◆「鎮魂祭」、新嘗祭前日の天皇家祭祀(二)
◆◇◆「鎮魂祭」、古代信仰から生まれた生命エネルギー活性化の神事(祭祀)
古代の日本人の霊魂観によると、人は肉体と霊魂からなり、また霊魂を「タマ(魂・玉)」(※注1)と呼んだ。生命の維持はタマの働きによって保たれ、死はタマの離脱することだと考えられていたのである。
病気や怪我などはタマの一時的離脱であり、死はタマの永遠の離脱(脱出)を意味していた。つまり、「タマ(魂・玉)」は生命活力の根源とされてきたのである。
「タマフリ(魂振り)」は、「タマ(魂・玉)」を振り動かして、その霊威を高める働きである(魂振・魂殖・魂触・魂降などは少しずつニュアンスが違うが、生命エネルギーの活性化という意味では同じである)。
神や人のタマを人の中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め結び付けること(「タマシズメ(魂鎮め)」)は、霊威が活き震うことの前提であり、「タマフリ(魂振り)」により人の生命力と活動力が強化されると考えられたのだ。
「タマフリ(魂振り)」いわゆる鎮魂(ミタマシズメ・ミタマフリ)は、禊祓(みそぎはらい)と並ぶ神道の重要な行法で、枯渇する人の魂を振り起こし、衰微する魂の生命力を再生する救霊の呪法である(※注2)。
そして鎮魂祭は、人の肉体から遊離しようとする「タマ(魂・玉)」をしっかりと中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め固定し(「タマシズメ(魂鎮め)」)、「タマフリ(魂振り)」をすることによって人の生命力と活動力を強化すると考えた古代信仰から生まれた神事(祭祀)なのである(※注3)(※注4)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)気や心(目に見えるものではないが、誰もがその存在を認めているもの)に大きな影響与えるものとして(もっと奥深い所にあるものとして)、また人間の生命力や活動力を支配するものとして、しかも気や心のようにその存在が意識にのぼってこないものとして、「タマ(魂・玉)」という霊魂の存在が考えられていた。古代日本人が最も重視したのがこの生霊(いきみたま)なのである。
(※注2)神道では何よりも若々しい躍動する生命力を尊び礼賛する。ではなぜ旧暦十一月に鎮魂祭が行われるようになったのであろうか。それはちょうどこの頃が冬至にあたり、太陽の活力が最も衰える時期であったためだ(太陽の活力が弱まる冬、人や天皇の魂も弱まると考えられた)。
日神・アマテラス(天照大神)の天岩窟戸神話には、冬至に対する古代人の信仰的要素が反映されていたと考えられている(天岩窟戸神話は日蝕現象など様々に議論されているが、天皇の御魂を鎮める鎮魂祭と結び付いた神話であったようだ)。
宮廷祭祀の鎮魂祭(日神の御子である天皇の霊力を賦活をはかる儀礼)は、その後も旧暦十一月の寅の日(現在は十一月二十二日。天皇だけでなく、皇后、皇太子及び皇太子妃に対しても行われる)と定められ、長らく宮廷秘儀の日となった。
(※注3)鎮魂祭(ちんこんさい、みたまふりのまつり、みたましずめのまつり)の趣旨は『令義解』に、「言は遊離の運魂を招き、身体の中府に鎮む」というように、そもそもが天皇の霊魂を呼び返し、体に込めようとする、一種の魂返しの呪法である。
『日本書紀』「天武紀」天武天皇十四年(六八五年)の記述では、「招魂(たまふり)」という字を当てており、古訓は「ミタマフリ」と読んでいたようである(この年の九月から天武天皇の病状が悪化したので、この日にミタマフリが行われた)。
その鎮魂の意味するところは明らかで、衰微する魂の振り起こし(振起)が試みられ、病を除去することを目的にしたのである。
(※注4)天皇の霊魂が身体から離れるのを鎮め、衰える魂を奮い立たせるための祭りとされるが、一方では天皇が親祭する大嘗祭を無事に行うための「邪物」を防ぐための祭りだともいわれている。
これは魂が遊離するのは悪神邪霊の類のはたらきかけによるものとされ、さらに「鎮」の字そのものが遊離して祟りをなす死霊(怨霊・悪霊・邪霊の類)を鎮めることを示すものであるとされているからだ。
スサノヲ(スサノオ)