上で重要な史跡である。神社は拝殿のみがあって本殿はなく、三輪山の山中には三カ所の磐座がある。中でも辺津磐座がその中心で、三ツ鳥居からこの辺津磐座までが古来から禁足地とされ、三輪山祭祀の中心の場所だ。
この禁足地からは須恵器や子持勾玉のほか、おびただしい量の臼玉が出土している。また大正七年(一九一八年)に発見された山ノ神遺跡は祭祀用の土製模造品のほか、無数の石製品・須恵器・勾玉・臼玉・管玉・小形銅鏡などが出土している。
これらの遺跡は弥生時代に始まり、奈良時代に至る三輪山麓における古代祭祀の実態を示す貴重な遺跡とされている。また神域内は、三輪山を中心に、天然記念物として価値のあるものや、重要文化財としての拝殿はじめ、名勝・遺跡・建造物を含む神社境内地としての史跡だ。
(※注2)原始信仰においては、蛇は水の神・山の神の顕現として崇拝されていた。また、蛇はその特異な姿形、脱皮という不思議な生態、強靭な生命力、その恐るべき毒などによって、古来、人々を畏怖させてきたばかりか、強烈な信仰の対象ともなってきた(蛇はその形から男性性を、脱皮するその生態からは出産=女性性が連想され、古代日本人は蛇を男女の祖先神として崇拝したようである。神=蛇身・カミか?)。
さらに、祖霊が住まう山(神奈備)を蛇がトグロを巻いた形として連想され(蛇の最も特徴的な姿がトグロを巻いた姿形である)、三角錐の山(円錐形の山)を拝むようになったと(信仰の対象となったと)考えられる(神奈備山信仰)。大和の三輪山がその代表的な(典型的な)例である。日本人にとってカミとは何か? その問いは、古代日本人の死生観・世界観、ひいては日本人そのものを問うことになりそうだ。
スサノヲ(スサノオ)
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